第18話 現実の重荷

「難儀でしたね。というかよく、帝国の民が許したものです」


「それが此度の勇者召喚、極秘に行われたものでして。宰相とその側近による独断かと思われます」


「……つまり、ヘレクス君の父君が?」


 その呼称は認めたくないんだが、仕方なく首肯する。

 タニア王は表情に影を落としていた。思い当たるのはタクトのこと。彼の召喚もひょっとすると、王の承認を得ずに行われたんだろうか?

 しかし、当人にとっては侮辱にも等しい後悔だろう。

 他人の分際で言えたものではないが、彼は本気でタニアを愛していた。でなければ復讐など行う筈がない。目的のために、殺人を許容するとは考えられない。

 大切なものを失えば、波は立つ。

 今回の反逆は人間らしい、タクトにとっての正義なんだ。


「――ところで、あの獣は? 魔科学の産物でしょうか?」


「察しがいいですね、ヘレクス君。余は機獣と名付けているのですが……どうも戦争終結後、ブリレオスが放ったモノらしい。今じゃ島全体に確認できます」


「島全体、ですか?」


「まるで実験場ですよ。この辺りは聖約によって守られてますが、かつての王都を始め、彼らに荒されなかった町は存在しない。君と会ったところも、元はあそこまで酷くなかったんです」


「そうだったんですか……」


 どちらにせよ、気分は優れない。

 タニア王の話を聞く限り、機獣は何十、何百とこの島にいる。それら全員を退けるなんて不可能だ。ミネルヴァだって、ヒュベリオの剣を借りても戦えるかどうか。

 何気なく、右手に拳を作っては広げてみる。

 ――ミネルヴァを手に入れた時から、どうも変な感触があった。一つに成りきれていない、とでも言おうか。それは見た目に出た通りでもある。

 使えそうな手段は、やはり聖約。


「おいっ、国王!」


 肝心の話を始めようとした直前、ドアをぶち破ったのはタクトだった。

 彼は感情を代弁するように、両手をテーブルに叩きつける。


「ブリレオスに助けられたってどういうことだ!? 皇帝が匿ってくれたってのは!?」


「……」


 タニア王は俯いたまま動かない。

 ヘレクス達も、仲裁に入ることは出来なかった。ただ驚き、納得するしかない。――勇者の行いが、恩を仇で返すものに近かったということを。


「くそっ!」


 返答がないということは、一転して肯定の意味もあって。

 苛立ち紛れに机を殴ると、タクトは大きな足音と共に退場した。


「あ、あたし、ちょっと話してくる!」


「いや、リオ――」

 止めようとした時には、もうドアの向こうへ行ってしまった。

 残された二人の間を陰鬱な空気が漂う。特にタニア王は、自身の偽善に押し潰されて動かなかった。


「今の話は……」


 それでもヘレクスは、冷酷に詳細を尋ねる。


「言葉通りの意味です。余は戦後、ブリレオス皇帝に匿われていた。滅びを止めることが出来なくて済まない、と」


「――」


「彼が謝る必要は本来、どこにもなかった。新神の意思――神託によって攻撃が命じられれば、帝国も動かざるを得なかった筈ですよ」


「それは」


 間違いはない。神託とは、聖約の中で神が行う干渉。帝国を例にして言えば、徹底した勝者である、に対する神からの具体的な指令を差す。

 ブリレオスは生き残るために、王国を責めるしかなかった。

 タニア王は統率者として、一つの同情を持っているのかもしれない。

 この王国にだって聖約はあった筈だ。それに頭を垂れ、民を巻き込むことが如何に苦痛なのか――彼は身を持って知っている。

 ああいや、苦痛と例えるのは止そう。ヘレクスは統率者ではない。彼らの痛みなど理解できる筈がない。

 ただ。

 巻き込まれた男の道化ぶりが、哀れに思えてしまうだけだ。


「あの近衞騎士達は、生活用品を定期的に運んでくれるんです。帝都が宰相勢力に制圧されても、皇帝陛下ご自身は無事だと聞きますし」


「そう、なんですか」


 本来なら喜ぶべきだろうに、ヘレクスの抑揚は下がり気味だった。

 自分が使えていたのは、あくまでもマリアルト。彼女こそが帝国であると信じ、己の力を預けてきた。その心情については皇帝陛下も知っている。

 ますます。

 自分が今も戦う理由を、知りたい。


「迷いがありますか、ヘレクス君は」


 真っ直ぐすぎる問い掛けには、肯定も否定もなく。

 タニア王は薄っすらと笑みを浮かべ、台所の方へと歩いていく。


「皇女殿下が亡くなったと耳にしました。陛下もきっと、お悔やみのことでしょう」


「普通の父親でしたからね、陛下は」


「ええ、本当に。初めてあった時は、この人が皇帝であることすら疑いたくなるぐらい普通でした。……だからこそ、余は彼に重荷を背負わせたことが許せなかった」


 戻ってきた時、手のコップには一杯の水。

 光が透き通る世界に、葛藤なんてものは無いんだろう。水は水だ。柔軟に形を変えることはあっても、水分という根本からは逸れない。


「余の戦いは、タニアという国を焼却することだと思っています」


「え……」


「この国はもう滅びた。なら、生きている者達の意思を縛るわけにはいきません。過去は過去らしく、退場するのが花なんですよ。――ま、付いてくる人も多いんですが」


「嬉しく、ないんですか?」


「痛いところを聞きますね。まあ……半分半分、でしょうか。それが彼らの意思なら尊重したいし、王としての自分に誇りも感じます」


 ですが、と。彼は後悔に満ちた目で、自分の拠り所を否定した。


「彼らは人間としてではなく、タニア国民として判断を下している。彼らが二本足で立つ前からある、国という存在にすがっている」


「嫌ですか」


「ええ、この上なく。だって彼らには、他の選択肢が無かっただけかもしれません。――これでは余も、民を苦しめる暴君と変わりない」


 とはいえ、そこから脱却するのは不可能だろう。

 王に不幸があるとすれば、この国が安定していること。誰だって、幸せな環境から脱しようとは思わない。不幸だからこそ、人間は活動することで不幸を燃やす。

 なら、王にとっての人間とは。

 不幸と戦う、戦士のような存在なんだろうか。


「……ブリレオス人は、どうなんでしょうね」


「厳しく言わせて貰いますが、私にとっては同じですよ。勝利もやはり、甘い蜜ですからね。群がるアリ――は言い過ぎかもしれませんが、やはり哀れに思います」


「哀れ、ですか」


 本当に厳しいが、間違っていると否定も出来ない。

 現にヘレクスの足場は揺らいでいる。戦う理由、なんて青臭いものではあるが。


「人間というのは難しいものでしてね。彼らが始まるには恐らく、国家が終わる必要があるのでしょう」


「国が?」


「はい。どんな共同体にも、特有の正義――まあ聖約でも、何でも構いません。とにかく、これを新たに確立しなければいけない。でなければ、自分という柱を失う」


「――柱を失った人間は、弱いんでしょうか?」


「余は少なくとも、危ういと考えますね」


 だとしたら、自分も。

 この騒乱を生き延びるため、新しい理由を見出す必要があるんだろうか?


「さて、余の話はこれで終わりです。次は君の話を聞きたい。何か理由があって、この亡国を訪れたのでしょう?」


「……実は、古神の封印を解除しようと」


「戦力強化のため、ですね? 分かりました、案内しましょう」


 拍子抜けするぐらいの承諾。

 家から出ようとするタニア王を、ヘレクスは視線で追うことしか出来ない。


「どうしました? 君は守護騎士を所有しているんでしょう?」


おっしゃる通りですが……その、反対しないんですね」


「はは、余は伝統にうといですからね。ほら、君達を助けた狼。彼らは聖約によって、機獣と戦う能力を持っているんですよ」


「なえるほど、それで」


 封印の解除は、隠れる集落にとっても必要なわけだ。

 王はヘレクスを置いて先に進む。

 覇気のない背中は、理想と現実に苦しむ聖者を思わせた。

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