第15話 招かれざる客

 ブリレオス帝国の南西に位置する国、タニア王国。

 勝王都の港からも、陸地は薄っすらと見ることが出来る。双方を繋ぐのは青い海。タニアが滅亡する前へ、多数の船が行き交う活気のある場所だった。

 しかし今では、近付く人間もあまりいない。町は一つ残らず滅んでいるし、王国の向こうにはテニミス法国の領土がある。敢えて近付こうとするのは兵士ぐらいなものだ。


「――あれ?」


 背後では、瞬きしている少女が一人。

 既に二人の――いや三人の周囲は森だった。文化の混じった光景はどこへやら。後ろを振り返っても、あるのは砂浜と勝王都の輪郭だけ。


「て、転移、終わったの?」


「そうだよ。あっという間だったろう?」


「実感がまるでない……」


 自分が初体験した時と、まるで同じ感想だった。

 そこにちょっぴり笑みを抱いて、先頭を進むタクトの後に続く。リオはおっかなびっくりな様子で、ヘレクスの腕を掴んでいた。

 正直、動き辛いったらありゃしない。でも彼女を守る立場上、これぐらいの甘えは許してやるべきなんだろう。

 あくまでもリオのペースで。ときおりタクトを放置しつつ、慎重な足取りで進んでいく。


「目的地まではどのぐらい?」


「封印は数か所に分かれてるから、半日ぐらいは歩きっ放しになる。まあ君は召喚された身だし、体力的には問題ないと思うよ」


「そ、そうなの? 不安だなあ……」


 言いながら視線が向くのは、持ち込んだ水筒と数点の食糧。

 タニア王国は島国だが、それなりの広さはある。首都まで行こうとすれば数日は必要な距離だ。

 当然、時間制限を考えると目的地には含めない。今回はあくまでも外。封印の本命が首都にあるため、それの支点となっている封印を解除する方針だ。


「そんなに長時間歩くなんて、経験したことないよ」


「子供の頃、似たような経験は? 君、活発そうだけど」


「――え、いや、そうでもないよ? あたし、結構もやしっ子でねえ」


 あはは、と乾いた笑いが響く。

 裏に何か隠しているのは、居合わせた者なら誰だって気付くだろう。話している本人だけが、上手く誤魔化せていると思っている。

 こちらに来る前。リオは一体、どんな生活をしていたんだろうか。


「うおーい若人わこうど、なにイチャついてんだ」


「はえ!? べ、別にそんなんじゃ……!」


 まったくだ、と彼女に同調しつつ、森の中を闊歩かっぽしていく。――背後から睨むような視線があるのは気のせいか? 敵か?

 振り向いても、いるのは不貞腐ふてくされたリオ一人。

 木の密度は少し薄くなっている。タニア王国の玄関口も、いよいよ登場が迫ってきた。

 無論、前向きな感慨などある筈がなく。


「これ――」


 和気藹々としていた空気が、一瞬で霧散する。

 廃墟だった。

 骨格を残している物さえない、見るも無残な荒れ模様。前情報がなければ、町があったこと自体に疑念を持ちかねない。

 しかしかつて、ここに人の営みがあった。

 漠然とした情報しか知らないヘレクスも、直ぐに言葉は出てこない。リオは言わずもがな。掴んでいた腕を離して、人間の残虐性を耐えている。

 一番冷静だったのは、意外にもタクトだった。

 表情に影は差しているものの、確たる足取りで奥へと進んでいく。


「適当な場所で腰でも落ち着けようや。今後の方針を含め、改めてお互いのことを話そうぜ」


「僕は話すことなどないよ?」


「バッカ、俺があんだよ」


 剥き出しの敵意をやり過ごして、タクトは瓦礫の上に腰を降ろす。

 彼を追って歩いても、景色は変わり映えしなかった。訂正しよう、これは廃墟ではなく更地。町が壊されたという印象すら、この光景の前には霞む。

 まるで、人間以外にも手が加えられているような。


「ブリレオスの人達が、これを……」


 事実に過ぎない事柄。それでも、リオは飲み込むので精一杯らしい。今にも涙を流しそうな横顔が、隣りにある。

 勝者と敗者と明確に区分するヘレクスも、ふとした想像が価値観を揺るがした。

 もし帝都が、勝王都がこんなにも無残な更地になったら。

 復讐すらしない純粋な敗者として、自分を保つことが出来るだろうか?

 そもそもを問えば、自分が何のために戦っているかあやふやになる。聖約の通り、帝国のため? あるいは姫の無念を晴らすため?

 これまで意識しなかった穴。未熟が、ゆっくりと頭の中に噴き出してくる。

 自分が正当性を確保している理由はどこにもない。帝国のためと言っても、将来的な観点では宰相が正義の側かもしれない。歴史は勝者が作るのだから。

 じゃあ今、現段階で決められる正しさは?

 一体、誰のために――


「おいおい、しょぼくれた顔すんなよ。幽霊どもが困惑してるぜ」


「い、いるのっ!? 幽霊!」


「んなわけねえだろ。真に受けんなって、お嬢さん」


 心底安堵して、リオは撫で肩を作った。

 タクトは面白がっているが、彼なりの気遣いだったと理解する。お陰でリオの表情も、明るい前向きなものに戻っていた。

 なるほど、彼女の笑みには暗い雰囲気を取り払う力がある。さっきまで頭の中にあった迷いも、一先ずは心の隅っこに片付けられた。

 少女は直ぐ真剣な面持ちに。笑顔への感謝があることに気付かず、ヘレクスの横に位置を占める。


「うっし、じゃあ俺から行くか。知っての通り、宰相から裏切られてここにいる。出来ることなら味方として雇って欲しいぐれえだ」


「十分望みはあると思うけど? 貴方、守護騎士持ってるんだし」


「いや、無理だぞ?」


 持ってきた水筒から水を飲むリオが、呆気なく噴きだした。


「ど、どういうこと!? あれ、タクトさんが持ってるんじゃ……」


「修復できねえレベルでぶっ壊されたんだよ。ひでえもんだったぜ? あのオッサン、生身で守護騎士と戦いやがるんだからな」


「なに……?」


 驚くしなかない宣言だが、タクトが嘘を吐いているようにも見えなかった。

 父――宰相は軍人ではない。貴族として最低限の剣術はわきまえているかもしれないが、結局はその程度。守護騎士と戦い、自働修復が不可能なところまで壊すなんて。

 しかしこの目で見た通り、タクトは満身創痍にまで追い詰められている。

 何かこちらが知りえない力を、敵は持っているということだ。


「まあだから、戦力としては大幅に落ちてる。つっても、箱入り娘のアンタよりは役立つだろうがな」


「……ヘレクス君、次はこっちの話でもしようよ」


「あ、ああ?」


 どうも、お嬢様扱いはお気に召さなかったらしい。

 まあ説明することは少ないだろう。ここに来ている時点で、彼も推測はしているだろうし。


「古神の封印を解く。以上」


「おいおい、それだけかよ」


「実際にこれだけだからね。リオの安全もかかってるんで、いつまでも休むのは反対する」


「わーった。んじゃあさっそく――」


 腰を上げようとした男性陣の動きが止まる。

 リオ一人がほうけているが、ヘレクスは説明もせず彼女と森へ。タクトも揃って、町の残骸から身を隠す。


「ど、どうしたの?」


「誰か来る」


 背後からではない辺り、勝王都経由ではない。帝都近辺から、転移してきた何者かだ。

 とどのつまりは敵であり、三人は息を殺して状況を観察する。いつでも戦闘へ移れるよう、ミネルヴァの用意だけは忘れない。

 緩やかに思える時間の経過。研ぎ澄まされた警戒心が、些細な変化も見逃すまいと鋭くなる。


「近衞騎士……!」


 町だった場所に足を踏み入れたのは、清々しい青をトレードマークにする二人組。

 彼らは背中に荷物を背負いながら、気楽そうな表情で話している。残念ながら内容までは聞きとれない。疑うしかない怪しさをただよわせるだけだ。

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