マジカルねんね!(4)

 そこは、所々に苔の生す湿った暗所。

 全面大理石張りの床は黒く色褪せ、十本以上の石柱が高い天井を支えた。鉄格子から差し込む光は白く淡い北陽だ。


 ――この空間こそが“彼”の謁見の間――


 そこには一頭のコアラがいた。理由は分からない。でも、コアラなのだ。ムシャムシャと細長い葉っぱを食み、食み、食み、時折ゴクリと飲み込んで、また食む。

 コアラは何者かの肩に乗っていた。舞台の上に設けられた玉座に腰掛ける人物だ。一見すると二十歳そこそこの青年である。

 青年は黒い革ブーツに黒い革パンを履き、黒い革ジャンを着て、黒い革マントを羽織っていた。

 黒い長髪の隙間からは短い角が左右対称に一本ずつ生え、額にはV字の中に黒丸の入った紋章がある。

 それが魑魅魍魎の類いであることは誰の目にも明らかであった。

「クックックックッ、私の推理は正しかった。」

 頬杖を付いた姿勢で青年が口を開いた。

「このパラミレニア王国は、そこに生息する魔物の数や人口と比べて魔力の消費量が異常に高いのだよ、諸君。」

“諸君”とは、いつの間にか舞台の下を埋め尽くしていた人型の魔物――すなわち魔人の事である。

『ははあ。』

 配下と思われる五十人ほどの魔人が、跪いた姿勢で一斉に頭を下げた。

「それが最近、急速に魔力濃度が上昇している。必ずしや、この国の何処かにある筈だ。我らが求める――魔王の封印――がな。」

 青年が不気味な笑みを浮かべたその直後、部屋に一人の魔人が駆け込んで来た。

「魔将軍センチュリー様、ご報告申し上げます。」

 彼が魔将軍と呼ぶのは、玉座に腰掛ける青年である。

「何事だ?」

 魔将軍は自分の前に跪いた魔人を問い質した。配下の慌てぶりとは対象的に、とても冷静な態度だった。それを聞くまでは――

「只今、クラットの町において魔軍一個中隊が戦闘を繰り広げまして……」

「どうしたのだ?続けろ。」

「我が軍は瞬く間に全滅させられました!」

 床に拳を付いて歯を食いしばる魔人。彼はその部隊の指揮官だった。

「何だと!?」

 魔将軍の表情が変わった。他の魔人たちもザワザワと声を上げた。ちなみに、コアラだけは葉っぱを食べ続けた。

「序盤は役人共を押し退け、攻勢に出ていたのですが、イノシシの大型タイプを転送したあたりから戦況は一変し、一分と発たない内に。」

「一体、クラットで何が起きたのだ!?」

「はい……」

 魔人は悔し涙を堪えて報告を続ける。

「突然、北の高級ホテル街から無数の光弾が降り注ぎ、その後、魔法少女が珍妙なダンスを踊りながら自ら魔軍に飛び込むと、次々と仲間が倒れていったとの目撃証言があります!」

「魔法少女?珍妙なダンス?」

 それが、魔将軍センチュリーに初めてもたらされたネネ・ザ・ドラゴンズヴェースンに関する情報だった。

 この時、コアラは相も変わらず葉っぱを食んでいたが、モグモグをやめたかと思うと、突然その体がビクンと震えた。

「んっ?」

 魔将軍は逸速くコアラの異変に気が付く。

「どうしたのだ?」

『ホゲ~!』

 苦しんでいるのか、コアラの体がエビ反りになった。それでも爪を立てて魔将軍のマントを離さない。

「ま、まさか!」

『ホゲッゲッゲッゲッ!』

 コアラの全身がビクビクと激しく震え、両目が赤く光り始める。

『ホゲッ、ホゲゲゲゲゲッ!』

「来たのか!?来たのだな!?」

『ホゲェェェェェェッ!』

 次の瞬間、コアラの歯が剥き出しになり、体の痙攣が収まった。

『――追え。追うのだ。』

 そして、コアラの口から人の言葉が漏れ出した。何とも異様な光景だった。

「封印の彼方より魔王の御言葉が届いたぞ!」

「オオオオオオーッッッ!」

 魔将軍と共に、配下の魔人たちが歓喜の叫びを上げた。彼ら魔物にとって、それは待ちに待った瞬間だった。

『強き魔力の源を追え。我に災いをもたらす力を秘めた者を追うのだ。彼の者は災いの源なり。』

 そこまで告げると、コアラはガクンと力を失い、『ホゲッ』と最後の鳴き声を上げて元の状態に戻った。

「皆の者っ、魔王の御言葉を聴いたか!これより、その魔法少女とやらを――」

 魔将軍は興奮気味に言うが、自分の肩に縋り付くコアラがプルプルと震えていることには気が付かない。

「あっ、魔将軍様!」

 最初に気付いたのは、先ほど駆け込んで来た魔人だった。

 コアラは踏ん張っていた。

 まあ、動物なのだから。

 やがてコアラはボタボタと糞尿を垂れ、魔将軍のマント左側を撃破した。

「んっ、何だ?」

 魔将軍が被害を知ったのは、コアラの攻撃が終了した直後だった。

『うをっ、私の一張羅が!!!』


 それから、しばらくして――

 部屋の隅に魔将軍のマントが干してあった。一部に染みが付いている。

 被告人のコアラは、横の止まり木にしがみ付いてお食事の真っ最中だ。

 止まり木の方を見て、魔将軍は「チッ!」と舌打ちした。目線を正面に戻す。

「その魔法少女とやらを監視しろ。それから、王国のあちこちで破壊工作を行え。大中小、様々な規模を織り混ぜて王国の魔法使い共を疲労させるのだ。」

『ははあ!』

 命令を受けた配下が、ゾロゾロと部屋を出ていった。

 そんな中で、魔将軍は一人ほくそ笑む。

(王国の魔力が底を突けば、おそらく……)

 彼の計画を知る者は、まだいない。



 魔物襲撃事件が起きた日の昼前、あたしたち姉弟とネネ・ザ・ドラゴンズヴェースンはクラット城の謁見の間に立ち並んだ。

「ご苦労であった。城下に魔物が現れたという話だが――」

 セビンは朝と同じ格好で玉座に陣取った。

「はい。役人と協力し、何とか斥けることができました。」

 あたしも朝と同じ姿勢で畏まった。

「それに、ここにいる魔法少女も大変な活躍をしてくれました。」

 その 魔法少女 だが、タムの後ろで不安そうにキョロキョロしていた。おせっかいにも、弟がネネの背中を「ほーら、ほーら」と押して、あたしの前まで連れて来る。

「ううう~……」

 彼女は踵でブレーキを掛けていた。首を左右に振って涙目である。

 この子は何をしているのだろう?

「ほおー、魔法少女か。お嬢さん、名は何と申す?」

「ん、ねんねでち!」

 セビンの質問にも、なぜかオドオド―彼の肩や腕の筋肉に目を奪われているようだ。

「 ねんね ?」

「ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースンです。自分では、『ねんね』と名乗っているようですが。」

「“ドラゴンズヴェースン”?」

「何か?」

「いや――」

 セビンは一瞬、口籠もった。

「そうか。ネネ殿か。」と言いながら玉座から降りて彼女と目の高さを合わせる。相手をお子様と見て配慮したのだろう。

 だが、それが間違いだった。

「良い働きであったぞ。」

 ネネの前に大きな顔が迫り出した。

『はぁぁぁっ!』

 たちまち彼女の小さな顔から大量の汗が噴き出した。恐怖に戦いて後ろに退こうとするが、タムが背中を押しているので脱出は不可能だ。

 そして、ネネの意識が吹っ飛んだ。

『パ、パ、パ、パ、パ、パパちゃま、許してでち!今日はドラゴンが元気だったでち!おとなしく寝ん寝しなかったのは、ねんねのせいじゃないでち!』

 ネネは目に涙を浮かべて鼻水を撒き散らしていた。

「“パパちゃま”?」

「ドラゴンって?」

 あたしとタムは互いに目を合わせた。それでも答えは導き出せなかった。もっと混乱しているのはセビンだ。自分が可愛い女の子を泣かしてしまったと思い、取り乱している。

「お、おいっ、どうしたのだ?私はネネ殿のパパではないぞ?それに、ドラゴンというのは何の話だ?」

 遂にセビンの両手がネネの両肩に乗った。

『…………っっっ!』

 目の前に筋肉ムキムキの腕があった。

 ネネは激しく震えながら、脂汗をダラダラ垂らしながら、最高出力の発作を起こした。

『ああああああっっっ、歩速で一月はムリでち!飢え死にするでち!砂漠の真ん中に飛ばして置き去りは反則でち!』

 生まれたての仔馬のように両脚をプルプルと震わせ、失禁でもしそうな勢いだった。


「と、とにかく――」

 セビンは玉座に戻って、横の台で何かを書き認めている。

「少し事情が変わってな、魔物が多く出没している王都に行って欲しいのだ。ぜひ魔物についても調査をして欲しい。」

 書き終わると、署名の脇に指輪型の印鑑を捺した。これで正式な公文書が完成する。

 セビンは書類を折り畳んで封筒に入れた。

「これは紹介状だ。サディア様にお渡しすれば、王都での調査は捗るだろう。」

「分かりました。」

 あたしは一礼して紹介状を受け取った。

 一方、ネネはタムの後ろに張り付いてセビンの方を見ていた。相も変わらず涙目だ。密着されている弟は嬉しそうだが。



 同じ日の昼過ぎ、あたしとタムとネネの三人は、クラットの町を進んだ。町は魔物襲撃事件の後片付けをしているところだった。

「日当金貨二枚でちか。セコい商売でちけど、ド田舎のマッチョ領主ならこれが限界でちね。」

 金貨二枚を手の上で転がしながら、先頭を歩くネネは言う。

「聞こえてるわよ。」

 指摘すると、彼女の手の動きが止まった。

「それに、ネネちゃんさっきまでオモシロ発作起こしてたじゃないの。随分な変わり様ね。」

 この小娘、クラット城を離れた途端に復活した。あの発作は、ご領主様が原因だろうか。ネネは発作について何一つ語ろうとしない。

「オレはネネと一緒にいれるなら、そんなのどうでもいいけどなぁ!」と言いつつ、彼女の手を握るタム。

 だから、やめろって。

「なにするでちか!」

 顔に杖を押し付けてられも、

「お手手を離すでち!」

 手をブンブン振り回されても、

「あはははははっ、あはははははっ!」

 弟は、とっても楽しそうに頑張った。

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