ねんねの行進(ドラゴン猟師の日常 2 )

 そこは砂漠――見渡す限りの低い砂丘。天空の太陽は最高出力で大地を照らし続ける。


 そんな中にポツンと人影があった。とても小さな背丈である。人影は空色のマントを羽織り、同じ色の帽子を被っていた。帽子は逆さ円錐に短めの鍔と垂れの付いたもので、その下には頬の膨らんだ真ん丸の顔が見え隠れした。

 人影の正体は年端も行かない少女だった。マントの下はベスト・スカート・半袖ブラウスに丸く膨らんだ紺色の提灯ブルマで、足を包むのは紅のロングブーツである。その上の脚部は黒タイツに覆われ、地肌が見えない。

「うーむ……」

 少女は右手に杖を持ち、腕組みをしていた。何か考え事をしているようだ。 時々、杖の先端に付いた宝玉で自分の肩をポンポン叩いている。


 それは半日前の出来事だった。


 時刻は真夜中。天気は曇り空。日も差していないのに、やたらと空が明るかった。

『グガーオッ!グガーオッ!』

 突然、巨大な咆哮が森に轟いた。ただの獣ではない。まさに巨獣の叫びだ。

 それもそのはず。森にはトカゲを大きくして背中にコウモリ羽根を生やしたデザインの巨大生物が徘徊していた。

 森の守り神 ドラゴン である。それも一頭や二頭ではない。森のあちらこちらから数十頭――否、数百頭の咆哮が折り重なるようにして伝わった。

 この地域は古来より“ドラゴン盆地”として名を馳せている。森や草原、川や湖、湿地帯など多種多様な自然環境が一つの盆地に共存し、様々な巨獣や魔物を育んで来た。あまりに危険な地域であるため、現地のカムサラ王国政府でさえ干渉を拒むほどだ。

 だが、そんな中にも例外はあった。盆地には猟師一家が住んでいた。盆地の下流域に一軒の山小屋を建て、代々そこで暮らしている。“猟師”というからには――そう。彼らはドラゴンを狩るのだ。


「ああっ、うるっさいな畜生共!もう少し静かに交尾できないのか?」

 山小屋の引戸が開くと、そこから三十代半ばと思われる男性が顔を出した。男性は右手に少女を吊り下げている。そして、少女を軽々と玄関先に放り出した。

「パパちゃま、なんでちか、こんな夜中に着替えさせて!?」

 少女は両膝を付いて着地し、己の父親を振り返った。

 帽子・マント・ロングブーツという具合に完全装備である。

「ネネっ、うるさいからドラゴン共を黙らせろ!」

 簡単に言ってくれる、このオヤジ。相手はドラゴン(※最強)だぞ。

「ねんねはお子ちゃまでち!お子ちゃまは寝るのが仕事でち!」

「違うな、眠らせるのが仕事だ!」

「ひぃッ……!」

 理不尽なドス黒い笑みに、お子ちゃまは言葉を失った。

「ひどいでち!ねんねの健やかなお子ちゃまライフはどうでもいいでちね!?ねんねが夜な夜な男を求めてさまよう夜更かし不良娘になってもいいでちね!?」

「テメエ、オレの安眠を妨げるつもりかぁ!?ドラゴン共のカタ持つのかぁ!?」

「ち、ちがうでち!そんなこと断じてないでち!」

「だったら、さっさと黙らせろ!殺すんじゃないぞ、殺したら商品価値が下がる。眠らせるんだ、分かったな?」

 そこまで言うと、オヤジはニヤニヤと歯を見せた。

「もし、眠らせなかったら……」

 その一言で充分だった。眠らせなければ何が起こるのか――

 少女は恐怖に震えた。数々の罰が脳裏を駆け巡る。今日は体中がくすぐったくなる魔法だろうか。それとも、名前も知らない何かの幼虫を油で炒めて山盛り食べさせられるのだろうか。いっそのこと拳骨で殴られた方が、どんなに楽か。

 引戸が閉まると、少女だけが屋外に取り残された。

 少女は恐る恐る森の方角に目を遣った。

『グガーオッ、キャッキャッキャッ!』

 途端に奇妙な鳴き声がした。見ると、一頭のドラゴンが別のドラゴンに後ろから覆い被さり、首筋を柔らかく甘噛みしいるではないか。

「ひいっっっ、やっかいなタイミングでち!恋のおたけび鳴りやまぬ季節でち!」

「オマエがうるさいんじゃっ!」

 再び引戸が開き、オヤジは杖を投げ付けた。それが後頭部に当たって、少女は前のめりに突っ伏した。

 少女の名は、ネネ・ザ・ドラゴンズヴェースン。“ドラゴン盆地のネネ”という意味である。自分では『ねんね』と名乗っているようだ。

 何を隠そう、この物語の主人公である。職業はドラゴン猟師見習い。満十歳。

 容姿は可愛い。容姿だけは……。



「――というのが、ねんねが砂漠の真ん中に立ってる理由でち。」

 砂丘の上に佇む魔法少女ネネは、何度か『うむうむ』と頷いた。

「まったく、パパちゃまは最近おこりっぽくなったでち。ドラゴン寝ん寝させなかったくらいで、歩速で一月のところに転送魔法で置き去りは無理があるでち。」

 つまり、任務に失敗したわけだな。

「もう歳でちね。年寄りの考えることは、お子ちゃまのねんねにはわからないでち。」

 あらためて周囲を見渡す。本当に何もない。あるのはクリーム色の砂ばかり。

「それにしても、転送魔法なんてパパちゃまも芸がないでちね。こんなこともあろうかと、ちゃんと危機管理はしてあるでち。」

 得意気に語りながら、ネネは空へ向けて杖をクルクルと回した。すると、空に赤い光で出来た巨大な魔法陣が現れた。

 円に“ね”というデザインである。意味は不明だ。

「ドラゴン盆地には、ねんねの“目印”のついたドラゴンがいっぱい住んでるでち。それを呼び寄せて乗って帰れば楽ちんでち。さすがのパパちゃまも、ここまでは気が回らなかったでちね。この作戦は、このあいだ火山の噴火口の中に転送された時に思いついたでち。」

 おそらく常識とは掛け離れた次元で生活しているのだろう、この父娘は。

 お仕置きで実の娘を噴火口に放り込む父親など、普通はいない。

『ドラゴン来い来い、こっちゃ来い!

 ――召喚――!』

 まずはネネの右拳が光り、それに応えるように杖の宝玉が光り、最後に魔法陣が光り輝いた。その直後、魔法陣の一カ所に異変が生じた。

 まるで天地が逆さまになった水面から沸き上がるように巨大な爬虫類の尻尾が垂れ下がった。続けて太い二本の後ろ足が、次は前足が、そして長い首と一対のコウモリ羽根が――

 ドズンッッッ!

 黄土色の皮膚を持ったドラゴンが轟音と共に砂を巻き上げた。と同時に、上空の魔法陣が消滅する。

ドラゴン召喚 といえば、かなり高位な魔法使いでも会得は難しいと言われている技の一つである。それをただのお子ちゃまがいとも簡単に使って見せた。

「マジックドラゴンのパールちゃんでち。パールちゃんは口から火を吐くでち。お利口ちゃんで、とっても役に立つねんねのお友達でち。」

 そのパールちゃんなのだが、突然の異変にキョロキョロと辺りを見回している。今まで森にいたのに、一瞬にして砂漠の景色に変わってしまったのだ。混乱するのも無理はない。

 やがてパールちゃんはネネを見つけた。しばらく首の角度を変えて『あれ?あれれれ?』と首を傾げるポーズを取ったが、どうやら事態を把握したようで、方向転換してノッシノッシとネネの方に歩いて来た。

「よしよし、パールちゃん、こっちでち!」

 ドラゴンは頭の左右に一本ずつ角を生やし、額にはピンク色で“ね”という紋様を付けていた。魔法陣と全く同じデザインだ。ネネの言う“目印”に違いない。この目印で目標をロックオンし、目の前に召喚する仕組みだ。

「ねんねをドラゴン盆地まで運ぶでち!」

 とはいうものの、何かパールちゃんの様子がおかしい。口から垂れている透明な液体は、もしかして涎だろうか? 否、そんな事はないと思うのだが。

 ドラゴンの接近は止まらなかった。頭上からネネに迫り来る。

「えっ?」

 ネネが小首を傾げたその時、

『グガーッッッ!』

 パールちゃんの大口がネネを襲った。彼女の全身に大きな影が差した。

 ――自分が召喚したドラゴンに食われて死ぬおバカな魔法少女――そんなオチがあっていいはずはない。

『魔法パンチ!』

 ただ光る拳で殴り付けるだけの技である。技を繰り出したのは、もちろんネネ。自分を食おうとしたドラゴンの鼻っ柱に横からフックパンチをお見舞いする。

 ばきっっっ!

 まずは瞬間的に頭が反対方向へネジ曲がり、首が反り返る勢いで一拍遅れて巨体が後方へ吹っ飛んだ。

 どがっっっ、ズザザザザァァァッ!

 次に、砂やら涎やら鼻水やらをグチャグチャに撒き散らしながら砂の上を転がる。

『ホンゲーオッ、ホンゲーガグゲゴゲッ!』

 ドラゴンは体勢を立て直すと、一目散にネネとは反対方向にダッシュした。コウモリ羽根が小さく、飛ぶ能力が無いので地面を走って逃げた。

 ドラゴンは砂塵を巻き上げて猛スピードで遠ざかっていく。まさか、お子ちゃまにハードパンチを喰らうとは思っていなかったのだろう。

 一方、ネネもネネで、ある重大な事に気が付いた。

「パールちゃん、待つでち!ねんねを乗せて行くでち!」

 魔法少女はドラゴンの後を追う。こちらも常人離れしたスピードだ。脚の動きは車輪のように高速回転して見える。しかし、そこはドラゴンVSお子ちゃま。お子ちゃまが徒競走でドラゴンに勝てるはずもなく――

「……まずいことになったでち。」

 ネネは立ち止まり、息を整えた。揺れる陽炎で向こうでドラゴンの後ろ姿が小さくなっていった。

 少女は、また独りぼっちになった。

「でも、大丈夫でち!」

 何か策でもあるのか?

「もう一回召喚すればいいでち。」

 なるほど……。

『ドラゴン来い来い、こっちゃ来い!

 ――召喚――!』

 ドズンッッッ!

 再びネネの横にドラゴンが降って来た。ドラゴンは走っていた勢いで前のめりにバランスを崩し、頭から砂丘に突っ込んだ。すぐに頭を引っこ抜き、慌てた様子で周囲をうかがう。

 そして、ネネを見つける。

 もちろん、逃げる。

 ドラゴンは、あっと言う間に逃走した。

『――召喚――!』

 ドズンッッッ!キョロキョロ?あっ、ネネだ!逃げろ!

 ドラゴンは、あっと言う間に逃走した。

『――召喚――!』

 ドズンッッッ!キョロキョロ?あっ、ネネだ!逃げろ!

 ドラゴンは、あっと言う間に逃走した。

「いいかげんにするでち!ねんねに余計な魔力を使わせるでないでち!」

 ネネは何度も逃走を図るドラゴンを怒鳴り付けた。ドラゴンの肩がビクッと竦んだように見えた。

『マジカルじんじん、手足がじ~ん!』

 このヘンテコな雄叫び、実は呪文である。

 宝玉から光の玉が発射され、見事ドラゴンの胴体を捉えた。

『グガッ!』と短い悲鳴を上げて、ドラゴンは砂の上に倒れ込んだ。

 痺れの魔法に違いない。呪文の通り、手足が痺れて動けなくなる技だ。

 そこへネネが近づいて行き、ドラゴンの横っ面を杖で突々いた。

「分かったでちか、パールちゃん?ねんねの言うこときかないと痛い目にあうでち。」

 ドラゴンは『グガー……』と力無く返した。

「分かればよろしいでち。パールちゃんには輸送機として役に立ってもらうでち。ねんねを頭の上に乗せて、ドラゴン盆地まで運ぶでちよ。」

 ネネは角をハンドルにして操縦席に着いた。杖で軽く頭をコンコン叩いてやると、光のパルスがドラゴンの全身を伝播して痺れの魔法が解除された。

 ドラゴンはグラグラと揺れながら立ち上がると首を前に伸ばし、尻尾を後ろに伸ばし、後ろ足を支点にT字バランスを取る。

 そして、わずかに脚を縮めたかと思うと、

『グガーオッ!グガーオッ!』

 奴はデタラメな方向に加速した。ネネが指差す方角とは九十度ほどズレている。

「パールちゃん、そっちじゃないでち!」

 角に体重をかけて方向転換を試みるが、パールちゃんは反転して、またもや暴走――

「そっちでもないでち!何度言えば分かるでちか!」

 同じ所を行ったり来たりするだけで、思い通りに走ってくれない。


 だが、そこはネネ。三十分後には、お得意の体罰指導でパールちゃんを手懐ける事に成功した。

 ドラゴンは風を切って疾走した。暑い暑い砂漠の風を切って――



 出発から一時間後、遂にドラゴンは暑さに参って歩き始めた。

「ハ~ハ~……昼間に砂漠で走るもんじゃないでちね。オナカもすいたでち。」

 例に洩れず、ネネも熱気でダウンしていた。

 そんなに暑いならマントを取ればいいじゃないか、というのは素人の考えだ。マントを取れば直射日光を浴びてダメージは倍増する。

 暑さだけではない。悪い事は畳みかけるようにやって来るものだ。ネネとパールちゃんは、まだ前方の異変に気付いていない。砂の表面が、まるで水面のように波立っていた。

 敵は突如として現れた。

 バサァァァァァァッッッ!

 砂柱が立ち、次の瞬間にはパッと弾けた。

 太くて長い何かが首をもたげた。明らかに節足動物だ。百数十節の外骨格が連なり、その節々から脚が一対ずつ生えていた。頭はアリに似ていて、鎌状の顎が左右から獲物を噛み砕く構造だ。簡単に言うとムカデである。

『シャーオッ!シャッ、シャーオオオッ!』

 行く手を巨大なムカデが遮った。

 ネネたちは充分な距離を取って立ち止まった。

「す、砂ムカデでち!」

 体長はドラゴンの二倍から三倍はある。常識で考えたら勝ち目は無い。

 逃げるべきか、立ち向かうべきか、ネネは悩んでいるはずだ。恐怖にさいなまれているはずだ。もしかしたら自分の人生はここで終わるかも知れない。そうしたら、きっと父親は主のいない墓に向かって『短い人生だったな』と花を手向けるのだろう。

 己の妻が、ドラゴンにヒョイパク・モグモグ・ゴックンと食われたあの日のように。


『キシャーオオオオオオッッッ 』


 それが砂ムカデの発した最後通牒だった。高出力高周波の咆哮が砂を弾ませた。

「パールちゃん――」

 ネネはグッと敵を睨み付けた。

 まさか戦うつもりか。逃げて死ぬよりも戦って死ぬ道を選ぶというのか。

『グガ?』

 パールちゃんは主人を見上げ、彼女が発する次の言葉を待った。捨て身の特攻を命じるネネの言葉を――

「食べ物でち!」

 おい……。

『グガッ!』

 ネネ言葉にパールちゃんが嬉しそうに反応した。

『シャオッ?』

 砂ムカデは困惑した。自分では相手を威嚇したつもりなのに、なぜか奴らは涎を垂らしている。そして、奴らの合計四つの目が捉えているのは……自分だ。

 そこにいたのは腹を空かせた二体の野獣だった。

「焼き殺すでち!」

『グガアアアアアアッッッ!』

 大口を開けたドラゴンの喉の奥から赤熱した吐息が搾り出された。

 パンッと光が弾け、太陽と同じ色の彗星が発射された。通称、“魔竜の吐息”。熱エネルギーを内包した超濃縮魔法弾である。

 カッッッ、ボワァァァッ!

 砂ムカデは直撃を受ける。

 魔法弾は胴体の中ほどに突き刺さって左右に熱風を撒き散した。

『キシャーッッッ!』

 だが、敵も馬鹿ではなかった。今の一撃で実力の差を知って、砂ムカデは迷わず逃げに転じた。上半身から螺旋を描くように反り返り、砂の中へダイブする。

 尻尾までもが地中に潜り、完全に姿が見えなくなった。

 それでも砂の表面が蠢くので、見る人が見れば大体の位置は掴めるはずだ。

「パールちゃん、あそこでち!逃がすでないでち!今日のメインディッシュでち!」

『グガーッ、グガーオッ!』

 暑さの事も忘れ、ドラゴンは全速力で突っ走った。

 しばらくして、息継ぎのためか、砂ムカデは地中から飛び出した。

 イルカが波間を泳ぐようにアーチを描いて先へ先へと連続ジャンプを始める。

 この絶好のチャンスを見逃すパールちゃんではなかった。

『グガアアアアアアアアアッッッ!』

 “魔竜の吐息”最高出力。砂ムカデが頭から地中に飛び込もうとしたその一点を、高温高圧高熱量の魔法弾が襲う。

 カッッッ、バァァァァァァン!

 直撃を受けた頭だけが進行方向に弾き飛ばされ、それに続く胴体は地面に投げ捨てたロープのように縮れて転がった。

「近付いたら巻き付かれるでち!遠くから、じっくり火であぶるでち!」

 火が吹き付けられるたびに砂ムカデが翻筋斗打って転げ回った。敵に逃走する力は残されていなかった。

 やがて、砂ムカデは水蒸気を噴き上げて絶命した。

 ネネたちの狩りは成功したのだ。

 それはドラゴン猟師として在り来りな、当たり前の、よく経験する瞬間だった。日常の風景だった。

 父娘は一年に二季、春と秋にドラゴンを数十頭ずつ狩る。町の食肉解体業者達と森に入り、彼らの目の前でドラゴンをシバき斃す。肉屋共はハイエナのごとく群れ集まってドラゴンの皮を剥ぎ、肉を削ぎ、滴る血を集めて運び去る。

 数日後、彼らは肉の代金として山盛りの金貨を持って現れる。

 そして、父娘は多額の収入を得ると同時に自分たちの圧倒的な武力を人々に見せつけ、カムサラ王国政府のドラゴン盆地 に対する野心を牽制するのだ。

「焼き上がりでち!」

 ネネは喜び勇んでドラゴンの頭から飛び降りた。涎を拭いながらコンガリ砂ムカデの元へ向かう。

 おやおや、その脇を猛スピードで駆け抜けるのはパールちゃんだろうか。

『グガーッ、(モグモグ)ングガーオッ!』

 パールちゃんは砂ムカデに飛び付くと、その外骨格を噛み砕いた。

 次は頭をモグモグ。口に含んだまま、獲物の長い胴体を地面に叩き付けて千切ろうとする。奴の食欲は止まらない。

 ネネはしばらくの間、呆然とドラゴンの食事風景を眺めていた。

 パールちゃんはネネにオケツを向けて尻尾をフリフリ、食事の真っ最中である。

 自分の背後に沸き立つ精神的火柱に気づいている様子はない。

『ねんねより先に食べるでないでち!

 ――魔法キック――!』

 ただ光る足で蹴り飛ばすだけの技である。

 技を繰り出したのは、もちろんネネ。自分を差し置いて飯に食い付いたドラゴンのオケツに後ろからドロップキックをお見舞いする。

 ばきっっっ!

 まずは蹴られたオケツが瞬間的に跳ね上がり、その勢いで一拍遅れて巨体が前方へ宙返りする。そのまま砂ムカデの上を越えていく。

 どがっっっ、ズザザザザァァァッ!

 次に、砂やら涎やら鼻水やらをグチャグチャに撒き散らしながら砂の上を転がる。

『ホンゲーオッ、ホンゲーガグゲゴゲッ!』

 ドラゴンは体勢を立て直すと、一目散にネネとは反対方向にダッシュした。

 少し離れた所で立ち止まり、クルリと振り返ってネネのご機嫌をうかがう。

 さっき『魔法パンチ!』を喰らった時と同じリアクションである。芸のない奴め。

 怯えた目をしたパールちゃんを尻目に、ネネはメインディシュに駆け寄った。

 彼女は砂ムカデの脚を一本捻って毟り、それに噛り付いた。

「アツ、熱いでち!でも、(モグモグ)おいしいでち!」

『グガァ~……』

 向こぉぉぉぉぉぉうの方で恨めしそうにネネの食事風景を見守るパールちゃん。

 涎が絶え間無くあふれ、砂に吸収され続けた。

「んっ? パールちゃんも食べていいでちよ。」

 ついに、ご主人様の許可が下りた。

『グガァァァー!!!』

 たちまちパールちゃんは肉に飛び付いた。


 約一時間をかけて、一人と一頭は砂ムカデを丸々一匹平らげた。

 すっかりご満悦の様子である。

 パールちゃんは砂丘に頭・首・半身を埋め、涼を取っている。砂丘の反対側から鼻先だけを出して、時折ブフゥッと鼻息を噴射した。

「フゥー、オナカいっぱいでち。」

 一方、ネネはコウモリ羽根を日傘に、そして腹を背凭れにして寛いでいた。

 そんな時、ドラゴンがガサゴソと身動きをした。

 かおげでコウモリ羽根の位置がズレて直射日光がネネに降り注いだ。

「動くでないでち!日陰がなくなるでち!」

 脇腹を杖で殴ってやると、ドラゴンは頭を砂から出して悲鳴を上げた。もう一度殴られる前に慌ててコウモリ羽根を元に戻す。

 もはやマジックドラゴンのパールちゃんは、完全にネネの魔法従属体と化していた。


 日が西の空に沈む頃、ネネは再びドラゴンの脇腹を突々いた。

「そろそろ出発でち。涼しい夜のうちに、なるべくたくさん走るでちよ。」

 ご主人様が操縦席に乗るや否や、ドラゴンは『どっこいしょ』と体を立ち上げた。


 満天の星空の下、超巨大輸送機は快調に走り続けた。

 ネネは頭の上で寝ん寝である。


 その数時間後、深夜を越えたあたりで急に走行速度が落ちた。

「ン、なんでちか?」

 揺れの変化を感じてネネが目を覚ます。

 眠気眼で地平線を見渡すと、はるか彼方の空が白く光っていた。

「街の明かりでち。あしたには着く距離でちね。あしたのひと踏ん張りのために、今晩はここで休むでち。」

 ドラゴンは昼間と同じ体勢で睡眠を取った。

 ネネは砂漠の虫共に食われないようにと、巨体の上で寝る事にした。



 やがて一人と一頭は朝を迎えた。

 日差しが暖かく感じたのは最初の一時間だけだった。すぐに、あの熱波が押し寄せた。

「まずいことになったでち。砂漠に来てからとった水分といえば、砂ムカデの肉汁くらいでち。」

 つまり、喉が渇いたらしいのだ。彼らが生き残るには、この強烈な太陽光線をやり過ごして夜を待ち、涼しくなったところでなるべく距離を稼ぐ必要がある。


 正午過ぎ、ネネの渇きが限界を迎えた。

「お水が……お水がほしいでち。冷たいお水をオナカいっぱい飲みたいでち。」

 まるで干物のようである。

 それでも死なないのは、ネネが常人離れした生命力を備えているからに他ならない。

「お水、み…ずぅぅぅー……」

 白目を剥いたネネの脳裏に、ある映像が浮かんだ。

 ――裏山の崖の中腹から湧き出る岩清水。

 人の腕ほどの水流が噴き出して、足元の岩に打ち付ける。

 この時、ネネはある欲望に取り憑かれていた。岩清水の映像から連想したのだろう。

「そういえば……パパちゃまが、ドラゴンのオシッコは非常用飲料水だと言ってたでち。」

 飲むのか?

「でも、オシッコなんて。ねんねは裏山のおいしいお水しか飲まないでち。畜生共の膀胱通った黄色い汁なんて飲めたもんじゃないでち。」

 そうだろう、そうだろう。やめておいた方が身のためだ。

「後少しガマンすれば日が落ちて、涼しくなって……その後はどうするでちか?日が落ちてもお水の出が少なくなるだけで、お水は補給されないでち。おおおうっ、ねんねともあろう天才お子ちゃまが失策をするとは!あっ、そうでち、お水を召喚すればいいでち!クルクルクルクル――!」

 ネネは杖を空へ向けて回した。例の魔法陣を作るつもりだ。

「これでお水を山ほど降らせてプールを作るでち!ねんねは裸ん坊になって、あふれ返るお水と一つになるでち!パールちゃんと水中ランデブーでち!……………あああああああああっっっ、お水にはねんねの目印がついてないでち!!!」

 すでに脳がやられているのだろう。可哀想に。

 現場に変化が生じたのは、その時だった。それは、ある意味では絶好のタイミングと言えた。だが、別の意味では最悪のタイミングと言えた。

 両頬を押さえて痙攣するネネの背後でドラゴンが立ち上がったのだ。背凭れを失ったネネは、同じポーズのままコテっと後ろに倒れる。

「なんでちか?」

 砂に寝転んだ姿勢でドラゴンを見上げると、

『グガガー……!』

 パールちゃんが恍惚の表情で首をグッと前に伸ばした。

 さらに反対側の尻尾をピンと後ろに伸ばした。

 そして――

 じょろ、じょろじょろじょろじょろ~!

 突然、奴は小便を垂れ始めた。

「うをッッッ!オシッコ、オ、オシッコでち!」

 渇きに苦しむ少女の目の前で大量の水分が滴った。

 少女は水流から目を離す事ができなかった。その勢いが徐々に弱まる。

 もう時間が無い。

『うわぁぁぁぁぁぁ~!』

 少女は意を決してドラゴンの股座に両手を伸ばした。


 ――それから十分後――


『グガーッ!』

 元通り砂に半身を埋める体勢のパールちゃん。

 膀胱に溜まったガマン汁を出し切って、ご機嫌である。

 その腹の前でネネは科を作って地べたに座り込み、砂で手を洗い続けた。彼女の両目からは、たった今補給したばかりの水分が滝のように流れ下った。

「ねんねは齢十歳にして、なにかとっても大切なものを失ったでち……」

 生き残るためとはいえ、自分は畜生のオシッコをすすったお子ちゃまだ。

 そんなお子ちゃまが、カムサラ王国の町々を大手を振って歩けるはずがない。

 言わなきゃバレない事だが、ネネはガラスの心を持ったお子ちゃまだった(※ウソ)。

 ところがである。しばらくして、ネネの体に思いもよらぬ副作用が現れた。

 ボウッッッ!

 突然空気が揺らぎ、ネネの全身から靄が立ち昇った。

「な、な、な、なんでちか、体に力がみなぎるでち!」

 体の芯が熱くなる感覚だ。

「これはパールちゃんのオシッコを飲んだ影響でちね!?」

 マジックドラゴンと言えば、肉も骨も体液も全て超強力滋養強壮剤である。

 ネネはドラゴンの尿を大量摂取する事により、そのパワーを受け継いだのだ。

 これで数日間の生命維持は保証されたようなものだ。

 ドラゴンが用を足す度に黄色い汁を拝借すればいい。その代償としてプライドを失い続ける事になるが。


 ネネたちの強行軍に二度目の夜が訪れた。

 彼らは砂漠を走り続ける。今晩は西の空に三日月が輝いていた。

 月明かりに照らされながら、ネネはドラゴンの頭の上で寝ん寝していた。



 ある晴れた日の朝、農家の主人は突然の来客にドアを開けた。

 玄関先に立っていたのはマント姿の少女だった。

「お水を飲ませてほしいでち。」

 少女がそう言った。おかしな口調だったが、見てくれが可愛かったので警戒心は生まれなかった。

 農家の主人は、部屋の奥に佇む妻に意見を求めた。妻は生まれたばかりの赤ん坊を抱いて笑顔で頷いた。

 ほどなく小さな水瓶とガラスのコップが用意された。

 だが、少女にコップを渡そうとして主人の顔色が一変する。

『グガガガー……』

 いつの間にか、少女の背後にドラゴンの顔面があった。

「んっ?あっ、パールちゃん、あっち行ってるでち!」

 ガツッ!

 凍り付いたように固まった主人の目の前で、少女は何のためらいもなく杖でドラゴンの顔面を殴り付けた。

 この一撃で、ドラゴンは玄関先からドタバタと逃げ出した。

「お座り!」

 間を置かず少女が叫ぶ。

 すると、ドラゴンは反射的とも思える動きで、その場で尻を引きずって止まった。

「伏せ!」

 今度は腹を地面に付ける。

「そのまま、じっとしてるでち!」

 ちゃんとドラゴンが理解したかどうかは不明だが。

 少女は納得した様子で玄関先に戻り、主人の手からコップを取り上げた。

「プハーッ!かたじけないでちね。これで水分補給は万全でち。」

 一般人がドラゴンに恐怖している事など考えも及ばないのだろう。

 それだけでなく、再び自分の背後に忍び寄るドラゴンにも気が付いていない。

「ハヒィィィ……!」

 主人の口から声だか息だか判別できない音が搾り出された。

 ネネの後ろで、ドラゴンは鋭い牙を覗かせてダラダラと涎を垂らしていた。

「あっち行けって聞こえなかったでちか!?」

 それを少女が追い立てるのだ。しかも追い立てられたドラゴンが逃げるのだ。

「アンタぁ……」

 妻は不安気に夫を呼んだ。だが、返事はなかった。

 彼はドラゴンVS少女の追いかけっこを目の当たりにし、魂を失いかけていた。


 ――それから五分後――


『グガーッ、(ゴクゴク)グガーオッ!』

 井戸に頭を突っ込んで水をガブ飲みするドラゴンがいた。

「飲みたいなら飲みたいって言えばいいでち。」

 少女が井戸の横で一言。

「言えないって……」

 主人のツッコミ。妻は赤ん坊を抱えて、家のドア越しに恐怖の眼差しを向ける。

 ドラゴンが水を飲み終えたところで、少女はこんな事を言った。

「ゴハン食べさせてほしいでち。」

「断る!とくかく、そのドラゴンを連れてどこかへ消えてくれ!」

 即答である。ご主人、ご尤もなご意見でご座います。

「ほお、ほお、ほお、断るでちか?このドラゴン盆地のねんねのお願いを断るでちか?」

「な、なんだ、やろうってのか!?やればいいさ、ドラゴンでオレらを踏み付けにすればいいさ、だがなぁっ、絶対に屈しないぞ、オレは負けないぞ!」

「なに言ってるでちか?取引でちよ。」

「取引?」

「知らないでちか?ドラゴンのオシッコは最高級の肥やしでち。」

「オ、オシッコ?」

「ゴハン食べさせてくれたら、ドラゴンのオシッコ畑にまいてあげてもいいでちよ。」

 少女とドラゴンの向こうには自分が所有する畑が拡がっていた。

 最近はどうも作物の育ちが悪い。少女の話が本当なら、こんなオイシイ話はないのだが。

「うーん、オシッコかぁ……」

 主人は悩んだ。

 取引を受けるか否かは、まさに賭けである。

「それなら、デモンストレーションを見せるしかないでちね。」

 少女がドラゴンの腹の辺りを突々くと、不思議な事が起きた。

『マジカルしぃ~しぃ、オシッコしぃ~!』

 少女の言葉通り、ドラゴンはその場で小便を垂れ始めた。“尿意の魔法”である。

 ドラゴン自身も、後から後から勝手にあふれ出す小便に困惑顔だ。

 自分の股を覗き込んで首を傾げている。

 変化は、すぐに起きた。

 場所はドラゴンの足元――しおれていた地面の雑草が瑞々しく鮮やかな葉色を取り戻したのだ。

 あっと言う間の出来事である。

「もう止めるでち。」

 少女は“尿意の魔法”を解除した。なのにドラゴンは小便を垂れ続ける。

「そこで止めるでち!オシッコをムダづかいするでないでち!」

『グガッ!』

 恐怖に戦き、慌てて小便を止めるドラゴン。

 何はともあれ、デモンストレーションは成功したようだ。

「すごいっ、すごいじゃないか!食事だけなら、いくらでも食ってくれ!今年は豊作になりそーだぞぉっ!」

 農家の主人は確たる証拠を突き付けられ、少女の申し出を快諾した。


 ネネは農家の主人や妻と一緒に食事を取った。

 窓の外では、ドラゴンが畑に尻を向けて勢い良く小便を噴射していた。パールちゃんの気分爽快な表情が見て取れる。



 児童遺棄三日目の昼前、ドラゴンは頭にネネを乗せ、順調に距離を稼いだ。

 街道を行き交う人々が『ヒィ~ヒィ~!』と喚きながら腰を抜かすが、それもご愛嬌という事で。

 それも束の間。森が深くなり始めた辺りで、突然ドラゴンが街道を逸れた。

「どこ行くでちか?戻るでち!」

 ネネは軌道修正を図るが、ドラゴンは言う事を聞かない。

 奴は森に突っ込んだ。木々を掻き分けて突っ走る。何かを求めるように、どんどん峰を登っていく。

 そして、遂に峰の頂上に到達した。

 ――見下ろすと、そこには広大な盆地が拡がっていた。

「おおおっ、ドラゴン盆地でち!ねんねのお家はもうすぐでち!パールちゃんは近道したでちね!えらいでち!よっ、男前!男かどうか知らないでちけど、男前!」

 ネネはこの三日間の苦しみを思い起こし、感動に咽んだ。

 パールちゃんを懐柔(※脅迫)するまでの苦労。

 食糧を調達(※惨殺)するまでの苦労。

 水分(※オシッコ)を補給(※ガブ飲み)するまでの苦労。

 今となっては何もかも白日夢のように思える(※意識が混濁していて記憶障害を起こしている)。

 それでもドラゴンはネネの感動などお構いなしに峰を下った。

 ばさっ、ばきっ、ぐちゃっ、めきめきめきめきっ、どがっ!

 当然、木々の枝はネネの顔面などを捉えるわけで――

「おっはぁぁぁっ、止まるでち!ああっ、でも止まったらお家に帰れないでち!もう少しゆっくり走るでち!」



 同じ日の昼過ぎ、ボロボロの格好で自宅前に立つネネがいた。

 引戸を開けると、そこには平然と新聞を拡げて昼食を取る父親がいた。

「おおっ、意外と早かったなぁ?」

 挨拶は、それだけだった。

 その場で静かに引戸を閉めるネネ。

 そして、振り返って柔らかな日差しに顔を向けた。

 ――ネネは思った。

(天国のママちゃま、ねんねはきっとパパちゃまより強くなるでち。けちょんけちょんにやっつけて、ドラゴンの卵の殻に詰め込んで、他の生きた卵と一緒にドラゴンの巣に戻しておくでち。ドラゴンに托卵されるドラゴン猟師――いっひっひっひっ!屈辱でち!)

 多分、この娘は本当にやる。



 ――ねんねの行進――おわりでち。

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