第2話 耐えられなくて

「ある程度のところまでは仕込んである。後は任せるぞ」


 資料を手に、宰相は部屋を後にした。

 残されたのは少年と少女だけ。初対面にありがちなぎこちない空気が、徐々に執務室を満たしていく。

 こうなったら腹をくくるしかない。混乱は、ヘレクスより少女の方が上だろうし。


「僕はヘレクス。ヘレクス・ユーリバルトだ。君は?」


「あ、り、莉緒りおです」


「分かった。――それじゃあリオ、今から町を案内するよ。それとも、城の方を見て回りたい? 君の要望があれば、言ってくれると嬉しい」


「え、えっと、じゃあ町の方を」


 了解、とヘレクスはがえんじる。


 揃って執務室を出るものの、リオと名乗った少女は俯いたままだ。怯えている、と表現しても構わない。


 仕込んだ。父はそう言った。


 嫌か予感ばかりが浮ぶ。そもそもあの男は、召喚された勇者を奴隷か何かと思っている節が強い。召喚されて数日、リオが調教と称するような目に遭っていても不思議はないだろう。

 何を話して、彼女の心をほぐすべきか。

 しかし考えれば考えるほど、ヘレクスの苛立ちは増していく。もちろん、リオに対してではない。暴虐の限りを尽くす父への不満だ。

 ――やはり、近い内に反乱を起こすべきではないか。


「あの」


「?」


 城の正門が近付いたところで、リオが唐突に口を開く。

 振り返ってみれば、今にも泣き出しそうな表情があった。


「ご、ごめん、わざわざ案内なんて。あたしのことはいいからさ、お仕事に戻ってよ」


「あ、いや……」


 実際ヒマなのだが、答えるべきはそこじゃない。

 一番初めの礼儀だろうに、とヘレクスは自分へ言い聞かせる形で姿勢を正す。

 そして。


「巻き込んでしまって、申し訳ない」


 誠心誠意、謝罪する。


「え、え?」


「リオ君にはリオ君の事情がある。それを無視して、僕らは一方的な態度を取った。……本当に、申し訳ない」


「い、いいって、謝らなくても!」


「それは出来ないよ」


 誤魔化すわけにはいかない。

 彼女にだって生活が、家族が、夢があったはずだ。

 それを宰相の気紛れで、国の危機を救う、なんて綺麗事で捨てられた。

 怒りがあって当然。この世界が許されるなんて、決して起ってはならない話。


「ほ、ほら、頭を上げてよ。周りの人達も見てるからさ」


「む」


 それはまずい。彼女が勇者だというのは、ごく一部が知る事実のはず。

 リオの手を引いて、ヘレクスはそのまま城下町へ。正門にいる顔見知りの門番は、連れの少女を疑いもせず通してくれる。

 二人は足を止めず、堀にかけられた橋を超えた。


「――へ?」


 驚愕の声はリオから。

 まあ無理もないだろう。資料によると、町並みに驚く勇者は多いらしい。彼らの故郷『トーキョー』との類義性があるからだそうだ。

 城を囲むように建つ、背の高い建造物。

 木や石で出来た建物はほとんどない。勇者達によって持ち込まれ、発展した技術がそこにある。


「ここ、異世界じゃ……?」


「ああ、君達の国『ニホン』とは違う世界、違う星だよ。しかし、歴代の勇者によって文明の発展は加速度的に進んでね。王制というシステムを維持しながら、近代化に至ったわけさ」


「……なんだか、知ってるような口ぶりだね?」


「そりゃあ先祖が勇者だからね」


 なのでリオと同じ髪、同じ目をヘレクスはしている。

 代にすると五代目だ。初代は『とらっく』とやらに跳ねられてブリレオスへ来たとか何とか。まあ伝承で伝わる程度で、真偽のほどは不明だったりするが。

 同胞の出現に喜んでいるのか、リオの顔から堅が抜ける。


「その、済まない」


 ヘレクスは改めて、彼女に対して頭を下げた。

 近くには誰もいない。城下町も、城の周辺は貴族専用のエリアだ。いたとしても建物の中に限定される


「……でも今、この国は大変なんでしょ? あたしで協力できるなら――」


「それには及ばない。宰相から聞いているだろうけど、ブリレオス人は大の勇者嫌いだ。少なくとも、新たに召喚される場合はね」


「何か、あったの?」


「単純な裏切り――いや、亡命かな。うちと対立している国で、テニミス法国、っていうのがあってね。そちらの価値感は君たちがいた世界に近いらしい。だから、みんな移動するんだよ。この国にはついて行けない、ってね」


「……」


 少女勇者は頷くことも、かぶりを振ることもしなかった。

 ヘレクスは構わず話を続ける。テニミスの存在は、彼女にとっても選択肢に入る筈だ。


「ここで勇者は奴隷のように扱われる。が、テニミスなら別だ。きちんとした制度の元で保護してくれる。……帰還する方法が見つかるまで、亡命するのが一番だよ」


「で、でも……」


「大丈夫、勇者関係については協力者がいるから。宰相が君に矛先を向けることは


 だって、この国は敗北する。

 敵国、テニミスの軍勢は勇者の血を継ぐ者がほとんどだ。つまり、ブリレオスでしいたげられた者。士気の高さはもちろん、兵士単独の能力は言うまでもない。

 宰相が権力を手放さない限り、滅亡の未来は確定的だ。


「とにかく城下町を見て回ろうか。欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ。これでも小金持ちだからね」


「でも――」


「さ、出発進行」


 リオの根本的な暗さは変らず。

 少しでも笑顔になって欲しい――その一心で、ヘレクスは城下町へと繰り出した。




 勇者によって気付かれた町並みは、多分リオにも馴染み深いものだろう。

 城から一直線に伸びるメインストリート。四つある町の入口、北側の門も目を凝らせば確認できる。

 辺りの店舗は、高級な商品を扱うものがほとんどだった。貴族以外の入店を禁ずる、なんて張り紙が出ている店もある。

 他には騎士団ご用達の鍛冶屋ぐらいだろう。こちらは貴族の反対から、移動させられる場合が多いのだが。


「おお……」


 ともあれ、リオは気に入ってくれたらしい。

 現在の注目は右手側、宝石店のショーウインドウだ。……まさかソレが欲しいなんていわないだろうな? 手持ちの金じゃ間に合わないぞ。

 少しして、店主らしき男が外に出てくる。やばい知り合いだ。

 冷や汗を流すヘレクスだが、動き出そうとした時には遅く。


「これはこれは、ユーリバルト様。お久しゅうございます」


「ど、どうも。去年はお世話になりました」


「いえいえ。……しかしあの宝石、姫様へのプレゼントということでしたが……お気に召して頂けましたか?」


「ええ、まあ」


 それは良かった、と満面の笑みを浮かべる男性店主。――彼の話術により予算の倍近い金を払わされた、嫌な記憶が蘇る。


「して、今回はどのような? こちらの女性に似合う指輪でしょうか?」


「へっ?」


 ショーウインドウに夢中だったリオが、飛び跳ねるように顔を上げる。

 違う、断じて違う。彼女が美人なのは認めるが、愛引きなんて気が早過ぎるぞ。そりゃ性欲は人並みにあるけど。


「ユーリバルト様もやることはやってらっしゃいますねえ。てっきり色恋沙汰には興味がないと思ったんですが」


「――こ、今回は失礼します!」


 今度こそリオの手を引いて、宝石店を後にする。店主は最後の最後まですまし顔だ。

 見足りなかったのか、背後に視線を向けたままのリオ。驀進ばくしんする二人の前には、市民の台所とも言える場所が近付いている。

 この辺りになると、近代建築はなりを潜めつつあった。石や木で作られた、庶民の家に相応しい建物が並んでいる。


「お姫様と付き合ってるの?」


「き、君はいきなり何を言い出すんだ!? 単なる幼馴染だよっ!」


「えー、ホント?」


 ヘレクスは必死の弁明を開始するが、リオはなかなか首を振らない。恋愛の話には食い付きが良いようだ。

 お陰でまた少し、明るい顔色になっている。

 やはり城下町へ連れ出したのは正解だった。提案した父に感謝――しなくてもいいだろう。あの人に考えがあったなんて、微塵みじんたりとも思えない。

 辺りの様子は徐々に変わっていく。きらびやかな静の領域から、雑多で賑わう動の領域へ。


「……ここは?」


「市民の台所、ケレス区さ」


 メインストリートの三分の一を占める大勢力。

 通りの端から端まで、徹底的に店が詰め込まれている。まるでお祭りだ。本来は車を走らせる場所も、彼らには店を広げる地点でしかない。

 リオはそこに違和感があるのか、ねえ、と前置きを作る。


「通行の邪魔じゃない? 車、通れないじゃん」


「この辺りは車が通らないから、気にしなくて平気だよ。ああいうのは第一、貴族達がステータスとして乗るぐらいだし」


「町の外へ出たりはしないわけ?」


「道が整備されてないからね。町から町への移動は馬になる」


「……なんか、変な町」


「ごもっとも」


 直後、彼女はハッとして頭を下げる。こちらを侮辱ぶじょくしたとでも思ったんだろう。

 しかし実際、この城下町は中途半端だ。急激な技術の発展に、人の認識が置き去りにされているというか。

 ケレス通りは特にその気が強い。切り替わるような建物の傾向がいい例だ。平民が勇者の文明を毛嫌いしている証拠でもある。

 故に。ここでリオの正体がバレれば、命はない。

 まあ普通にしていれば気付かれることはないだろう。いくら黒髪が珍しいと言っても、昔から続く勇者家系への好感度は悪くない。だから父は宰相になっているわけだし。

 見窄みすぼらしい格好の者に混じって、騎士装束の二人は行く。


「……みんな、楽しそう」


「ブリレオスの取り柄は、元気で前向きなことだからね。生活が苦しい人は沢山いるけど、みんな全力で生きてるよ」


「希望を捨てずに、ってこと?」


「うーん、難しいね。ブリレオス人はどちらかというと――」


 瞬間。

 通りの奥から、誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。

 集まる視線、伝導する敵意。一体誰が誰に対して向けているのか――詳細を突き止めるのに、現場を直接見る必要はない。ブリレオス人を分かっていれば尚更なおさらだ。

 とどまるのは最善ではない。リオが知るべき現実ではあるが、直ぐ直視するなんてあまりに酷だ。


「リオ、急いで――リオ?」


 いない。

 正面、騒ぎの中心を囲う人混みに、彼女は突撃している。ヘレクスは唖然あぜんとするばかりだ。何を彼女が突き動かしたのか、てんで理解が及ばない。

 ともかく連れ戻さないと。巻き込まれでもすれば一大事だ。


「てめえ、何の真似だって聞いてんだよ!」


 冷や汗を掻きかねない罵倒ばとう。が、直後に聞こえた返事は男性のものだ。最悪の事態には至っていない。

 もっとも、最前列は確保されてしまったようだが。


「リオ」


「あ、あの人は……?」


 恐怖心が伝わってくる抑揚よくようの中、視線はしっかりと騒動を捉えている。

 構図は、向かい合う二人の男性。荒い言葉を叩きつけるのは、傍にある店の主らしき男だった。


「テニミス法国から逃れて、今朝やっと帝都に辿り着いたんです! 少しで構いませんから、食糧を――」


「ふざけんな! アンタ、この国の人間じゃないんだろう!? のたれ死んで当然だろうが! 帝都に近付くんじゃねえ!」


「わ、私はテニミス人ではありません! 隣国、タニアの――」


「何!?」


 男性の怒りが頂点を迎える。彼らを囲む野次馬も、数年前に滅ぼした国家の名称へ驚いていた。


「だったら負け犬じゃねえか! ブリレオスは勝者の国だ! てめえの居場所なんざねえんだよ!」


「そ、そんな――」


 あとはもう、一方的な暴力だった。

 しかし止める者は一人もいない。逆に同調する空気が広がり、被害者の逃げ場を奪っていく。

 ヘレクスは反対に、冷めた目付きで見守っていた。これでは勇者達が離れるのも当り前か、と。帝国の教育を受けていながら、第三者の視線で眺めている。


「さあ、リ――」


「止めてっ!!」


 気付いた時には遅すぎる。

 観衆の視線を奪う形で、彼女は二人の間に立っていた。

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