第19話 かつての世界に

「あ、あれ?」


 タクトを追っていたリオは、突如として彼の姿を見失ってしまった。

 集落の人々に尋ねて回っても、有力な情報は得られず。残っている行き先は、辺りを囲む森ぐらいなものだった。

 恐らく、彼は一人になりたいんだろう。集落から出るのは利に叶っている。

 嫌な気持ちを押し殺して、リオは来る時の道へと足を向けた。


「お、言われた通り?」


 森は既に、リオの往来を阻むものではなくなっている。これなら廃墟まで、スムーズに向かえそうだ。

 それでも前進は、辺りを注意深く探りながら。

 機獣が現れたら、自分一人じゃどうにもならない。聖約が発動している森では安全だと言われたが、それでも不安は出てしまう。

 一方で目を奪うのは、美しい野性の世界。

 都会育ちのリオには、十分な感慨を抱かせる光景だった。家族といった遠足も、こんな風に緑で囲まれていたと思い出す。

 しかし走っていくうちに、人の獣性が顔を出した。

 どれだけの人間が集まっても、決して拾い尽せないような不幸の名残。当時の賑わいを思えば思うほど、少女の心は軋んでいく。


「あ」


 その中心に、一人の男が座っていた。

 リオは胸を撫で下ろしながら近付いていく。当のタクトは気付いた素振りもない。頼りなさげに、青い空を見上げているだけだった。


「タクトさーん!」


「あ?」


 意外、とばかりに、振り向いた彼は目を見開く。

 瓦礫の上を苦労しながら進み、リオはタクトの隣りへ腰を降ろした。改めて、周囲の機獣の姿はない。まっとうな生き物の姿があるだけだ。

 二人の間に会話はない。

 無言の、ゆったりとした空気で染まっていく。


「何か用か、お嬢さん」


「同郷のよしみで話しでもしようかな―、と思って。オジサン、日本人でしょ?」


「おう、当然よ。人生60近くの、つまんねえ首つり親父さ」


「……自殺したの?」


 不幸を語る彼が、あまりにも前向きだった所為か。

 心に暗さを抱えることなく、リオは話しを続けていた。


「まあな。色々あって仕事やめて、第二の人生ってやつを始めようとしたんだよ。これでもかなり儲けてから、何でも出来るって思ってたんだぜ?」


「でも、失敗した?」


「そうなんだよ。いや、俺が馬鹿だった、ってだけなんだけどな? 見えてる世界が突然変わるってのも、なかなか面倒なもんだよ」


「異世界に来て、ってこと?」


 タクトは首を横に振る。リオが経験したことのない、自身の老いを語るために。


「何をやっても熱中できなかった。これじゃないって探し続けて、結局は酒を飲むぐらいしか出来ねえ。……第二の人生って、マジだなアレ。皮肉すぎるったらありゃしねえ」


「で、でも、待ち望んでたんでしょ? だったら――」


 帰ってきたのは、またもや否定だった。

 リオには分からない。社会という重荷から解放されたのであれば、輝かしい自由が待っているんじゃないかと。


「歳をくうとな、自分に限界を感じるようになる。これまでの殻を壊せない、ってやつかね。壊せるやつはいるんだろうが、どうも俺は真面目すぎたらしいんだわ」


「それまでの自分を、大切にし過ぎた、って?」


「お、分かってるじゃねえか。……それに気付いたら、自分が誰なのか分からなくなった。社会に貢献することを誇りにしてた俺は、一体何なのかってな。んで――」


 命を断った。

 口にはしないものの、横顔はそう語っている。異世界に来た、その瞬間をも。


「こっちの世界、自分の役割を知った時は喜んだぜ。ああ、俺は誰かの役に立てる、ってさ。――しかし実際はどうだ? 俺は国を救えなかったどころか、まともな恩返しも出来なかった」


「でも、知らなかったんだから――」


「いや、どっちにしろ馬鹿さ。考えてもみろよ? 俺には復讐なんてせず、この新しい力で世界を旅することだって出来た筈だぜ? 勇者の力は、限界を消してくれたんだから」


 彼は本当に嬉しそうだ。案外と今も、その希望は生きているんだろう。

 しかし選らばなかった。タクトはやはり、異世界初の自分を大切にしてしまった。


「俺はただの戦闘者、政治家でも王様でもねえ。役割が終わった以上、大人しく身を引けば良かったのさ」


「……タクトさん自身が、あの人達を助けたくても?」


「ああ」


 清々しいぐらいの解答。

 リオには眩し過ぎて、思わず目を逸らしたくなる。


「俺は俺自身を解体するべきだった。勇者も社会も関係ねえ、俺一人に戻るべきだったのさ」


「……辛くない? それ」


「辛いだろうよ。でも楽しいかもしれねえ。俺の世界から飛び出せば、俺が人生を燃やし尽くせる何かがあるかもしれねえ」


 よし、とタクトは腰を上げる。

 もう青い空は見上げない。頼りない背中も見せない。

 この世界に呼ばれた、たった一人の人間として。勇者なんて肩書は関係ないと、楽しそうに笑っている。


「東の大陸に行ってみっかね、俺」


「ブリレオス人が来たっていうところ?」


「ああ。荒廃してるらしいが、連中が来て何百年もしてるだろう? 自然はたくましいからな、回復してる可能性もある」


「……」


 リオは応援も抑止も出来ない。彼の人生だし、その挑戦はたたえるべきだと思う。

 だが、これまで愛した人達と離れるのは。

 身を引き裂かれるような、痛みだろうに。


「んじゃ、俺は先に戻ってるぜ。お嬢さんも早く来いよ」


「――うん」


 去っていく背中は意気揚々としていて、やっぱり自分には遠すぎる。

 今度は、リオが空を見上げる番だった。

 自ら断った命、自ら望んだ別れ。タクトに清々しさがあったのは、どちらに対しても感謝があるからだろう。

 凄いな、と素直に褒めたくなる。だって自分には出来ない。

 自殺という終わり方。肉体にしろ精神にしろ、リオは認められずにいる。

 この世界に来る前。家族のためだと、自らの命を断った時から。

 後悔ばかりがつのっている。結局は、自分の無力さから逃げただけではないかと。異世界で誰かを助けたいと思うのは、やり直せる希望を見出しているだけではないかと。


「……って、止め止め」


 一人で考えてもネガティブな感情しか浮ばない。

 まずは目の前の問題だ。それを解決したら、改めて自分自身を考えよう。


「あれ?」


 向こう側にいるのは、近衞騎士。

 きっと集落へ荷物を届けに来た者だろう。迷っている様子だし、案内してやった方が良さそうだ。

 表情にいつもの明るさを戻し、リオは彼らに声をかける。

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殲滅のブリレオス 軌跡 @kiseki

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