マジカルねんね!(ドラゴン猟師の日常シリーズ)

よこたま

ねんねの日記~ドラゴン猟師の日常~

ねんねの昼寝(ドラゴン猟師の日常 1 )

 そこは雪山――見渡す限りの白い世界――


 天空の太陽は分厚い雲に阻まれ、辺りには淡雪が降り続ける。

 そんな中にポツンと人影があった。とても小さな背丈である。人影は空色のマントを羽織り、同じ色の帽子を被っていた。帽子は逆さ円錐に短めの鍔と垂れの付いたもので、その下には幼い顔が見え隠れした。

 人影の正体は年端も行かない少女、というよりも“女児”だった。マントの下はベスト・スカート・半袖ブラウスに丸く膨らんだ紺色の提灯ブルマで、足を包むのは紅のロングブーツである。その上の脚部は黒タイツに覆われ、地肌が見えない。

「うーむ……」

 女児は右手に杖を持ち、腕組みをしていた。何か考え事をしているようだ。時々、杖の先端に付いた宝玉で自分の肩をポンポン叩く。


 それは半日前の出来事だった。


「あれ?どーこーだー?」

 山小屋の中に男がいた。とても筋肉質で短い黒髪を立てた口髭の中年男性だ。上はタンクトップ、下は長ズボンをはいている。

 彼は何かを探している様子だった。ソファーのクッションを裏返し、引出しの中を覗き込み、ベットの敷布団を引っ剥がし――

 男の視線がチラリと窓の外に向いた。

 表の芝生に一人の“女児”が寝転んでいた。Tシャツにオムツパンツ一丁でゴロ寝の体勢だ。履いていたサンダルは芝生の上に転がっている。

 と、女児が体をクルリと返して仰向けになった。短い脚をV字に伸ばし、大股開きのポーズである。

『あっはーん。』

 何やら手を差し伸べて指を波打たせ、誘惑しているようだが。

 それを見た男は、

「?」

 訳が分からずに家捜しを再開した。タンスの裏を覗き込み、押入れの奥を覗き込み、壷の中を覗き込み――

 しばらくして、また視線が窓の外に向いた。

 女児が四つん這いになっていた。こちらに尻を突き出し、雌ヒョウのポーズで悩まし気に親指をチュパチュパ口に含む。

『うっふーん。』

 男の方をじぃぃぃぃぃぃ~っと見ている。

「……!?」

 男の表情が一変した。ジト目というか何というか――


「フッフフッフフ~ン。」

 朝の柔らかい日差しの中、お子ちゃまは自宅前の芝生で腹這いになり、ルンルン気分でエロ本を読んでいた。

 表紙には全裸の女性が大股開きや雌ヒョウのポーズで描かれている。

 ギギッ。

 山小屋の引戸が軋みを発てて開いた。

 お子ちゃまの背後に先ほどの筋肉男が仁王立ちになる。彼は全身から精神的火柱を立ち昇らせ、顔を真っ赤にしていた。

「ネネっ、今日は修行の予定じゃなかったのかぁっ!?パパが決めた昇級試験の日じゃなかったのかぁっ!?」

「ひッ……!」

 筋肉男の怒鳴り声に、お子ちゃまは言葉を失った。

「どりゃあっ!」

 お子ちゃまの両足首を引っ掴み、自分の踵を支点にグルグルと振り回す筋肉男。

 お子ちゃまが読んでいたエロ本は芝生の上に伏した。

「パパちゃま、なんでちか、こんなに振り回して!ちょっと、いつもより速いでち!」

 遠心力で涎や鼻水を飛ばしながらも、お子ちゃまは己の父親に抗議する。

 それに対する“パパちゃま”の答えは、

『エロ本は大きくなってから!

 ――魔法ハンマースロー――!』

 筋肉男の両手が閃光を解き放つや否や、お子ちゃまの体は仰角四十五度で発射された。


『グガーオッ!グガーオッ!』

 突然、巨大な咆哮が森に轟いた。ただの獣ではない。まさに巨獣の叫びだ。

 それもそのはず。森にはトカゲを大きくして背中にコウモリ羽根を生やしたデザインの巨大生物が徘徊していた。

 森の守り神ドラゴンである。それも一頭や二頭ではない。森のあちらこちらから数十頭――否、数百頭の咆哮が折り重なるようにして伝わった。

 この地域は古来より“ドラゴン盆地”として名を馳せている。森や草原、川や湖、湿地帯など多種多様な自然環境が一つの盆地に共存し、様々な巨獣や魔物を育んで来た。あまりに危険な地域であるため、現地のカムサラ王国政府でさえ干渉を拒むほどだ。

 だが、そんな中にも例外はあった。

 盆地には猟師一家が住んでいた。盆地の下流域に一軒の山小屋を建て、代々そこで暮らしている。

猟師 というからには――そう。彼らはドラゴンを狩るのだ。


 時刻は早朝。天気は快晴――

“女児”は広大な森の上空を舞った。

「いつものことでちけど、パパちゃまのお仕置きは度がすぎるでち。」

 父親への愚痴を零しながらも放物線を描いて飛んでいく。

「ママちゃまが死んで以来、夜の淋しさをまぎらわせるのはエロ本ばかり――たまにはカムサラ王国の町娘の一人や二人お家に連れ込んでイテコマしたらどうでちか?」

 オムツパンツ姿の娘には言われたくない。

「まったく――」

 さらなる苦情を並べようとした時、“女児”は何かの気配を感じ取った。

『クカーッッッ!』

 すぐ横に飛行膜ドラゴンのクチバシがあった。体は平べったく、逆三角形の凧みたいな形をしている。主翼の幅は十馬身ほどもあった。そいつが自分を餌として狙っていた。

「ひいっっっ、プテラノドラゴンでち!」

 迫り来る巨大なクチバシを両手で真下に払い落とす。

 と、“女児”の体はドラゴンの頭の上を転がり、首の上を転がり、背中の上を転がり、尻尾の上を転がり、最後にポンッと弾かれて宙に舞い戻った。

 そこへ別のドラゴンが突進して来る。

「またでち!」

 見ると、他にも数頭の仲間が飛び交っていた。計算され尽くした連携攻撃か。

「ほいっ!」

“女児”は身を翻し、二撃目のクチバシを躱した。避けたところに、そいつの左翼が迫った。

「ふんがっ!」

 ――ガブリと噛み付く。大きな主翼の中ほどに力いっぱい。

『クカッ、カカカカッッッ!』

“女児”に食われたドラゴンはバランスを崩し、錐揉み飛行で急降下した。

 地上まで残りわずかとなった地点で“女児”が巨体を蹴って離脱する。と、ドラゴンの方は恐怖に戦いた様子で上昇に転じた。

 もう追って来る気配はない。

「これで、ひと安心でち。」

 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、森の切れ間に全長十五馬身にも及ぶ陸上型の肉食ドラゴンが控えていた。

 背中に小さなコウモリ羽根を生やした首の長い二足歩行タイプで、頭の左右には角が一本ずつ窺える。

『グガーッッッ!』

 そいつが大口を開けて空から降って来る餌を待ち構えていた。

「理不尽でち!」

“女児”の軌道と大口の座標が重なった。

 ガチッ!

 ――哀れ、お子ちゃまの躍り食い――と思いきや、“女児”は両脚を目一杯に開いてドラゴンの口先を上下に押さえ込んだ。

 V字大股開き『あっはーん。』の訓練(?)が効いようだ。

「とおうっ!」

 身を翻して地面に着地する“女児”。

『グガッ、グガッ、グガーオッ!』

 右へ左へジグザグに走る餌を追って噛み付き攻撃を連発するドラゴン。

 一撃が放たれる度に空を切った牙が地面が抉った。

「や、や、や、や、やめるでち!ねんねと仲良くするでち!」

“女児”が木々の間を縫うように走り抜けると、ドラゴンも負けじと障害物を突破して追い縋った。

“パパちゃま”とかいうのも凄いが、この娘も半端な強さではない。

 この“女児”の名は、ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースン。“ドラゴン盆地のネネ”という意味である。自分では『ねんね』と名乗っているようだ。

 何を隠そう、この物語の主人公である。職業はドラゴン猟師見習い。満五歳。

 容姿は可愛い。容姿だけは……。

「あっ、そうでち!ねんねが名前つけてあげるでち!今日からチミはパールちゃんでち!よろしいでちか!?」

“パールちゃん”でも“ダイヤちゃん”でもドラゴンの凶暴さに変わりはない。



 V字に侵食を受けた谷が延々と続く。通称“ドラゴン街道”――


 山脈に囲まれたドラゴン盆地の辺遠部に位置する。木々は疎らで見通しは良い方だ。

「パパちゃま!昇級試験はドラゴンとの格闘だって言ってたでち。それなら朝やって来たでち。空中戦も地上戦もクリアしたでち。」

 ネネは並び立つ父親に訴えた。

「――で、勝ったのか?」

 父親は淡々と返した。

「うぐぐ……」

 言葉に詰まるネネ。勝ってはいない。単に逃げただけである。

「だからって、ねんねをグルグル巻きにしてどうするつもりでちか?」

 彼女が不機嫌そうにしているのは、ムシロと荒縄で体を簀巻にされているからだ。

 父親は質問に答えない。ただ寒々しい風だけが谷を吹き抜けた。

 そんな時――

「んっ?ドラゴンの臭いだ。かなりデカい陸上タイプの、むむむっ!こいつは魔力を持っているぞ!」

 谷の向こうを見据えて、父親は簀巻のネネをヒョイと小脇に抱えた。

「マジックドラゴンでちか!?」

「ああ、もちろんだとも。立派な奴だ。」

 父親がニンマリと嗤った。

 彼の名はガター・ザ・ドラゴンズヴェースン。“ドラゴン盆地のガター”という意味である。

 代々ドラゴン盆地で生活する猟師一家の頭領である。


 物語の中で他人に名前を呼ばれる事は――無い――。


 ガターは斜面を登ってネネをある場所まで運んだ。

 斜面の中ほどに、とても大きな装置があった。二本の大木に太いゴムを何重にも渡して中央に樽を括り付けた代物である。

「さーて、中に入りましょうねぇ。」

 その樽にネネを詰め込む。

『グガーッ、グガーッ!』

 絶好のタイミングで谷の向こうからドラゴンが現れた。奴はノッシノッシと“ドラゴン街道”を突き進んだ。

「ここで待っていれば、ちょうどいい“的”が通ると思ったんだ。」

 樽の部分を後ろに引っ張ってゴムを引き伸ばせばどうなるか、もうお分かりであろう。

「なんとくパパちゃまの魂胆は想像つくでちけど、念のために訊いておくでち。ねんねに、なにをやらせるつもりでちか?」

「ネネっ、ドラゴンを貫け!貫き通せ!」

 ガターは斜面の上まで樽を引っ張る。もうゴムは伸び切って限界を迎えている。

『グガッ!』

 運の悪い事に、ドラゴンが父娘の存在に気が付いて立ち止まった。

 それはネネにとって見覚えのあるドラゴンだった。

「パールちゃん!」

 今朝、彼女を食おうとした個体である。

『グゥゥゥー……』

 低い唸り声を上げるパールちゃん。

 徐々に徐々に閉じた口の中に魔力が凝縮された。口から何かの魔法を吐き出すつもりだ。

「いやでち!怖いでち!助けてでち!」

 もはや涙目のネネ。鼻や口からも色々な種類の汁が垂れている。

「これができたら一人前のドラゴン猟師だ!ご先祖様が打ち勝って来た試練をオマエも突破するのだ!」

 ガターは限界まで樽を引っ張った。

「ぜったいウソでち!幼稚すぎるでち!」

『飛べ!

 ――魔法パチンコ――!』

 ガターの両手に生まれた光が樽に乗り移る。次の瞬間、巨大なパチンコからネネ弾が発射された。

「いやでち、いやでち、いやでち、いやでち、いやでち、いやでち!」

 風を切って突き進むネネ弾。

『グガアアアアアアッッッ!』

 大口を開けて灼熱の魔法弾を吐き出さんとするパールちゃん。

 こいつは火炎系のマジックドラゴンだったようだ。最悪のパターンである。たかが見習い無勢に、これだけのドラゴンが倒せるものか。

 と思った刹那、ネネの両目が光を放った。

『はああああああああああああっっっ!

 ――魔法ヘッドバット――!』

 ただ光る頭で突進するだけの技である。

 技を繰り出したのは、もちろんネネ。気合一発、ド頭を光らせてパールちゃんに頭突きをお見舞いする――はずだった。

『グワッッッ!』

 着弾の寸前、ネネ弾に恐れを為したパールちゃんがビクッと身を伏せた。

「避けるなっ!」

 ガターのツッコミがパールちゃんに届く事はなかった。

 ネネ弾は物凄い勢いでドラゴンの頭上を飛び越えて、

 ごちっっっ!

 背後の岩山に突き刺さる。

 数秒後、簀巻の体がグラリと傾き、中腹の辺りからズルズルと麓まで滑落した。

 果たしてネネは無事なのか!??

『ホンゲーオッ、ホンゲーガグゲゴゲッ!』

 その一方で、ドラゴンは一目散に谷の向こうへダッシュした。

 ネネたちが見えなくなってもダッシュした。


 それから少し経って、

「ネネ、生きてるかぁ?」

 ガターがネネの元に駆け寄った。いつもの出来事といった感じで我が娘を抱き起こす。

 ネネはオデコを真っ赤に腫らして、白目を剥いて、意識朦朧として、簀巻のまま呻いていた。

「ね、ね、ね、ね、ねんねは逃げなかったでち!このチキンレースは、ねんねの勝ちでち!」

 ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースン(満五歳)、勝利の瞬間である。

「仕方がないなぁ~。魔力を籠めた技が使えるようになったから、一応は合格だ。約束通り、ご褒美をやろう。」

 ご褒美?そんな約束をしていたのか。

「ほら、手を出せ。」

「……出せないでち。」

「???」

「どこぞの筋肉男にグルグル巻きにされて身動きが取れないので、お手手は外に出せないでち。」

「いいから早よ出さんかいっ!」

 ガターは簀巻の一カ所を突き破ってネネの右手を引き出した。

 金や食いものでは在り来りだが、きっと彼らの事なので普通では済まないはずだ。

『我らを混沌の淵へと誘う地獄の門よ。今こそ、渡られよ。』

 何かの魔法を使うつもりらしい。ガターが呪文を唱えると、翳した左の掌に魔法陣が浮かび上がった。

 円に囲まれた文字列が並んでいる。それをネネの右の掌に重ねたところ、魔法陣が宙を飛んで乗り移った。

 バチッ!

 電撃が弾けたような音と共に“ご褒美”の受け渡し作業が終わった。

 なのに、ネネは自分の掌に浮き出た紋様を見て浮かない顔だ。そこには黒い刺青のようなものが印刷されていた。

「どうした、ネネ?前から欲しがってたじゃないか。」

「“目印”のデザインが格好悪いでち。」

 それかよ……。

 心の中でツッコミを入れるガター。それでも我が娘の愚痴は続く。

「呪文も古臭くて、お子ちゃまのねんねにはついていけないでち。“目印”も呪文も後で登録しなおすでち。」

「勝手にしろ。オレは狩りに出る。」

 呆れ返った様子で、ガターはネネから手を放して立ち去った。

 支えを失ったネネの体は再び横倒しになり、ごちっ!と頭蓋骨のダメージが大きそうな音を鳴らした。

“ドラゴン街道”の真ん中で、ネネが再び白目を剥いた。



 時刻は昼前。天気は曇り――

「ン…なんでちか?こそばゆいでちね。」

 ネネは頬の辺りに生暖かい風を感じて目を覚ました。修行が終わってから、もう二時間ばかり経過していた。

 目を開けると、そこに爬虫類の大きな口があった。

「ひッ……!」

 ネネの顔が強ばる。が、すぐに力が抜けて溜息を漏らした。

「フゥ~、草食ドラゴンでちか。」

 目の前に立ってネネの匂いを嗅いでいたのは、全長二十馬身はあろうかという四足歩行の首長ドラゴンだった。

 ずん胴な体型に細長い首と細長い尻尾が特徴で、体格の割に頭は小さい。樹木などの葉を主食としている。基本的に人畜無害だ。

 無害のはずなのだが、

 モサッ、モサッ―― 

 先ほどから草食ドラゴンがネネの体を甘噛みしているような気が。

「なにしてるでちか?」

 モサッ、モサッ、モサッ―― 

「まさかチミは偏食家!?や、や、や、や、やめるでち!ねんねなんか食べても美味しくないでち!あっ、そうでち!ねんねが名前つけてあげるでち!日からチミはデカトンちゃんでち!よろしいでちか!?」

“デカトンちゃん”でも“メガトンちゃん”でもドラゴンの食性に変わりはない。

 モサッ、モサッ、モサッ、モサッ―― 

「あっへっへっへっへっへっへっへっ、くすぐったいでち!やめるでち!」

 もがいている内に、ネネは体の自由が回復した事に気が付いた。

 簀巻が解けたのだ。どうやら草食ドラゴンは、ネネの体に巻き付いたムシロと荒縄を味わっていたらしい。

「――ビックリしたでち。それが食べたかったんでちね。」

 草食ドラゴンが珍味を飲み込んだところで、ネネは我が父から譲り受けた“ご褒美”を覗き込んだ。

「このポケット魔法、なにが入ってるんでちか?」

 ネネの言う“ポケット魔法”とは、色々な物を蔵っておくための“格納魔法”の事である。

「この前、ママちゃまのものだって言ってたでちけど。」

 疑問に思ったら、とりあえず魔法を使ってみるしかない。

「ンー、ぐぐぐぐぐぐぅぅぅっ!」

 ネネは修行で見せたように魔力を発生させた。全身から溢れ出す光が右の掌へと集まり、“目印”が輝いた。

 紋様がグニャリと歪んで不思議なデザインへと変化する。

 簡単に言うと、ピンク色で円の中に “ね”。 

『マジカルぽっけ、ぽけっと開けて!』

 自作の呪文を唱えるネネ。一瞬だけ“ね”が膨張し、そこから光が放射状に弾け飛んだ。

「これは!?」

 気が付くと、自分の正面に見覚えのある衣服が散乱していた。

 ネネは喜び勇んで、それを一つ一つ拾い上げて試着した。

「ママちゃまのマント!」

 空色のマントが一つ――

「ママちゃまの帽子!」

 逆さ円錐の帽子が一つ――

「ママちゃまの杖!」

 先端に宝玉の付いた杖が一つ――

「ママちゃまのリュック!」

 茶色い革製のリュックサックが一つ――

「…………」

 そして、巨獣に食い千切られた血染めのロングスカートが一着――

 それらの品々は、ネネがまだ三歳の頃に死に別れた母親の遺品だった。

 無言で立ち竦むネネの前を、草食ドラゴンが無関心に横切って谷の向こうへと消えた。



 時刻は昼過ぎ。

 カムサラ王国南西部・グッチャンの町。商店街大通り・南端――


 店主も親子連れの通行人も、そして役人も、みんなが息を呑んで事の成行きを見守った。

「このブーツはママちゃまのマントにピッタリでちね!」

 ネネは靴屋の店先で真っ赤なブーツを試し履きした。

 Tシャツとオムツパンツの上に、手に入れたばかりのママちゃまセットを身に付けたファッションだ。愛用のサンダルは足元に転がっている。

 とっても似合わない。空色のマントを地面に引きずり、ブカブカの帽子を被り、背丈の一.五倍はある杖を抱えているのだから。

 血染めのロングスカートだけはリュックにでも蔵ってあるのだろう。

 靴屋の店主らしき壮年男性は店の奥で息を潜め、ネネの行動を監視した。

 ――なるべくならドラゴン猟師一家には関わり合いたくない――それが町人たちの本音だった。

 怯えている役人を見れば想像できるだろうが、ネネもガターも実質的に不可侵なのだ。

 ドラゴン盆地がカムサラ王国の領土であるというのは名目上の事に過ぎない。

 他国の外交官に治外法権が与えられるのは常識だが、ドラゴンズヴェースン――すなわち“ドラゴン盆地”の名を冠する者々が持っていたのは治外法“力”だった。

「オヤジ!靴屋のオヤジ!」

 ネネの呼び掛けに店主がビクッと体を震わせた。

 ここで“お客様”のご機嫌を損ねてしまったら、どうなるか分かったものではない。

「な、何で御座いましょうか?」

「このブーツ気に入ったから買うでち。」

「それはファイヤードラゴンの皮革を用いた当店の最高級品ですので、お代は金貨十二枚になりますが、持ち合わせの方は?」

 役人の月収ほどはある。

 そして、ネネのオムツパンツに金貨が詰まっているようには見えなかった。

「ツケで買うでち。料金は後でパパちゃまに請求するでち。」

「誠に申し訳ないのですが、当店はツケ禁止となっております。」

「むむっ!?」

 たちまちネネの眼光が店のオヤジを捉えた。

「アウッ……!」

 凍り付いたように固まるオヤジ。と同時に一、二歩後退するヤジ馬たち。

 辺りの空気がピンッと張り詰めた。

「だったら物物交換で清算するでち!ちょっと待ってるでち!」

 ネネはプンプンと頬袋を膨らませて大通りを駆けていく。

「そのブーツ、ぜったい他の人に売るでないでちよ!」

 という傍迷惑な言葉を残しつつ。


 その十分後――


 大通りの先で土煙が上がった。ネネに違いない。何かを引きずっているようだが。

 ズザッッッ!

 靴屋の前に全長三馬身の陸上型ドラゴンが横たわった。口からベロリと舌を出し、すでに事切れている。

 今、狩って来たのか。

「このドラゴンと真っ赤なブーツ、取っ替えっこするでち!」

 その場でネネの妄言に逆らえる者は誰一人としていなかった。

 まあ、欲しいものを強奪する輩よりはマシなのだが。


「ブーツ、ブーツ、真っ赤なブーツ!」

 数分後、商店街大通りの中ほどを、買ったばかりのブーツで闊歩するネネがいた。

 迷惑な話だ。周囲の通行人は彼女から即かず離れず距離を保って進むしかない。

「んっ?ブラウスも着てみたいでちね。」

 次のターゲットは服飾店か。可哀想に。

 ネネと目が合った店主の中年女性は、絶望の眼差しで肩を落とした。

 ドザッッッ!

 またドラゴンが一頭、大通りに横たわった。

 ネネのオシャレ度合に比例して、グッチャンの町にドラゴンの亡骸が増えていく。


 商店街大通り・北端――

「これで完璧でち。」

 そこには、驚くほど上質な衣服に身を包むネネが立っていた。すっかりご満悦の様子である。

 彼女は今朝と同じルンルン気分で ドラゴン盆地 を目指した。

 どうしても行ってみたい場所があった。


 ――約一時間後、ネネは山小屋の前を通る。彼女は芝生の一画に建っていた墓をチラリと見てから、森の中に消えた。

 おそらく母親のものだろう。我が母が遺した衣服を着て森に入る気分とは、どのようなものなのだろうか。


 同じ頃、グッチャンの町は久しぶりの大豊猟で活気付いていた。

「さあっ、他には居ないかね!?

 二〇〇枚、二〇〇枚、二〇〇枚、二〇〇枚――

 おっと、二一〇枚、二一〇枚――

 もう居ないね!?ハイッ、金貨二一〇枚で落札!」

 知らせを聞き付けた数百人の肉屋が商店街大通りに群れ集まって、各店舗の前でドラゴン肉を競っているのだ。

 これが後で大問題になるとは――ネネ自身、知る由も無かった。


 日差しが一番暖かく感じる頃、 ドラゴン盆地 を見下ろす高台の大岩の上で寝ん寝するネネ・ザ・ドラゴンズヴェースンの姿があった。

「――いひひひっ!」

 彼女は夢の中で、自分と同じマントと帽子を身に付けた“ママちゃま”に抱かれていた。

 この同じ大岩の上で、母親の胡座の上で、心行くまで寝ん寝されてもらった日々。

 顔は良く覚えていない。ただ、マントから微かに香る汗の匂いに覚えはある。

 ネネは久々に味わう至福の一時を楽しんだ。


 時刻は昼下がり――

 ネネは杖に果物や小型のドラゴンを括り付けて山小屋に帰宅した。夕飯のオカズにでもするのだろう。

 ふと、その歩みが止まる。芝生の中に建つ墓から目が離れなかった。

 ギギッ。

 引戸を開けて山小屋に入るネネ。墓の台座の上に一房の果物が乗っていた。

 ガサゴソ――!

 この時、すぐ脇の茂みに潜む怪しい影があった。二つの目が、たった今墓に供えられた果物を狙っていた。

 バッッッ!

 木の葉が舞い散り、小さな陸上型ドラゴンが瞬く間に果物を掻っ攫う。窃盗犯はカンガルーのようにピョンピョン跳ねながら逃走を試みた。

 次の瞬間、山小屋の引戸が勢い良く開け放たれ、ネネが飛び出した。

「ママちゃまのお供えもの盗るでないでち!」

 そう言い放って杖でドラゴンを殴り付ける。

 がつんっ!

 ドラゴンはその場に果物を落として、お空の向こうに吹っ飛ばされた。

「まったく、最近のドラゴンは教育がなってないでち!今度おイタしたら丸焼きにして食べるでちよ!」

 ネネはブツブツと文句を垂れながら果物を台座に戻す。

『ママちゃま』のものを盗るなんて、絶対に許される事ではない。収まらない怒りを堪えつつ、ドラゴン猟師見習いの女児は山小屋に入っていく。

 ガサゴソ――!

 数秒後、また何者かが表の芝生に侵入した。

 そいつは何のためらいもなく台座の果物に手を伸ばした。現行犯だ!逮捕だ!お仕置きだ!やってしまえ!

 全く同じタイミングで、山小屋の引戸が勢い良く開け放たれたのは言うまでもない。

「ママちゃまのお供えもの盗るで――なッ!?」

 と杖で殴り付けようとして動きを止めるネネ。

 果物をムシャムシャと頬張る我が父と目が合った。ネネは無言で反転し、瞬く間に山小屋に飛び込んだ。

「?」

 ガターは訳が分からず、たった今狩って来た小型のドラゴンを担いで山小屋の前を通り過ぎた。

 彼は町の方に行くつもりらしい。

「ハ~ハ~……!」

 山小屋の中―引戸の裏ではネネが荒い息遣いで汗だくになっていた。

 心臓は猛烈な勢いでバクバク鼓動していた。小さな頭の中は混乱で真っ白になっていた。



 時刻は夕方――

 グッチャンの町に到着したガターが目にしたのは驚くべき光景だった。

 商店街大通りで何体ものドラゴンが腹を割かれ、皮を剥がれ、解体されていた。

「何だ、これは……!?」

 呆然と立ち尽くしているところに一人の肉屋が現れて、ガターが狩ってきたドラゴンを値踏みする。

「旦那、そのドラゴンですかぁ?もう間に合ってますよ。まあ、どうしてもって言うなら、金貨五枚くらいで手を打ちますがね。」

「金貨五枚だと!?馬鹿を言え!わざわざ魔力の高い種類を選んで狩って来たんだぞ!この大きさでも金貨五十枚はするハズだ!」

 町にドラゴン肉が溢れ返っている現状では無理な話だ。

 結局、ドラゴン猟師と肉屋の交渉が成立する事はなかった。



 もう夕飯という頃、ネネは山小屋にいた。

「いひっ、いひひひひひひひっ!」

 ママちゃまセットと超高級子供服を身に付け、鏡の前でポーズを取って悦に入る。自分に不幸が迫りつつあるとも知らずに。

 ガサゴソ――!

 表の芝生が何者かによって踏み締められた。

 そして、山小屋の引戸が開く。

 そこに立っていたのは、両目を魔力の光で輝かせた我が父だった。彼は売れ残った小型のドラゴンを背中に担いでいた。

「あっ、パパちゃま、お帰りでち。」

 ネネは今日一番のご機嫌スマイルである。

『需要と供給のバランスを崩すな!

 ――魔法スマッシュ――!』

 開口一番、彼はドラゴンの亡骸をコン棒にして我が娘を薙ぎ倒した。

「な、な、なにするでちか!?ちょっと首の筋が違えたでち!」

 ちょっとだけか。これだけ殴られて。

「勝手に森でドラゴン狩るんじゃないっ!勝手に町でドラゴン売るんじゃないっ!」

「ひいっっっ、ねんねは可愛い服がほしかっただけでち!出来心でち!許してでち!」

「『許せ』だあ!?許せねえなぁっ!」

 ガターが床に手を翳すと、そこに五紡星の魔法陣が現れた。ネネの真下である。

「魔法陣!?なにするつもりでちか!」

「おめでとうネネ、記念すべき初めての遠足だ!行ってらっしゃい!」

 そして、ガター・ザ・ドラゴンズヴェースンはトドメの呪文を唱えた。

『闇から闇へ、大地を渡れ、海原を渡れ、天空を渡れ!

 ――送還――!』

 それは転送系魔法の一種だった。人や物を遠隔地に飛ばす技だ。

 大量の魔力を消費するのだが、ドラゴン猟師ともなれば使うのは容易いだろう。

 見る見る内に、ネネの体が魔法陣の中に呑み込まれて沈んでいく。

「ああああああああああああっっっ!」

 山小屋に――もとい、 ドラゴン盆地 にネネ・ザ・ドラゴンズヴェースンの断末魔(?)の叫びが響き渡った。



「――というのが、ねんねが雪山の真ん中に立ってる理由でち。」

 雪山に佇む魔法女児ネネは、何度か「うむうむ」と頷いた。

「まったく、ドラゴン肉の市場価格を大暴落させたくらいで、雪山に置き去りは無理があるでち。」

 いや、かなりの損害だと思うぞ。

「パパちゃまは女日照りの欲求不満でちね。もう可哀想で見てられないでち。」

 あらためて周囲を見渡す。本当に何もない。あるのは白い雪ばかり。

「たしか、ここはドラゴン盆地のお隣にある山脈の中、お家までは歩速で三日ってところでちね。こんなことくらいで、お仕置きになると思ってるんでちか?」

 というように最初は気丈にしていたネネだったが、そこは五歳児。だんだん淋しくなって来て独りでに涙が零れた。

 口は“ヘ”の字に折れ曲がり、眉は“ハ”の字に折れ曲がる。

「やっぱり早くお家に帰りたいでち!」

 きっと『雪山の斜面を全速力で横切ったら危ない』という知識は無いのだろう。


 ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッッ――!


 泣きじゃくって走り始めると、あまりの衝撃に斜面が崩壊した。

 ここに大雪崩VSお子ちゃまの追い駆けっこが始まった。

「ひいっっっ、パパちゃま、理不尽でち!あまりにも理不尽でち!」



 その頃、ドラゴン盆地の山小屋では――

「フッフッフッフッ、これは我が家に代々伝わる独立の儀式だ。」

 ソファーに踏ん反り返って“児童遺棄”の真実を語るドラゴン猟師の姿があった。

「ネネ、オマエはまだまだ半人前だ。この試練を乗り越えた時、初めて一人前のドラゴン猟師となるのだ。

 ハッハッハッハッハッハッ!ファッハッハッハッハッハッハッ!」

 ガター・ザ・ドラゴンズヴェースンは暖かい山小屋の中で、世界征服を目論む悪役のように嗤い続けた。



 ――ねんねの昼寝――おわりでち。


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