近未来……等と言う様な、遠い未来では無い将来、現実に稼働していそうなマシーンですね。……いや、既にソフトとして稼働しているのかも……。
それでも自身の作品が称賛されれば、間違いなく喜ぶと思う所が怖いwww。
有りそうで、無さそうで、でも有りそうなストーリーが非常に面白かったです。技術的な複雑性を全面に押し出すのではなく、それを使う、または使われる人間のメンタリティーにスポットを当てている所も、想像が容易で非常に入り込みやすかったです。
そして、既にその様なマシーンが稼働していても、恐らく気付かないだろうと考えて……少し悲しかったですね。素晴らしい作品でした。
――評価とは無縁の、本当の芸術ってものが世の中にあると思っているのだったら誰にも見せずにタンスの中にでも閉まっておけばいい。非現実の王国のようにな。
(本文より抜粋)
『非現実の王国で』を執筆したヘンリー・ダーガーにとっては、狭い部屋の中、独りきりで綴っていた物語こそが自分の世界だったのかもしれない。
けれど、私は現実の世界を生きている。
疑うべくもない事実だ。そうでなければ他人からの評価など求めない。欲しがらない。
人間は社会的動物である、と誰かが言った。
社会を構築し、その中で他者と触れ合い、役割を負うことで生きるものだ、と。
だからこそ私は他人にどう思われているかを、どうやっても頭の隅から追い払えないのだろう。
そういったたくさんの言葉が、この物語を読み終えるまでのひとときの間、泡のように生まれ、生まれ、生まれ続けて今でも残っている。
読んでいる間も、読み終わった後も、その中に書かれていた『何か』について考える――それこそが、優れたSFの持つ力ではないだろうか。
タイトルでもう感想をいい尽くしてしまったので、少し追記したいと思います。SFの界隈でしきりと話題になっているのはシンギュラリティについてです。人間を超える人工知能がこれからの社会でどんな活躍をしていくのか興味は尽きません。
全自動賞賛機のような機能であればまだまだかわいいものです。実際に、どこかの賞で、人工知能が書いた作品が一次選考を突破したという話も聞きましたし、僕が思うに、人工知能に下読みをやらせることで、カクヨムのようなサイトが潜在的に抱えている諸問題を合理的に解決できるかもしれません。
それにしても、確かに表現者が賞賛を求めているという要素はそれがすべてではないにせよあると思います。さながらマッサージチェアのように、機械による賞賛が我々を満足させる、そんな未来がもしあったとしたら、それはひとつの皮肉的なディストピアとも、合理的なユートピアとも考えられます。しかし、やはり僕は、小説を書いたのが人工知能であれば、それに心から感動はできないでしょうし、小説を賞賛してくれるのが人工知能であれば、あまり喜ばしくないとは思います。創作とは対人間のコミュニケーションでもあると思うからです。唯一、新人賞の下読みのような場面で、機械的な足切りに使われるくらいであれば、二次選考に人間が控えているのであれば、辛うじて納得できます。
しかしそうした感慨も、オーガニックな要素が欠片も存在しないある意味で悪夢のような、ディストピアであるとさえいえる現代社会において生きる我々からすれば、機械が作った衣食住に支えられて生きる機械のような存在に成り下がった我々からすれば、ノスタルジックなものなのでしょうか。
これからの時代に本格化するのは、まさに横浜駅SFで書かれていたような、人工知能が我々を超える上位の存在として世界に君臨し、すべてを変えていく未来になるのかもしれません。そうした派手なシンギュラリティがこの世界を覆う前には、全自動賞賛機のような目に観えないシンギュラリティが我々の前に顕在化することになると思います。ひょっとするともうそれは起こっているのかもしれません。シンギュラリティの専門家である落合陽一さんも、場を操作することでそこにある物を動かすことを研究されています。SNSというのがひとつの場であるとすると、そこでひたすら小説を読み、レビューし、小説を投稿する我々こそは、すでにカクヨムという運営の思惑によって操られる機械のような存在であるといえるのかもしれませんね。
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※全自動賞賛機による出力を一件完了しました
ほめるとのびるもん☆
とかほざく奴は、大概自助努力ができない愚か者に分類されます。
かくいう私もその一人でね。ほめられたら、調子に乗らず自戒するようにしています。
むしろ、罵られる方が信憑性もあるかもしれないですね。
想像してみてください。
泉鏡花を愛読する女子高生が、あなたの自信作を酷評するとしましょう。
「何これ? てにをはの使い方間違ってる。あんた、ほんとに大和魂持ってんの?」
こんな感じで。たとえですがね。萌えません? いかにもサブカルに理解のありそう女。カープ女子みたいでしょ。
望ましい賞賛なんて人それぞれ。
でも手塩にかけた作品は多くの人に読まれ、褒められたい。
そういう安易な期待をさせてしまうのが、ネット小説の本当の怖さかもしれません。