*完結おめでとうございますー!!
詩的な言葉で、私的な物語を語るエッセイ。
語り口は柔らかく、まるで文字の向こう側から著者が語りかけているような心地の文章で、著者の思い出を綴っていく。エッセイというよりは、物語であり、詩であり、日記であり、呟きであり、でもやっぱりエッセイという不思議な雰囲気のエッセイだ。
著者の思い出と共に登場する本は、誰もが知っている名作たちばかり――『雪国』、『檸檬』、『月と六ペンス』。小説だけでなく、詩集、音楽、写真、映画と、どこかノスタルジックな気分にさせてくれる、たくさんのジャンルの名作、著名人が登場する。著者の文章を読んでいると、不思議と過去が喚起され、思い出の一冊を読み返したくなってくるのだ。
さぁ、このエッセイを読んで、あなたの思い出の一冊を振り返ってみよう。赤ワインなんかを飲みながら、煙草をふかしてみるもの良いかもしれない――思い出の一冊を読むのだから、少し贅沢をしたっていいじゃないか。
たまには宿酔してみるのだって、悪くはないだろう?
雨音には、リズムがある。
目を閉じて、水溜まりの波紋を脳裏に思い浮かべてから、この作品を読んで欲しい。
染み入るような霧雨も、穿つようなスコールも、雨粒ひとつひとつが言の葉となって、私の、あなたの心を打つのである。
エピソードのひとつひとつが、言葉と、想いと、出会いの積み重ねだ。
手の平を重ね、そこに雨を溜めてみよう。
いつか、溢れて、落ちてしまう。
その雨を、我々は、或いは別の誰かが受け止め、溜めてくれるはずだ。
この作品の世界は、『そういうもの』であると、私は言い切る。
伝えるということ、共有すること、繋ぐこと。
温かく、柔らかく、身体を冷まさず、心を濡らす、優しい雨。
そんな雨が、あってもいい。
無理やりカテゴライズしてしまうと、「詩的な文章で綴られたエッセイ集」でしょうか。やや私小説的でもあります。
とはいえ、これほど内容を分解して考察する行為そのものがバカバカしい作品も、Web上の小説投稿サイトではそれほど多くないでしょう。
おそらく、エピソード毎のテーマと共に、ただただ言葉の持つ表現の妙味のようなものに触れさえするだけでも、心に響くものがある人は少なくないと思われます。
そこから薫り立つ叙情的な雰囲気を楽しむことができれば、これは麗しき文系の花園であり、あるいは至上の「癒し」足り得るテキストの数々なのです。
綴られる内容はもちろんのこと、その言葉遣いの美しさにくらくら来ます。 どんなレビューも陳腐に見えて、何度書き直したことか。他のレビューの皆さんのお気持ちが痛いほど分かります。 私も、この優れた御作品に相応しいレビューができる力量が身に付くまで待つべきと思いつつ、そんなこと言ってたら一生レビューできない気がして今日は思い切って残していきます。
こんなすごい言葉の天使に出会ってしまうと、自分はプロットだけの小説書きだと思い知らされる、けれども、だからこそ、こうして何度も読ませて頂いて少しでも学んで行けたらと思うのです。
もちろん、その類まれな創作世界に浸らせて頂く幸せを享受しつつ。なんという贅沢だろう、巡り合えたことに感謝です。
勝手ではありますが、告白させていただきます。
わたしは六月様の作品にレビューを綴らせていただこうとすると、なぜだか常になく悩んでしまうのです。この作品に限らず、六月様の書かれた作品は全て、です。
どうしてでしょう。
しばらく考えて、答えを見つけ出しました。
レビューを綴ろうとすると、どうしても六月様に対する恋文になってしまうのです。それで、なかなか言葉にできずに――
わたしがレビューを綴るときは、その作品の核のようなものを拾い上げ、それを中心にわたし好みの装飾を施して言葉にいたします。
心を込めて書かれた作品には物語の中に核が隠されておりまして、物語の中に入り込むように読むことでその核に触れる事が出来ます。一度読むだけでは捉えにくかった場合は、何度か読み返すことで浮かび上がってくるものです。
レビューで作品の内容をそのままお伝えしては読む面白さが失われてしまいますから、いつもは核を中心に暈かしを入れながら綴っております。
核とは作品の根っこ。
六月様の作品の核は、『六月様』でした。
『六月の本棚』はもとより、『玻璃の音*書房』も、作品中に登場するコリス君のご活躍を描いた『こりす書房』も、核に六月様がいらっしゃるのです。
好きな物全てを“大好き”で包み込めるくらい素直で優しくて、登場された方みんなを甘く描き出す柔らかさを持っていて。
ことのは一葉の手ざわりにも気を配って角を撫でる心遣い、読む方へ伝わって欲しいと願いが込められた言霊の熱さ。
形ある物をより楽しく見せる工夫と、視点に凝った描き方。
もっとも可愛らしいところは、形の無いものを形の持たせない本当の姿のままで紙面に載せようと奮闘なさるお姿です。それは、物書きの誰もが目指して挫折した道でしょう。
もっとも素晴らしいところは、形の無いものを形の持たせない本当の姿のままで言葉にしようなさって、その欠片を作品に写し出しているところです。
対象に真摯に向き合い、全霊で作品に向き合うお方。
そんな六月様のお心が、作品の全てに溶け込んでいるのです。
この核でレビューで綴ってしまったら、お読み下さった方にまるで恋文のようだと取られるではありませんか。
佳麓冬舞は様々な作品に対応できるようにとレビュアーを4名用意しておりますが、女性の借り身のわたしですら、この核を綴るのは恥ずかしく感じてしまいます。
万人に受けるように物語を書くとき、多くの方は自分を偽り、自分に足りない魅力を補完したキャラクターを作り上げます。作品の世界も同じく、いかに作者を隠せるかが焦点となるものです。それでも隠しきれなかった部分が、雑味として、個性として作品に深みを生むのだと思います。
でも六月様の作品には作者のお心が、探すまでもなく、すぐ表面で揺れているのです。そして、その世界は優しく居心地の良い空気を纏っているのです。
作品の雰囲気は、六月様がお持ちの雰囲気であり、お心の姿なのでしょうね。
そのような理由から、六月様の作品にレビューを綴るのが難しいのです。
それでもお伝えしたくて書き連ねた結果、このような形になってしまいました。
筆力が足りず、ごめんなさい。
心を溶かした色。
居心地の良さ。
六月様の作品を好きになった方ならきっと、作者様への恋文を綴れることでしょう。
友人Kとして佳麓冬舞が登場いたしますから、『わたしルール』により星は一つとさせていただきます。
ごめんなさいね。
(追記させていただきました)
ある人の本棚に並べられた本には、その人の人生が詰まっている。私はいつからか、そう思っています。この本棚に並んだ本も、だれかの美しい人生の思い出です。
空白を用いた、散文と韻文の中間のような文体は、目にも耳にも心地よく響きます。ぽつぽつと語られる本の思い出には、きらめきながら霞んでゆく色彩が見えます。よく選ばれた言葉は、或る人の本の思い出を語るだけ。それなのに、いや、だからこそ、お堅い批評や書評よりも、ずっとその本への興味を惹きます。
ここに出てくる本はきっと、誰かの人生を垣間見る読者の、その人自身の人生となるでしょう。
これからどんな本が並べられていくのか、これからの「本棚」を楽しみにしたいです。
(5・7追記)
最新話まで、拝読しました。ちょっと、どうしても書かなければいけないと思ってしまったので、こっそり追記します。個人的な思いになってしまって、しかも感情の迸るまま書きますので、もし目障りであったのなら、消してしまってください。
第5話を読んで、動けなくなりました。何度も何度も、読み返しました。読み返せば読み返すほど、ああ、ここには私がいる、私とおなじ寂しい誰かが、この手紙の向こうにはいる。そう思って、しばらく、何も出来ないでいました。誰かの書き残した言葉が、こんなにまで自分のなかに入ってきて、声が聞こえて、怖ろしいほどにずっと残って、そんなこと、ちょっと今までにありません。
レビューの質とか、文体とか、「誰かもまた読んでみたくなるような」とか、そんなこと、もう気にしていられない、書くしかない、それでこの追記を書いています。文章も何も滅茶苦茶です。乱文をどうかお許しください。
それほど、どうしようもなく、持っていかれました。この感情を書くために、こんなにも言葉がみつからないものかと、困っています。
本棚を覗き見るつもりだったのに、気づけば、自分の本棚のいちばん大切なところに飾りたい、そんな文章に出会ってしまいました。できるのなら、作者様と、お友達になりたい。会って、お話がしてみたい。文章を読んでそんな事を思ったのは、初めてです。
なんだか少年の初恋めいた、痛いものを書いてしまいました。でも、書かずにはいられないので、恥ずかしいですが、そのまま送ります。
どうか、身勝手な感想を、ご容赦ください。