第3話 紅の守護騎士

「お、おい嬢ちゃん、何すんだ?」


「この人、もうボロボロじゃないですか! これ以上は止めてください!」


 湧き出るのは疑問ばかり。ヘレクスは飛び出してリオの腕を掴むが、少女とは思えない力で振り払われた。


「こんなの弱い者いじめでしょ!? 恥かしいと思わないんですか!?」


「……」


 降り注ぐ陽光の下、空気が殺意で染まっていく。

 リオはまったく気付かない。顔を青くしているのは、倒れている男性とヘレクスだけ。ほかの人々は一様に怒りをたぎらせている。

 見れば、店主の顔には傷があった。

 恐らく退役した騎士だろう。身構える野次馬の中にも、同じような雰囲気を纏う者が何人かいる。

 危険だ。


「リオっ!!」


「へ――」


 もはや猶予ゆうよはない。

 彼女を抱き上げると、ヘレクスは一度の跳躍で群衆を飛び越えた。これでも勇者の血筋。微弱な神の加護により、身体能力は高い基準を持つ。

 もっとも。


「おい小僧」


 自分と同じような生まれの者は、騎士団に何人もいるのだが。

 店主はナイフを手に。振り向くヘレクスの視界には、銀色の線が走っていることしか分からない。

 避けようとする身体と、追う刃物。

 激痛は肩に起った。

 それでもヘレクスは動きを止めない。リオを抱いたまま、逃げることに全力を使う。

 ナイフを掴んでいた店主は手を離すが、肝心の物は突き刺さったまま。それどころか二本目を取り出し、こちらと変わらぬ速度で追ってくる。

 武器になるものがあるとすれば、一つ。

 人混みだ。ケレス通りの人々は、全員があの自体へ注目していたわけじゃない。


「済みません、退いてください……!」


 痛みをこらえながら、ヘレクスは走る。

 途中、頭上に店主の姿を見掛けた。先回りして仕留めようという魂胆らしい。

 だったら脇道に逸れるまで。

 昔からの町並みが続く場所へ、二人は一目散に飛び込んだ。




「だ、大丈夫!?」


 悲鳴に近い気遣いへ、ヘレクスは疲労が混じった頷きを返す。

 痛みには慣れている方だが、相手は勇者家系の人間。刃は根元まで突き刺さっている。位置もあって、抜きたくても抜けたもんじゃない。


「済まない、ちょっと手伝ってくれないか?」


「え、ええと? 引っこ抜けってこと?」


「ああ。ナイフさえ取れれば、後は自分でどうにか出来る」


「わ、分かった」


 リオは恐る恐る背後に回る。血を見るのに慣れていないのか、やはり緊張した様子だ。


「い、いい?」


「ああ、いつでも」


 二度繰り返される深呼吸。目をつむってじっとするだけだ。

 と。


「っ」


 異物の動いた感触で、身体が震える。

 しかしこうなればこっちのもの。全神経を集中させ、肩の傷口を脳裏に描く。

 焼けるような、痺れるような痛み。――久しぶりに使ったが、先祖から継承した能力は遺憾いかんなく発揮されている。


「こ、これ……」


「魔術ってやつだよ。君もやろうと思えば出来るんじゃないかな」


 集中を解き、試しに肩を動かす。

 違和感はない。痛み自体は残っているが、これぐらいは辛抱しよう。

 安堵感から息を吐き、改めて周囲を確認する。

 入り組んだ地形、密集した住宅。人の気配は感じない。時間が時間のため、ケレス通りに活気を吸われているんだろう。

 身を隠すには問題ない場所だが、無関係な人々を巻き込むのは気が引けた。

 それでも時間は、二人に慈悲など示さないだろう。既に男の気配を感じている。圧迫感のような、誤魔化しきれない魔術の気配を。


「君は先に城へ帰ってくれ。男は僕が引き受ける」


「で、でも、一人じゃ――」


「勇者同士の戦闘を甘く見ない方がいい。……ほら、早く!」


 それでもリオは躊躇ちゅうちょした。事態を招いたことに、彼女なりの罪悪感があるんだろう。

 ヘレクスはもう一度リオをあおる。足手纏いだなんて理屈は関係なく、騎士の矜持きょうじとして逃げを勧める。


「おうおう、青いねえ」


 男の声は屋根の上から。

 ヘレクスは無手のまま身構えた。敵は一瞬だけリオを見るものの、興味が失せたとばかりに視線を外す。


「タクト」


「――は?」


「いや、俺の名前だよ。この国じゃ、決闘する際には名乗るのがルールだろ?」


「ふむ、確かに。僕は――」


「ヘレクス・ユーリバルトだろ? 知ってるぜ」


 屋根から飛び降りて、タクトは二本目のナイフを突き付ける。


「俺はアンタの親父と知り合いでね。ちょっとまあ、色々とかき乱すように頼まれたわけさ」


「かき乱す……?」


「おうよ。―――あ、そうそう、俺に勝つのは諦めた方がいいぜ? 何せ――」


 一瞬の、自然な流れにさえ思える接近。


「一代目だからな、俺は」


「っ!?」


 鈍く光るナイフが、ヘレクスに向かって突き込まれた。

 身体を捻り、間一髪のところで躱す。

 それでも攻撃の余波は、ヘレクスを力の限り吹き飛ばした。追って響く爆音。直撃した一軒家は、見事なまでの残骸と化している。


「外したか。さすがに鍛えられてんのかね?」


「く……」


 一代目と、五代目。

 戦力の差は言うまでもない。子供が大人と剣術の試合をする――それ以上に、勝敗の見えている組み合わせだ。

 タクトは姿勢を低くし、再びナイフを構える。

 背後に浮ぶ、霧。

 巨大な人型の何かを、敵は守護霊のように立たせていた。


「なあ、大人しくやられてくんねえか? 俺はこの後、お前の親父と一緒に戦わなきゃいけねえんだよ。あの勇者ともども、城に戻ってくれちゃ困るんだと」


「……デタラメを言われても困る。彼女は父上が呼んだ勇者だぞ。神託だって下ってるんだ」


「ははっ、神託ねえ」


 口端を釣り上げて、タクトは皮肉気な笑みを浮かべる。

 大方、その神託が嘘、とでも言いたいんだろう。別に驚くほどではない。方便として使うには、一番効果的な要素だろうし。

 問題は他にある。

 しかしそれを指摘しようとした途端、異変が起こった。

 頭上を通過する無数の影。矢のように飛来する彼らは、誰一人ブリレオスの格好をしていない。


「テニミス軍の……!」


「は、やっときやがったか。――でもま、これで分かったろ? てめえの親父が手引きをして、総攻撃の始まりってわけさ」


「っ――」


 そこまで堕ちたか、あの外道。

 ケレス通りを始めとした通りからは、市民の悲鳴が上がっている。こんなところで立ち止っている場合じゃない。彼らを救い、急ぎ城の防衛に戻らなければ。


「行けると思うか?」


 隙を窺うヘレクスへ、焚きつけるように敵が告げる。

 彼の周囲にある霧は、徐々に濃度を増していた。


「さて、怖気づくのは勘弁してくれれよ」


 手にしていたナイフを、霧の中へ投じるタクト。水分の集まりは咆哮を上げる。金属と金属が擦れうような、甲高い咆哮を。

 直後に弾ける霧。

 姿を現したのは、上半身だけで立つ騎士の巨人。全長は五メートルほど。真紅の鎧で太陽の光を受けながら、周囲のすべてを見下ろしている。

 伝承にさえ残る、その威容。

 原初の勇者が残した無双の一角。十二ある巨人の一柱。


「闘神の守護騎士・マルス……!」


 対峙する力は。

 伝説に、名を残すほどの存在だった。

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