星新一作品を思わせる皮肉的な展開にくすりときましたね

タイトルでもう感想をいい尽くしてしまったので、少し追記したいと思います。SFの界隈でしきりと話題になっているのはシンギュラリティについてです。人間を超える人工知能がこれからの社会でどんな活躍をしていくのか興味は尽きません。

全自動賞賛機のような機能であればまだまだかわいいものです。実際に、どこかの賞で、人工知能が書いた作品が一次選考を突破したという話も聞きましたし、僕が思うに、人工知能に下読みをやらせることで、カクヨムのようなサイトが潜在的に抱えている諸問題を合理的に解決できるかもしれません。

それにしても、確かに表現者が賞賛を求めているという要素はそれがすべてではないにせよあると思います。さながらマッサージチェアのように、機械による賞賛が我々を満足させる、そんな未来がもしあったとしたら、それはひとつの皮肉的なディストピアとも、合理的なユートピアとも考えられます。しかし、やはり僕は、小説を書いたのが人工知能であれば、それに心から感動はできないでしょうし、小説を賞賛してくれるのが人工知能であれば、あまり喜ばしくないとは思います。創作とは対人間のコミュニケーションでもあると思うからです。唯一、新人賞の下読みのような場面で、機械的な足切りに使われるくらいであれば、二次選考に人間が控えているのであれば、辛うじて納得できます。

しかしそうした感慨も、オーガニックな要素が欠片も存在しないある意味で悪夢のような、ディストピアであるとさえいえる現代社会において生きる我々からすれば、機械が作った衣食住に支えられて生きる機械のような存在に成り下がった我々からすれば、ノスタルジックなものなのでしょうか。

これからの時代に本格化するのは、まさに横浜駅SFで書かれていたような、人工知能が我々を超える上位の存在として世界に君臨し、すべてを変えていく未来になるのかもしれません。そうした派手なシンギュラリティがこの世界を覆う前には、全自動賞賛機のような目に観えないシンギュラリティが我々の前に顕在化することになると思います。ひょっとするともうそれは起こっているのかもしれません。シンギュラリティの専門家である落合陽一さんも、場を操作することでそこにある物を動かすことを研究されています。SNSというのがひとつの場であるとすると、そこでひたすら小説を読み、レビューし、小説を投稿する我々こそは、すでにカクヨムという運営の思惑によって操られる機械のような存在であるといえるのかもしれませんね。


・・・


・・





※全自動賞賛機による出力を一件完了しました

その他のおすすめレビュー

ザヴァツキ 新作「ティアシー」執筆わよさんの他のおすすめレビュー8