マジカルねんね!(12)
重臣らが論議を交わす中、ロンダーが王宮の会議室に入って来た。
『魔軍が消えたそうだな?』
彼は小声で女王サディアに話しかけた。
『ええ、一瞬の出来事だったそうです。』
女王も小声で返した。
『雫落としは?』
『もう必要ありません。』
『そうか。実は……』
『どうしました?』
『息子に誘われた。魔軍の痕跡を見に行きたいそうだ。』
『それは丁度いいですね。』
少し考えて、女王は正面を向き直った。
「魔法教官長の貴方なら何か分かるかも知れません。魔軍の痕跡を調査して下さい。」
他の重臣にも聞こえるように言う。
対するロンダーは「畏まりました」と敬語を使って答えた。
同じ頃、ゼッターは自室を抜け出して王宮の廊下を壁伝いに進んだ。
顔からは汗が噴き出し、全身が酷く震えていた。
(――早く伝えなければ――!)
それだけが彼を揺り動かす原動力だった。
あたしたちは王宮に戻って建物の中を見渡した。そこには誰も居なかった。警備兵も侍女も侍従も。
「なんだか閑散としてるわ。」
「王宮に戻って来てどうするんだぁ?」
「とりあえずカウちんを探すでち。」
(なぬぅっ!?)
あからさまに拒否反応を示すタム。いつまで対抗心を燃やしているつもりだ、弟よ。
「あっ、あそこ!」
あたしは何かに気付いて回廊の先を指差した。曲り角から人の腕が出ていた。
「なんでちか?」
「行き倒れだろぉ?」
「そんな訳ないでしょ!」
角を曲がると、そこに老人が倒れていた。
「おじいさん、大丈夫!?」
あたしは老人を抱き起こす。
「ウッ……」
薄目を開ける老人。まだ息は有るようだ。
「お嬢さん、ロンダーに……ロンダ……」
老人は、うわ言のように呟いた。
「魔法教官長の事?」
体を揺するが返事はない。
「仕方ないでちね。ちょっと活を入れてあげるでち。」と言って、ネネが懐から取り出したのは謎の小瓶だ。
「何よ、それ?」
「昨日ミルクちゃんを処分して作ったドラゴンの血液濃縮エキスでち。」
コルクの栓を抜いて小瓶を老人の口にネジ込むと、すぐに変化が起きた。
『ぶおおおおおおっ!この生命力に溢れた息吹きは!?』
瀕死と思われた老人は目を開けっ広げ、声を荒げ、全身に力をみなぎらせた。
「何があったの?ロンダーさんが、どうしたって?」
「おおっ、そうだった。ワシはロンダーの父、ゼッター‐ヴォールトだ。んっ?そうか。其方らはロンダーが話していた三人組だな?」
ゼッターと名乗る老人は、あたしたちを順番に観察した。
「二人がパックス姉弟。」
まずは、あたしとタムを見る。
「そして、そちらが――」
「ねんねでち。」
「知って居る。ドラゴン召喚ができるそうだな。ならば、大丈夫だ。」
遠くを見るような目だった。
――大丈夫って――?
あたしたちに何をさせようというのだ。
「実は、先ほど息子に格納魔法を相続させた。」
それは突然の告白だった。あたしとタムとネネの三人は互いに顔を見合わせた。
「――格納魔法といえば察しは付く筈だ。」
「魔王を封印してるでちね?」
ネネの問いにゼッターは無言で頷く。
「相続作業の時、部屋に何か異様な気配を感じた。それが気になって息子に伝えようとしたのだが。」
「部屋には誰がいたでちか?」
「部屋にはロンダーと、もう一人――」
そこまで言ってゼッターは黙り込む。その数秒後、彼は決意したように口を開いた。
回廊の先から一人の侍女が歩いて来るのが見えた。
「ゼッターちゃまを頼むでち!」
ネネが叫ぶと、侍女は大慌てで駆け寄ってゼッターの体を支えた。
「ロンダーさんを探さなきゃ!」
「女王ちゃまなら居場所を知ってるでち!」
「なんか今日は移動が多い日だなぁ~!」
あたしたち三人は回廊を走った。
この時、ゼッターは走り去るネネの後ろ姿を見て『あの娘、ドラゴンの匂いがする。』と静かに呟いた。
王宮の会議室に、ネネが先頭になって飛び込んで来た。
「ロンダーちゃまは、どこ行ったでちか!?」
「ロンダー、ですか?」
女王は落ち着いた態度だった。この非常事態を察した様子はない。
「二人で魔軍の痕跡を調査しに行きましたが。」
「二人?」
ネネは屋外の景色に目を這わせてハッと表情を変えた。
(まずいことになったでち!)
彼女は全てを悟った。
「女王ちゃま!」
「何でしょうか?」
「全軍を動かすでち!」
『はあ?』
女王だけでなく、重臣らも問い返した。
「『はあ?』じゃないでち!ロンダーちゃまを追いかけるでち!」
彼らの反応に憤りを感じたのか、ネネはピョンピョン跳ねながらヒステリックに叫び倒す。
「なぜロンダーを?」
「ロンダーちゃまが危ないでち!」
「もう魔軍は撤退しました。危険はありません。丘陵地帯には我が王国軍も居ります。」
女王は少し腹を立てていた。その態度がネネの怒りに火を点けたのは言うまでもない。
「いいかげんにするでち!みんな、ねんねの言うこと聞くでち!」
――事態が別の意味で悪い方へ悪い方へ向かっているのを感じた。
絶対に何かが起きると思っていた。というよりも、ネネが何かを起こすと思っていた。
「いい加減にするのは君の方だ!小娘ごときが、セビン殿に雇われているという理由だけで王宮の中を荒らし回りおって!」
重臣の一人がネネを窘めた。言ってる事は大正論だ。ネネは小娘だし、他人の迷惑など気にしないし、とても偉そうだし、ごうつくばりだし、たまに悪人顔になるし。
『むっっっ!』
抗議の声に、ネネは物凄い形相で睨み返す。睨まれた重臣はオドオドと目を逸らした。
『もう怒ったでち……』
ネネが口中で呻いた。その顔付きは獲物を威嚇するオオカミのそれに酷似していた。
『ねんねの言うこと聞かないとドラゴンの餌食にするでちよ!』
「……ッッッ!」
一同唖然。女王も重臣らも言葉を失う。
「あーあ、キレちゃった。」
あたしとタムだけが深く項垂れていた。ネネが事態収拾に乗り出して、穏便に事が運んだ試しはない。
それは分かっていたのだが……まさか、こんな事になるとは。
ネネは高らかに言い放った。
『本日この瞬間より、ねんねがパラミレニア王国を占領するでち!』
「えええッッッ!?」
一同絶叫。そして、顎の外れた顔。
『歯向かう弱い子ちゃんは虫虫ディナーの刑でち!』
某年某月某日――千年の歴史を誇るパラミレニア王国の主権は、ネネ・ザ・ドラゴンズヴースンと名乗る女の子に簒奪された。
その場で彼女の妄言に逆らえる者は誰一人としていなかった。
ロンダーとカウは郊外の一本道を歩いていた。
とても良い天気だった。付近に家は無く、まばらに木の生える平地が拡がっていた。少し先に見える丘陵地帯が今回の目的地だ。
「まだ生きていたのか。」
ロンダーは息子の肩に乗るコアラに目を移した。それに不信感を抱いている様子はない。
「――お前の母様が妊娠を知った時、一緒にベットで寝ていたんだぞ?」
「さっき王宮の庭先で拾ったんです。」
カウは答えて、王宮の方を指し示す。
「そうかそうか。それにしても、長生きだなぁ、コイツは。」
不信感を抱くどころか、ロンダーは親し気にコアラの頭を撫でる。彼にとって、この動物は特別な存在だった。
時は二十年ほど遡る――
王宮の庭先でコアラが木に止まっていた。 いつからそこにいたのか、誰も知らなかった。気が付いたらそこにいたのだ。最初に見つけたのはロンダーの妻だった。彼女はコアラに手を伸ばして、その頭を撫でた。
――妻はコアラを抱いて、ロンダーの所に見せに行った。
「きっと誰かが飼っていたものが逃げ出したんですわ。」
そう言って彼女は笑った。
妻はコアラと一緒に寝るようになる。拾ってから、もう数カ月が経っていた。
妻の妊娠が発覚する。ロンダーは我が妻に寄り添い、腹に手を宛てがった。その傍らにコアラがいた。
やがて息子が生まれる。
「名前はカウにしよう。」
ロンダーは笑顔で息子を抱き上げた。
乳を吸う息子。妻の背中にはコアラがしがみ付いていた。
息子が成長する。王宮の中庭で戯れる親子三人。傍らには必ずコアラの姿があった。
妻が亡くなる。葬儀の日、コアラの姿は見えない。
「コアラは?コアラは何処へ行った?」
ロンダーは喪服姿で、しきりにコアラを探し回った。
場面は再び王都の郊外に戻る。
「お前の母様が亡くなってから、もう十年経つのか。」
ロンダーは過去に思いを馳せた。しかし、なぜか息子から目を逸す。その脳裏には、ある後ろめたい感情が湧き上がっていた。
妻の葬儀の当日、当時十七歳だった女王サディアがロンダーの部屋を訪れた。彼女も黒っぽい喪服を着ていた。
「ロンダー殿、この度は大変な御不幸でした。私は貴方の奥方とは――」
「いえいえ、女王様御自ら家臣如きに、そのような御言葉を掛けて下さるなど。」
女王の言葉を遮り、ロンダーは跪いて頭を下げた。
「ロンダー……」
この時、女王の表情が変わった事に彼は気が付かなかった。
「光栄の極みで御座います。」
「ロンダー!」
「――ッ?」
大声で名前を呼ばれ、驚いて顔を上げる。
「私は心より貴方の奥方の死を悼んでおります。それを貴方は、礼儀忠節の教科書に載っている定形文で返されるのですか?」
女王は目に涙を溜めて言う。
ハッと息を呑むロンダー。彼女の発する言葉が深々と心に突き刺さった。そして、心を奪われた。
サディアは誰かに呼ばれて振り返り、そのまま部屋を出て行った。
その後姿を見ながらロンダーは心の中で呟いた。
(何という不潔な男だ。妻の葬儀が行われたその日に……)
場面は三度王都の郊外に戻る。
(サディア様との距離が狭まったのは、彼女が十八で正式に戴冠した後かな。そうだ、明日あたりにでも御父上に御報告申し上げよう。)
ロンダーはコアラに視線を戻した。
――そのコアラの目が、いつの間にか赤い光を湛えていた。
『ホゲェェェェェェッッッ!』
「なッ!?」
突然の咆哮に身を引くロンダー。瞬く間に赤い光が膨張し、ロンダーはそれに呑み込まれた。
コアラはカウの肩に乗ったまま突如巨大化した。大きさはヒグマくらいある。
「うわぁぁぁっ!」
カウも驚いて横に転げた。
『其処かぁっ!其処に封印されているのだな!?』
大口を開けて人の言葉を吐くコアラ。その太い腕が振り上げられる。
キラリと光る五本の鉤爪――
ザシュッッッ!
ロンダーの胸元が赤い色に染まった。大量の血が噴き出し、彼は後ろに倒れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます