第17話 王の場所

 当然だが。原始的な森というものは、人間の存在を前提にしていない。

 足元のぬかるみと格闘しながら、一行は誰も知らない目的地を目指していく。

 一歩前に進むだけでも、結構な苦労を強いられた。後ろにいるリオなんて今にも、泣き出しそうな目をしている。活発な印象だが、意外と外では遊ばない子なんだろうか?

 転びそうになったり、足を止めそうになったり。正直言って憐みを誘う。

 もういっそ、おぶってやるべきだろうか? 女の子一人の体重ぐらい、ヘレクスにとっては問題ない。まあ地面の方はそれ相応の反応をするだろうけど。


「――あのさ」


「い、いいよ、大丈夫。迷惑かけたくないから」


「……」


 この一点張りである。

 先頭はどんどん二人と距離を離していた、人一人を担いでいるタクトですら、謎の男性と同じペースを維持している。


「鎧とか、着て来なくて良かったね。もっと酷いことに、よっ、なってたんじゃない?」


「いや、騎士は鎧とか着ないよ。さっきも言っただろう? 人が加工したものは魔術と相性が悪いって」


「ああ、あれって――ぬおっ、そういう意味だったんだ」


「まあ普通の兵士は使うけどね。騎士――勇者家系の人間は、その魔術が鎧であり、剣ってわけさ」


「ふむふむ――うわあっ!?」


 靴だけ残して、リオはこっちに倒れてきた。

 突然の出来事でも、ヘレクスは背中の筋肉を総動員して耐え凌ぐ。


「ご、ごめん、大丈夫?」


「それはこっちの台詞だよ。ちょっと待って、靴とるから」


「うう……」


 やっぱり、彼女は涙目だった。

 これ以上は無理な疲労をさせるだけ。このあと封印の解除があるんだし、疲れて動けません、は不都合だ。建前があるとしてもこの任務、彼女が主役なわけだし。

 靴を履き直したリオの前で、ヘレクスは屈んだ姿勢を作った。


「無理に頑張ると逆効果だよ。今日のところは、この位にしといたら?」


「……じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」


 疲れは本物だったらしく、抵抗せずに乗ってきた。

 起き上がってから位置を整え、ヘレクスは大股で先頭を追い掛ける。走ってしまえば一番だろうが、ぬかるみを無視しきれる自信はない。

 リオはこちらの肩に顎を乗せ、温かい吐息を零す。


「これじゃあ、ヘレクス君の妹みたい」


「勇者としては、君の方が格上な筈なんだけどね。……そういえばリオ、魔術を使ったことは?」


「一回もないよ? 使われたことならあったみたいだけどね。こっちの言葉を喋れるように、とかさ」


「……」


 その中で、妙な魔術は使われなかったか?

 質問は喉を通ろうとした直前に、個人的な感傷で飲み込まれた。言ったところで彼女を傷を抉るだけだと。誰かへ攻撃すること――それ自体が不道徳である少女には、好ましい話題ではない。

 一方、危険性が拭いきれていないのも事実だ。

 宰相がどんな方法でリオを操ったか、ヘレクスは聞き出していない。今のように、答えを引き出すことへ罪悪感もあった。

 せめて、怨んでくれれば。

 ちょっとの敵意でも向けてくれれば、こっちもそういう立場で振る舞えるのだが。


「ヘレクス君?」


 無言になり過ぎたようで、リオが横から覗き込んでくる。

 何でもない、とぶっきら棒に返すのが精一杯だった。……でも本当、嫌になる。必要とあらば厳しい態度を取るのが、道義ってものだろうに。

 後で後悔したって、反省は未来のために行うものだ。

 この行軍が終わり次第、きちんと聞き出しておかねばなるまい。


「いやはや、すみません。この辺りは聖約によって、侵入者対策に無数の仕掛けがあるのです。足元の不自由は、もう少し我慢してくれると嬉しい」


「……」


 タニア王――らしき人物は、苦笑いを浮かべながら案内してくれる。

 見れば、彼の足元には何の異常もなかった。タクトも同じ、恐らくは聖約の効果で、部外者にだけ妨害が働くようになっているんだろう。


「集落につけば、あとは自由に動けますから。それまでの辛抱です」


「――だ、そうだよ?」


「最初かっら自由にして欲しいな……」


 まあ、神も融通は利かないんだろう。 

 ようやく建物が見えたのは、それから間もなくして。

 明らかに人の集落。ある筈のない営みが、視覚という証拠へと飛び込んでくる。


「帰りましたよ」


 言うなり、我先にと飛び出してくる子供たち。

 すべて集落の子供だろう。皆、タニア王国の特徴である新神のスカーフを首に巻いている。

 喜ぶ彼らの声は、タクトの方にも向けられた。


「……はは、何だこりゃ」


 震えた声で、彼は子供達に囲まれている。

 しかし驚きは止まらない。保護者らしき人、年老いた男女が出てくると、近衞騎士の方に頭を下げたのだ。ブリレオスとの戦争は記憶に新しいだろうに、何故?

 会釈する騎士に沿い、ヘレクスとリオも頭を下げる。

 あれこれ疑問を抱いている自分が馬鹿らしいぐらいの、平和な空気。この土地が蹂躙された事実を、集落の景色は拭い去ってしまいそうだ。


「ではお客人、余の家へ案内しましょう。あの獣たちについて、色々と聞きたいこともあるでしょう?」


「あ、はい」


 喜色満面な王に連れられて、ヘレクス達は集落の真ん中へ。タクトと近衞騎士の二人は、歓迎する人々の元に残っていた。

 歩いていく中で、建物の新しさに視線が止まる。


「ここはブリレオスとの戦闘が終わった後、建てられた場所でして。余を始め民は、ブリレオスから戻って暮らしているのです」


「ど、どういうことですか? 発表では――」


「タニア人は滅んだ筈。そう、言いたいんですね?」


「……ええ」


 だが現実は違うらしい。

 謎を晴らせないまま、ヘレクス、リオの三人は木造の家屋へ上がる。中には誰もいないが、彼の家ということで間違いなさそうだ。


「水を用意しますよ。あんな道で疲れたでしょう?」


「いや、しかし――」


「下さい!」


 自分の欲望に素直な声が、少年の謙虚を打ち消してくれた。

 遠慮する性格だと思っていたのに、ヒドイどんでん返しを喰らった気分。本人の中ではこっそり、求める時との線引きがあったりするんだろう。

 透明な水の入ったコップが、リオの前に提供される。

 彼女は両手で掴むなり、一気に中身を飲み乾した。家主は笑っているものの、ヘレクスにはストレス以外の何でもない。


「では自己紹介を。余はマクシス・ブリレオス・タニア。要するにタニア王ですね」


「? ブリレオスってことは、帝国と関係があるんですか?」


 喉を潤したリオは、満面の中で王へ尋ねた。


「もともとこの国は、ブリレオスの領土でした。それを古の救世主、原初勇者がブリレオス皇帝から賜りまして。一国として独立することになったのです」


 原初勇者の活躍を演じる舞台などでは、ラストシーンに該当する。

 お陰で昔、タニア王国は華々しい地上の楽園だと言われたこともあった。もちろん帝国での話しだし、実際は政治的に難しい土地だったろう。二大国から板挟みにされているんだから。


「じゃあここは、勇者さんの気持ちが残ってる土地なんだ」


「ああ、余もそう思います。……で、君達は?」


「あー、えっと、その」


 自分の立場を分かっているようで、リオは助けを求めていた。

 まあ隠し通す必要はあるまい。近衞騎士やタクトもいるのだから。


「僕はヘレクス・ユーリバルトと言います。こちらはリオ。数日前に帝都にて召喚された勇者です」


「なんと!?」


 喫驚するタニア王。意外な反応だったらしく、リオは恥じらうように顔を伏せる。

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