マジカルねんね!(6)
王宮の一室の窓から、白く褪せた空が見えた。時刻は昼過ぎだ。
物音に気付いて、ベットに横たわる老人は上体を起こす。
「いえ、そのままで。」
傍らに立つ中年男性が、老人の体を支えて元の姿勢に戻した。
「さあ、御父上。雫落としの御時間です。」
彼は円筒形の容器を差し出した。大きさは握り拳ほどで金色をしている。
「済まぬ。もう、あまり目が見えないんだ。」
「形は分かりますか?」
中年男性は老人に円筒形の容器を握らせた。
「衛生管理は?」
「容器は純金製です。蓋はネジ式で、閉めた後に炎の魔法で隙間を熔接しました。溶液が漏れる心配はありません。あとで丸ごと油で煮て消毒します。なるべく容器の中心に一滴だけ落として下さい。」
「よし――」
言うと、老人の目が淡い光を帯びた。
『我らを混沌の淵へと誘う地獄の門よ。今こそ、開かれよ。』
たちまち掌から光が溢れ出し、その輝きが容器の中に呑み込まれて消えた。老人は何かの魔法を使っていた。
「成功です。」
中年男性が容器を左右に振ったところ、中からピチャピチャと液体の音が聴こえた。
「今日は御疲れでしょう。このまま御休み下さい。」
「――うむ。」
老人は静かに目を瞑った。中年男性の方は容器を持って部屋から出ていく。
「ロンダー……」
「はい?」
“ロンダー”と呼ばれた中年男性は老人を振り返った。老人は目を瞑ったままだ。
「そろそろ、ワシの後を継いで貰おうと思って居る。」
「御父上……」
言葉を失うロンダー。
――後を継ぐ――それが何を意味するのか、彼は良く知っていた。
木々の生え揃った庭園の中を進むと、石造りの建物が現れた。ロンダーは小さな鉄扉を開け、その先の階段を降りて地下室に入った。
そこには一人の女性が待っていた。女性は頬被りをして、油の煮立った大きな鍋を鉄の棒で掻き回す。火傷をしないように調理用の分厚い手袋をしているようだ。
「あら、ロンダー。早かったですね。ゼッター様は?今日は順調でしたか?」
「いや、そうでもない。」
途端にロンダーの表情が曇った。
「…………」
彼の心中を察して女性は手を休める。
「それならば、私達の事、今の内に公にしましょうか。」
「私も、それを考えていた。」
ロンダーは黄金の容器を鍋に放り込んで、沈み行く輝きを目で追った。
「あら、やだ。」
女性は恥ずかしそうに笑って、鍋の撹拌を再開した。
小さな窓の付いた暗い部屋に、あのロンダーがいた。周囲の棚を様々な書物や薬品が占領していた。
彼は机の上に、熱湯の張られたタライを用意した。次に黄金の容器を取り出し、炎の魔法で熔断する。
と、中から小サジ一杯ほどの“雫”がタライに落ちた。焦げ茶色の液体である。熱湯は“雫”で琥珀色に染まり、そこに飴状の凝固剤が加えられた。それを木の棒で掻き回して均等に仕上げる。
溶液の粘度が増したところで、練って捏ねて延ばして折り畳んで、手延べ麺のように細長い物体が作られた。
折り返す度に何かの粉を振って麺同士がくっつかないようする。冷えて固まった物体を包丁を切り分ければ、錠剤の出来上がりである。
ロンダーは錠剤の一部を金庫に入れ、残りを袋に入れて部屋を出た。
彼はハシゴを伝って、どこかの給水塔に上がった。場所は王宮の東端にある。眼下の広場や隣の建物では、剣士や魔法使いが大勢で訓練をしている。
王都の全景を見渡す。どこまでも人造物が続いていた。
目線を下げる。貯水槽の蓋を開けると、すでに大量の錠剤が沈んでいた。
ロンダーは貯水槽に新しい錠剤を放り込んで、その場を後にした。
クラットの町を発った翌日の午後一時過ぎ、あたしたちは王都に到着した。
「ずいぶん広いでちね。」
ネネは腕組みをして高台から王都を見渡した。視線の先に、大きな白い建物がいくつも並ぶ区画があった。
「あそこが王宮よ。」
「ずいぶん儲かってるでちね。」
「エーと……」
指を差すポーズのまま固まるあたし。
「あっ、何か光ってるぞぉ!」
今度はタムが王宮の左手前を指差した。そこからモクモクと煙が立ち昇った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ―ッッッ!
数秒後、地鳴りのような爆音が轟いた。
「魔物が出たようでちね。」
「うそぉ!?」
あたしは顔を圧える。とても億劫な気分だ。
「どうも、あたしたちの行く先々で魔物が湧いて出てるような気が。」
「また戦うのかぁ?オレ、疲れたよ~。」
「行くしかないでしょ。いちおう公務なんだから。」
ということで、あたしたちは事件現場へと急行した。
王都では想像以上の混乱が発生していた。あちこちで連続して爆音が鳴り響き、大中小様々な魔物が家を壊して回った。
住人は家財を持って逃げ出し、兵士は建物の陰から魔物に魔法を浴びせた。
「駄目だ!ひとまず撤退し、主力部隊の到着を待つ!」
隊長は振り返って部下に命令した。その時、『ニャッ!』と黒ネコが彼に飛びかかった。
「アッ!?」
隊長は反応できなかった。黒ネコは顎を百八十度も開いて隊長の喉元を狙った。
ザクッ!
『ニャオッ!』
突然、魔物が体を退け反らせて砂のように消えた。その向こうにタムが立っていた。
「待たせたなぁっ!」
いつもの格好つけポーズだが、自分の背後に迫る巨大な黒ヘビには気が付いていない。
『キシャッッッ!』
叫んだ直後、ヘビは剣で斬られて消滅した。
「見得切ってる暇あるなら、戦え!」
あたしはタムを叱った。怒鳴られた弟はビクッと体を竦ませた。いつもの事だが。
「済まない!何処の誰かは知らないが、助かった!」
体勢を整える隊長。その前をネネが通り過ぎた。焦っている様子はない。王都に到着してから、ずっと腕組みをしたままなのだ。
「うーむ……」
彼女は辺りを見回して考え込んだ。
「ちょっと数が多すぎるでちね。魔物のレベルも昨日の連中より数段上でち。」
「魔法で、どうにかならないの!?」
「いいでちけど、ねんねは長時間労働がきらいでち。」
「むッ……!」
あたしは、しかめっ面をネネに向ける。
「全部いっぺんにやっつける方法とかあるでしょ!?昨日の朝みたいに!」
「あるにはあるでちけど……」
「だったら、それを使いなさい!」
「――経済効率が悪すぎるでち。これ一回で金貨千枚が飛ぶでちよ。こんなザコに金貨千枚は使えないでち。」
『…………』
あたしとタムは凍り付いた。この間にも被害は膨らんでいく。
「そんな事言わないで助けてくれよ!お嬢ちゃん、魔法使いだろ!」
隊長もネネに懇願するが、彼女の表情は変わらなかった。
その時、ネネが空を見上げた。隊長も釣られて顔を上げる。あたしたち姉弟も例外ではない。
いつの間にか、王都の上空に巨大な赤い魔法陣があった。そこから下向きに大きな四本足が湧いて出た。
次に楕円形の平べったい胴体が。最後に短い頭と尻尾が――
「カメ!?」
あたしは叫んだ。間違いない。カメだ。漆黒の巨大なカメが魔法陣から降って来た。
カメは猛スピードで着地し、轟音と共に数件の建物を粉砕した。役目を終えた上空の魔法陣は消滅する。
「うわぁぁぁっ、もっとデカいのが現れた!」
隊長は涙目でネネに縋り付く。
あんた、大人だろ……。
とりあえず心の中でツッコミを入れた。
『カーッッッ!』
カメの攻撃が始まった。口から吐き出すビームで建物が数件まとめて吹き飛ぶ。
「あんなの、どうやって相手にするのよ!」
「姉ちゃん!戦略的撤退って、どう?」
「逃げるつもり?」
振り返って弟を睨む。
「あっ、いやっ、命あっての物種とも言うしさあ!あはははははっ!」
「ネネちゃんは、どうするの?」
『いっひっひっひっひっ!』
そのネネはカメを見上げて嗤っていた。どうも様子が変だ。
『経済効率が採算ベースに乗ったでち!』
彼女の異常反応は毎度の事だが、その中でも最上級の悪人顔だった。
「はあ?」
ネネ以外の三人が一斉に首を傾げた。
採算ベースって?
『カッ、カッ、カッ、カーッッッ!』
カメはビームを方々に乱射する。王都を閃光が照らし、頭上を爆風が駆け抜けた。
『いっひっひっひっひっひっひっ!』
そんな中、ネネは極悪人の嗤い声と共に杖を振り上げてクルクルと回し始めた。杖の宝玉が目映いばかりの光を解き放つ。
『ドラゴン来い来い、こっちゃ来い!』
カメが現れた時と同じように、上空に赤い魔法陣が現れた。
『――召喚――!』
杖が振り下ろさた次の瞬間、魔法陣の底部から巨大なドラゴンが湧き出し、自由落下を始めた。
ドラゴンは首が短く、角がなく、四本足で立ち、背中に小さなコウモリ羽根を生やしたタイプだ。体はクリーム色をしている。
額にある丸に“ね”というピンク色の刻印は何だろうか。
「また何か降って来たぞぉ!」
タムは反射的に建物の蔭に隠れた。
「ドラゴン!ネネちゃんが召喚したの!?」
あたしも念の為、タムの後に続いた。
「もう勘弁してくれ~!」
隊長の方は、その場で腰を抜かしていた。
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