マジカルねんね!(5)
クラットを出発して数時間後、あたしたちは郊外の街道を歩いていた。今日は、もう少し先にある村に泊まる予定だ。
「ぶぅ~!」
報告せねばなるまい。もはやネネはタムのお手々つなぎ攻撃に観念している。
ムスッとした顔で、仕方なく手をつないでいる。もちろん、弟の方はニコニコ顔だ。
ここで一行は開けた場所に出た。森の切れ目は少し離れたところにある。そこで蠢く気配を、あたしは察知できなかった。
ガサゴソッ!
いくつもの影が折り重なるようにして木々の向こうから現れた。ネネが立ち止まったのは、まさにその時――
「どうしたの?」
『グピーッッッ!』
あたしが訊ねた刹那、森の方角から凄まじいまでの咆哮が轟いた。
人の背丈ほどもある黒い物体が、いくつもいくつも沸いて出た。数は優に二十以上。その形は巨大なイモムシを連想させる。
「また魔物!?」
あたしは剣を抜いて走った。イモムシは予想以上のスピードで突進して来る。あのウネウネ具合が何とも言えず……。
正面から迫った一匹を、あたしは横にステップして斬り付けた。
ブシュッ!
突然、イモムシの体が砂のように弾け、
「えっ、何今の!?」
あたしの真横を光の玉が通り過ぎた。それは天高く舞い上がって景色の向こうに消えた。光の玉はイモムシの体中から現れたように見えた。
「ネネちゃん、魔法!」
「それがさぁ~……」
あたしが呼ぶと、なぜか代わりにタムが答えた。
『イモ、イモムシでち……!』
ネネが小刻みに震えていた。さっきと同じ涙目だ。タムの上着の裾を掴んで離さない。
『グピーッッッ!』
二人の周囲からイモムシが集団で襲い掛かった。
次の瞬間――
『パパちゃま、いやでち!もう幼虫は食べられないでち!』と首を激しく左右に振り、涙と鼻水を撒き散らすネネ。
『ちゃんとドラゴン寝ん寝させるでちから!』
「またオモシロ発作かい!」
あたしのツッコミが現場に響き渡った。
「たのむぜ、戦ってくれよ!」
タムはネネを抱えてイモムシ共の隙間から飛び出す。二人は着地のショックで横向きにコロコロと転がった。
「ネネっ!」
『グピッ!』
タムが起き上がったその時、イモムシの口が赤く光り、
ドバンッッッ!
爆風が放射状に解き放たれた。それはイモムシが使った魔法だった。
「グアッ!」
弟は背中に爆風を受け、ネネの体を飛び越えて吹き飛ばされた。
明らかに動きが変だ。いつもなら避けられるはずなのに。弟が簡単に攻撃を受けているようで、何か歯痒く思えた。
「タム!」
あたしは二人を助けに向かった。途中で何匹かのイモムシを斬ると、やはり体が砂のように弾けて光の玉を出した。
――もう少しで、二人を取り囲むイモムシに斬り掛かれる――そう思った瞬間、
『グピッ!』
「アウッ!」
あたしの体を衝撃が襲った。横からの突進に気が付かなかった。受け身も取れず地面に体を打ち付け、仰向けになる。
「クソッ、何で……!」
すぐに上体を起こして周囲を見渡した。
「う……」
タムは俯せに倒れて動かない。
『イモムシ、イモ……!』
ネネは相変わらずオモシロ発作を起こしている。
あたしは躙り寄るイモムシ共を睨み付けた。
「こいつら!」
朝の連中とはレベルその物が違う。ずっと動きにくそうな形なのに、異常に反応速度が速いのだ。
あたしは起き上がることもできずに、尻を引きずってズルズルと後退した。
「ハッ!」
あたしは息を呑んだ。自分の頭越しに後ろを見ると、そこに口元を光らせた一匹のイモムシがいた。
『グピッ!』
間もなく視界が赤い光で満たされた。
そこはドラゴン盆地――巨獣の古郷。
『グガーオッ!グガーオッ!』
深夜、森に巨大生物の咆哮が響き渡る中、山小屋の引戸が開いた。
「ああっ、うるさいな!眠れたもんじゃない!」
そこから現れたのは、黒い短髪を生やした三十代の男性だった。右手に吊り下げた少女をポイッと玄関先に放り投げる。
少女 とは、ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースンに他ならない。ネネはパジャマ上下にサンダルを履き、耳袋と垂れの付いた三角帽を被り、右手に杖を持っていた。
「なんでちか、パパちゃま!ひどいでち!ねんねは雲の上をお散歩する夢を見てたでち!せっかくのところで!」
パパちゃま とは、どうやら彼女の父親の呼び名らしい。
「ネネっ、ドラゴン共を眠らせろ!」
ネネに顔面を近づける父親。彼は両肩を張り出し、両腕の筋肉美を強調するファッションをしていた。その筋肉を見て、
「ひッ……!」
瞬時にネネの顔が強ばった。
「もし眠らせなかったら――」
「いやでち!」
父親の追い討ちにプルプルと震え始めるネネ。脳裏に目眩く、お仕置きの数々――
「夢にまで見た、虫虫ディナーの刑だぁっ!」
「イモムシ!またイモムシでちか!」
「その通り!名前も知らない何かの幼虫を油でコンガリ揚げて、大皿に山盛り腹一杯!」
「そんなのいやでち!」
「嫌かぁ、嫌なのかぁ!だったら、あいつらを眠らせて来い!分かったな!?」
父親はビシッと森の方を指差した。
「そ、そんな、パパちゃま!」
ネネは促されて、そちらを見た。
数十頭のドラゴンのシルエットが森の景色に浮かび上がった。
「あ……」
泣きそうな顔。
「ああっ……」
もう爆発寸前。
「あああああああああ~っっっ!」
絶叫と共に、振り上げた杖の宝玉が閃光を解き放った。
「う……」
あたしは頭を圧えて上体を起こした。
辺りを見回すと、タムが眠気眼で胡座をかいていた。弟の後ろにはネネが突っ立っている。
「ネネちゃん、魔物は?」
「…………」
なんだか遠くを見るような目だった。先ほどまでの涙目は、どこへやら。
「全部、ネネが片付けたのかぁ?」
タムもキョロョロと辺りを見回した。魔物は一匹も残っていない。死体さえも無かった。
「また陰湿な魔法で撃退したのね。」
ごく自然にそう思った。彼女なら、その実力はあるはずだ。あのオモシロ発作さえ治ればイモムシ共の殲滅は容易い。
「プーニィちゃま。」
しばらくしてネネがあたしを呼んだ。
彼女は森の方を見ていた。
「んっ、何?」
「プーニィちゃまは、強いでちか?」
「何よ、それ?失礼しちゃうわ。」
唐突な質問に少し腹が立った。
「どのくらい強いでちか?」
「どのくらい、って言われても……」
そもそも“強い”とか“弱い”という基準が分からない。何か比べるものが必要だ。
「ドラゴンは相手にできまちか?」
「あたしがドラゴン殺しか、ってこと?」
それが基準か。随分と高いハードルだ。ドラゴンをボコボコにして支配下に置く連中がいると聞くが。
「分からないわ。大体、ドラゴンに遭遇する経験なんて、ほとんど無いでょ?」
「混血のは殺すと肉が残るでち。さっきのイモムシは、斬ったら体がブシュって砂みたいに崩れて消えたでち。消えたところから丸い玉が光って飛んでいったでち。」
「何が言いたいの?」
「あれは純粋な魔物の核でち。」
最後にネネが小さな声で呟いた。
イモムシとの戦闘から約一時間後、あたしたちはクラットと王都の中間地点にある村に到着した。村の広場に入ると、そこでも騒ぎが起きていた。
「金が無いんだよ!」
「金っていっても小銭だろ?」
「小銭でも金は金だ!」
「そりゃあ、そうだけど。」
――内容は、ざっとこんな感じだ。
「小銭小銭って、どっかで聞いた話だぞぉ。」
タムが辺りを見回しながら言った。あちこちに村人たちが屯して論議を交わしていた。
「小銭?まさか!」
不意にネネと目が合った。なぜか彼女は目を逸らす。
とにかく騒ぎの原因を確かめねば。
「ちょっといいですか?」
あたしは広場の隅にいた二人組みの男性に声をかけた。
「クラットから来た調査官ですが、もしかして小銭を盗まれたんですか?」
「えっ?調査官だって!?」
「そうなんですよ!急に眠気に襲われて、目を覚ましたら財布から小銭だけが抜き取られていたんです!」
その村人は必死の形相で訴えた。彼らと話していると、他の村人たちまで集まって来た。
「クラットから来た調査官?」
「私も盗られたんだ!」
「目を覚ましたら金が無くなってて!」
この村でもクラットの町と全く同じ証言が得られた。
――老人は言った。
「あれは小悪魔だ。ワシは見たんだ。」
――婦人は言った。
「私は意識朦朧としてたんだけど、小さい影が次々と皆の服に手を入れて――」
村で発生した昏睡強盗事件の調査は三十分ほどで終了した。ここで、あたしは初めて別の種類の非常事態に気付かされたのだ。
「おっと、そろそろ夕飯の支度をしなければ。」
これは、ある村人の台詞だ。彼らはぞろぞろと家に帰っていく。
「夕飯?そんな時間だったっけ?」
たしかに太陽は西の空に傾いている。
「ちょっと、すみません。今、何時ですか?」
あたしは前を通りかかった老人に声をかけた。
「んーっ?五時を過ぎた辺りだが。」
「うそっ!?」
――そんなはずはない。
「あれっ?三時頃じゃないのか?」
タムもあたしと同じ意見だ。
それならば――
「ネネちゃん?」
ネネはどうだろうか。
辺りを探すと、彼女は広場の彫像の陰に隠れていた。そこから顔を半分だけ出して、こちらの様子を窺っている。
「イモムシをたらふく食べさせるでちか?」
「食べなくていいから。」
「絶対でちよ。」
ネネは恐る恐るこっちに歩いて来た。あたしの前で止まる。
と、マントの隙間から覗くリュックがジャリッと小銭の音を発てた。
「あれっ?小銭は両替してもらったんじゃないの?」
「ね、ねんねはお金持ちでち!」
ネネは慌ててリュックを隠す。
また訳の分からない事を。
あたしの疑いの眼差しは強くなるばかりだ。
あたしたちは村の食堂で夕飯を取ることにした。周囲は宿泊客などで満杯である。
「ネネちゃんには時間が狂ったような感覚はなかったの?」
「んっ?」
彼女は肉を噛み千切るのに必死だ。
「そうそう。なんか、あのイモムシと戦ってから時間が狂ってんだよなぁ~。」
「ぶぅっ!」
食べカスをタムの顔に吹き付けるのはネネの得意技に違いない。
「あたしたちは三時頃のつもりだったのに、村に入ったら五時を過ぎていた。これはどういう事かしら?」
あたしはネネを見下ろした。横ではタムが嬉しそうに顔の食べカスを取っている。
こいつ、さてはマゾヒストだな。
「――っ!」
攻撃が効いたのか、ネネは目を伏せた。
この子は、あたしとタムが気絶している間に“何か”をしてたはずだ。態度も変だし。
「臭うでち。」
唐突にネネが呟いた。あたしには、その意味が分からなかった。
(魔力の臭いがするでちね。)
彼女は自分の背後に意識を集中させていた。
「二時間もの間、何をしていたの?」
そうやって更に追窮してやる。彼女が答えに困っていると思った。
この時、ネネの後ろで帽子を被った若い男がテーブルに銀貨を一枚置いて席を立った。男は鋭い視線を彼女に向けていた。その瞳孔が一瞬だけ縦長の猫目に変わる。
そして、男は食堂を出ていった。
「ネネちゃん――」
「んっ?なにか言ったでちか?」
急に普通の顔に戻って問い返す。最初から何も聴いていなかったような態度だった。
それから数十分後、食事の会計を済ませる時――
ドジャリ!
予想通りと言うべきか、ネネは小銭を山積みにしたのであった。
……怪しい……!
あたしは彼女を睨み付けたが、こんな時でも、やっぱりタムはヘラヘラとネネの会計を覗き込んでいた。
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