マジカルねんね!(14)
「さあっ!今こそ私の前に、その高貴な御姿を御見せ下さい!」
魔将軍が両腕を左右に拡げるポーズで叫んだ。相も変わらずに、肩のコアラは光を無視して葉っぱを食んでいる。
(終わりだ。何もかも……)
女王の心を絶望が支配した。
その昔、魔王を封印する為に、どれだけの犠牲が払われたのか、彼女は良く知っていた。
その魔王と戦わなければならないのか。
「さあっ、さあっ、さあっ、さあっ!今こそ、今こそ私の前に――アッ……!?」
瞬間、魔将軍は凍り付いたように固まった。
「これは……」
女王も同じ表情だった。
「これが魔王なの?」(あたし)
「何か臭そうだなぁ~。」(タム)
「臭いの元は、これだったでちね。」(ネネ)
あたしたち三人が、それぞれ意見を述べた。
なんと、そこに転がっていたのは、見るも無惨に朽ち果てた巨体だった。
身長は人間の四倍ほど。頭に二本の角を生やしたクマ型で、灰色の毛むくじゃらだ。それが腹部を腐らせ、脇腹の肋骨を覗かせて横たわっていた。完全に腐敗している。
「アッ!まッ、魔王様が……!」
魔将軍は魂を失うほどに驚嘆した。何が何だか、もう訳が分からない。
「なるほど、そういう事か。」
最初に事態を把握したのはロンダーだ。彼は余裕たっぷりに立ち上がった。
「千年前、魔王は封印されたのではない。殺されたのだ。その死体だけが、こうして王国の繁栄の為に利用された。」
「嘘だ!魔王様は確かに封印の彼方より御言葉を下された!我々魔軍に命令を下された!」
必死に訴える魔将軍。しかし、答えは自分の目の前に転がっている。腐った肉の塊と成り果てて。
この時、魔将軍の肩の上でコアラが最後の葉っぱを食べ終わり、それを飲み込んだ。
「嘘だと思うか?これが密閉空間の中で魔王の死体を千年も熟成させた結果だ。」
ロンダーは魔王の死体を見上げる。あちこちから黒や茶色の液体が地面に滴っていた。
「カウ、お前の言う“魔王汁”は、魔王の死体を腐敗させて作った液体のようだ。もしかして、封印の中で魔王が生き永らえているとでも思ったのか?」
「…………」
魔将軍には答える気力も無かった。
「私やサディアも――いや、女王陛下もそう考えておられた。フッフッフッフッ、悪い意味で予想を裏切られたものだ。」
軽く笑うと、ロンダーは完全に落ち着きを取り戻した。
少し離れたところでは、女王サディアが口と鼻を圧えて「何て臭い」と、しかめっ面を見せていた。兵士たちの中には、あまりの悪臭に嘔吐する者まで出る始末だ。
「そんな……私の努力は……」
魔将軍は虚ろな目をして、魔王の死体に向かってフラフラと歩き出した。途中でガクンと両膝を付き、四つん這いになる。
「百年の努力は……」
「ムダだったでちね。」
「――ッッッ!」
一転して鋭い眼光で、声の主を睨み付ける魔将軍。もちろん、相手はネネだ。
「カウちんは読みがあまかったんでちよ。ねんねなら百年も頑張れば、もう少しお利口ちゃまになるでち。」
「ひとまず危機は脱した、と判断すべきでしょうか。」
彼らのやり取りを聴いて女王が安堵の溜息を付いた、その時――
ぺてっ。
突然、魔将軍の肩からコアラが飛び降りた。
「んっ?」
魔将軍はコアラを目で追う。
「コアラ?」
ロンダーもそれに気が付いて、ぼそっと呟いた。
「なんでちか、あのコアラちゃん?」
全員の注目が集まる中、コアラは魔王の死体に向かって四足歩行でテクテク歩いていく。
「あの首輪は確か――」
女王はコアラの首元に目を止めた。それに見覚えがあるようだ。赤いベルトに金色の鈴が一個付いたデザインの首輪である。
「ロンダーの家で、十年ほど前まで飼われていたコアラです。」
「あれ?コアラって、そんなに長生きだったかしら?」
あたしは疑問に思った。犬や猫でも十年生きれば長生きである。
「そりゃあ~、餌とか衛生状態に気を付ければペットは長生きするよ。」
「そういう事じゃないの。」
タムを諭すように言ってから、再び視線をコアラに戻す。それは魔王の死体の前で立ち止まり、それを見上げた。
そして、コアラは立ち上がった。二本足で。
「た、立ってるぅっ!?」
驚きを隠せない魔将軍。
『ヘッヘッヘッヘッヘッヘッ――』
更にコアラは肩を上下させて嗤った。
「わ、わらってるでち!」
顔面を引き攣らせるネネ。
『さすがは我が肉体、千年の時を経ても構造崩壊を起こさないとは。しっかりと肉が残っているではないか。』
その肉体が朽ちている点は問題ではなかった。“彼”が欲していたのは、そこに含まれるエネルギーだった。
――“我が肉体”――?
たしかにコアラはそう言った。
「あの腐った肉の塊って、魔王のものよね?」
あたしとタムは互いに顔を見合わせた。
『御苦労。良くぞオレ様の肉体を開封してくれた。これで千年来の願いが叶った。』
コアラは魔将軍を振り返って何度か頷いた。そして、前を向き直ると魔王の肉を一口だけ噛み切った。
「ま、ま、ま、ま、まさか!?」
魔将軍の中で何かが弾けた。
「――魔王ミレニアム様――!!!」
「魔王ミレニアムだと!?あのコアラが!」
ロンダーにとって、それは衝撃的な事実だった。なにせ十年近くも我が家でペットとして飼われていたのだから。
その正面で魔将軍は、
「ゴメンなさい、ゴメンなさい、ゴメンなさい!蹴ったり殴ったり投げたりしたのは、ほんの出来心ですぅぅぅっ!」
謝っていた。土下座をし、必死に拝み倒す。
「“ミレニアム”?」
その呼び名に疑問を持って女王を見ると、彼女はあたしの視線に気付いて目を逸らした。
再びコアラの方を向き直る。コアラはモグモグをやめて肉を飲み込んだ。と、瞬く間にその全身に力が漲って光の靄が溢れ出した。
『ホゲェェェポォッ!』
突然、コアラの口から小さな物体が数百個ほど吐き出された。それはキツネの形をした黒い生き物だった。小型魔物である。
それらの黒キツネは魔王の死体に群がり、死肉を食い始めた。
「何をする気だ!?」
ロンダーはコアラを問い質した。しかし、コアラから答えが返って来るはずもなく――
「コアラちゃんは魔力が欲しかったんでちね。」
質問にはネネが答えた。
「魔力?」
あたしが問い返す。
「良く見るでちよ。小さい魔物たちが、どんどん大きくなっていくでち。」
そう言えば、黒キツネは食えば食うほど魔力に満ち溢れて体が膨張していく。
『やっぱり、おぞましい!』
あたしとタムは声をハモらせた。巨獣の解体風景は何度見ても慣れないものだ。
魔王の死体が食い尽くされると、今度は何と黒キツネ同士が互いに食い合った。
「共食いですか!?」
これが魔物の本質なのか、と目を見張る女王。食った方の体が、どんどん大きくなっていくのだ。
「ほーら、ねんねの言ったとおりでち」などと余裕を見せるものだから、ここで魔法少女ネネVS女王の論戦が始まった。
「予想をしている暇があるなら攻撃をしなさい!」
「んっ?ねんねに命令するでちか?被占領パラミレニア王国の女王ちゃまが、ねんねに歯向かうでちか。歯向かう弱い子ちゃんは虫虫ディナーの刑でち。」
「占領などされておりません!」
「分かってないでちね。ねんねがその気になれば――」
「脅しを掛けるつもりですか?」
「この場で女王ちゃまに魔法をかけて、留処もなくオシッコをダダ漏れさせることもできるでちよ?」
「オシッコ……」
ネネの勝ち。
力よりも恥 という攻撃が通用したようだ。
「女王ちゃまは白いおベベに黄色い汁がジンワリひろがるのが怖くて、ねんねの言うことを聞くでち。それはつまり、女王ちゃまがねんねの支配下にあるという意味でち。」
「ぶ、無礼者!私を誰だと思っているのですか!」
ごんっ。
女王が凄んだ直後、その額にネネの杖の宝玉が食い込んだ。
『マジカルすたんぷ、ぺったんこ!』
カッッッ!
宝玉が光ると、女王の額に不思議な不思議なピンク色の丸に“ね”という印が。
「チミは被占領パラミレニア王国の女王ちゃまでち。」
「…………」
放心状態の女王。近くの重臣が手鏡を差し出し、彼女の顔を映してあげた。
「サディア様、私めの知識によりますと、これは 魔法従属体 の刻印で御座います。」
それを見せられた女王は、
『私の顔にオモシロ落書きがぁぁぁっ!』
そうやって力の限り泣き叫んだ。
「まったく、話がそれたでち。」
ネネは不機嫌そうに口を尖らせ、視線をコアラに戻した。
「女王ちゃまは、どのくらい“魔王汁”を使ってたでちか?」
「“神の雫”です!」
「もうバレてるでちよ。」
「うっ……」
言葉に詰まる女王。
「いつも、どのくらい使ってたか答えるでち。」
「それは……一日に一度、ほんの一滴です。」
言いながら彼女は目を伏せた。
「だったら、あの肉が一噛みあれば王宮が吹き飛ぶでちね。」
「そんな……」
ネネの言葉に嘘は無かった。
「分かったら、弱い子ちゃんは黙って見てるでち。」
ネネの視線の先で、最後の黒キツネが共食いを済ませた。その体は、いつの間にかサイほどの大きさになっていた。
コアラは残った魔物の前に立った。
『ホゲェェェオオオオオオッ!』
一瞬にして体が膨張し、目の前の魔物を上回る大きさになるコアラ。大口を開けると、それが一呑みにされた。魔物は一切抵抗しなかった。
コアラは、あっと言う間に元のサイズに戻り、その後はモグモグを続けた。
「いよいよ、魔王復活でち。」
「勝ち目はあるの?」
あたしはネネに訊ねた。
「うーむ……」
例の考え込むポーズだ。
「少なくとも女王ちゃまには無理でちね。」
「オ、オレ逃げようかなぁ~。」
「逃げる前に刺されたい?すごく痛いわよ」とタムに剣をチラ付かせる。
「ゴメン……」
ゴックン!
コアラは全ての肉を飲み込んだ。そして、満足気に自分の腹を叩く。
『満タンだ!オレ様のポンポンは満タンだ!』
その全身から光の靄が立ち昇った。先ほど黒キツネを吐き出した時とは比較にならない。
『ホゲェェェェェェッッッ!』
大咆哮が解き放たれると、コアラは本来の姿に変化した。あの死体と全く同じプロポーションだ。頭に二本の角を生やした筋骨隆々の灰色グマを連想させる。
魔王の完全復活である。
『フゥゥゥ~。』
コアラ――基、魔王は恍惚の表情で深呼吸をした。
『見ての通りだ。ここに魔王ミレニアムが復活した。貴様らは力の源を失った。その力は今、ここにある。』
魔王は自分の胸をパンパン叩いて力を誇示した。
「魔王ミレニアム様ぁっ!」
ほぼ全員が絶望に打ちのめされた顔を見せる中、魔将軍だけが喜び勇んで我が主人の元に駆け寄った。
『おおっ、魔将軍センチュリー!全てオマエのお陰だ。感謝するぞ。』
「ははあ!そのような御言葉を頂けるとは――この魔将軍センチュリー、感激です!」
彼は目から溢れる涙を拭った。
『さて――』
子分との挨拶を済ませると、魔王は女王の方を向いた。
『オマエらの国、名は何と言った?パラミレニア王国?』
茶化すように言う。
『ヘッヘッヘッヘッヘッ、“パラ”は“もう一つの”という意味かな?“ミレニア”はオレ様の名前をもじっただけだ。確かに“もう一つのミレニアム”だな。オレ様の肉体から漏れ出す魔力を利用して栄えていたのだから。』
女王と重臣らは目を伏せた。名前は魔王の方が元祖か。王家の名字も ミレ だ。
『千年前は色々と世話になった。』
そう言って魔王は昔話を始めた。自分が破壊の限りを尽くした、あの頃の事を――
『昔々、ある所に一人の魔法使いがいた。それも、再下級の。
その落ちこぼれ魔法使いが偶然にもオレ様の波長を捉え、魔界から召喚する事に成功してしまったのだよ。小物を呼び寄せるつもりだった魔法使いにとっては大誤算だった。だが、奴はその失敗を成功に変えた。オレ様を傀儡し、兵器として使ったのだ。
まずは己が仕えていた国を滅ぼし、それだけでなく周囲の国々も次々と滅ぼしていった。そうやってできたのが、パラミレニア王国という訳だ。奴は支配地域を充分に拡大すると、必要の無くなったオレ様を騙し討ちにした。オレ様が傀儡の術を解こうとしている事に気が付いたようだ。ああ……痛かったぞ。』
魔王は腹の辺りを摩った。
『オレ様は死ぬ間際に核を地中に逃がし、何とか滅びを免れた。それから千年間、コアラの姿で己の復活を画策して来たのだ。
――長かった。貴様らがオレ様の肉体を利用して栄えているのを見るのは、苦しかった。』
歯を剥いて殺気を振り撒くと、真面に視線を浴びた女王がビクッと震えた。
『さあ、決断の時間だ。パラミレニア王国とやら。オレ様と戦うか?それとも従属するか?――選べ――』
「魔王などに従うと思いますか?」
女王サディアは恐怖を振り払って、決意の表情で魔王を見据えた。周囲の重臣らもグッと魔王を睨んだ。兵士たちも同じだ。人間側の士気が上がるのが分かった。
ところが、魔王から返って来たのは意外な反応だった。
『オマエなどに話はしていない――女王ちゃまとやら。』
「えっ!?」
『飾りに用は無いのだよ。』
魔王の言葉に、女王その他の面々は呆気に取られる。
『どうなのだ?オレ様と戦うか、従属するか、今すぐに決めろ。』
魔王の視線は、なんとネネにあった。この場で一番強いのがネネだと判断したようだ。全員の注目がネネ一人に集まった。
他の連中はカス以下か。あたしも含めて。
「魔王ちん――」
しばらく考えてネネは口を開いた。
『従属する気になったか?』
「魔物が生き残りたければ、ねんねの“目印”をつけて、ねんねの“しもべ”になるしかないでち。」
『はあ?』
それを理解できない魔王。人間という弱っちい生き物は脅せば自分に従うはずだ。なのに目の前の小娘は平然とそこに立っている。
「ねんねの“しもべ”になるなら、魔王ちんを助けてあげてもいいでちよ?」
『ぬぅあーにぃっ!?』
魔王と魔将軍の叫びが重なった。
「逆に魔王を恫喝しているわ。」
「ネネらしいと思うな、オレ。」
あたしとタムは互いの意見に頷いた。
普通は無理。でも、ネネなら有り得る話だ、というのは彼女を語る上での常套句になっていた。
『フザケるな!』
当然、魔王のプライドは傷付けられる。
「もう潰してしまいましょう!」
『うむ、そうしよう!』
魔将軍の提案に魔王が頷いた。
「何かするつもりです!」
女王は重臣や兵士たちに警戒を促した。
『ホゲェェェェェェェェェッッッ!』
魔王の両目が赤く光ると、そこかしこの地面に赤い光でできた魔法陣が現れた。大中小様々な大きさの物が一万以上もある。
「おおっ、戻って来た!魔軍よ!」
喜びに咽ぶ魔将軍の視線の先に、蠢く魔物の群れが現れた。一度姿を消していた魔軍が、魔王の一声によって召喚されたのだ。こんなにたくさんの召喚魔法を同時に使いこなすとは、何という出力だろうか。
魔軍は近衛隊と正対する形になった。魔軍の勢力は、こちらの十倍以上もある。
「怯んではなりません!突撃を命じます!」
女王が先頭になって白馬を走らせた。
『ウオオオオオオッッッ!』
彼女の威勢に応え、近衛隊も鬨の声を上げて攻撃体勢に入った。
ここに世界の運命を左右する戦いが始まった。
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