あなたは、ふらりと本屋に立ち寄って、タイトルだけを見ることはないだろうか。
新作からも特集コーナーからさえも離れた文庫棚をなんとなしに見ていると、ふっと気になるタイトルがある。
興味を惹かれて手に取ってみると、短編集のようだからとぱらぱらとめくって適当に一話流し読んでみる。これが面白い。小脇に抱えてレジへ行く。
これはまさに、そういう経緯をたどったようなweb小説だ。
なぜ本屋に置いていないのか? 理解できない。
きっとまだページ数が足りないからだろう。そうにちがいない。
短編集の中身について、わざわざ私のような者のレビューで知ってしまうことはない。そんなことより作者自身がつけたキャッチコピーのごとく、モスバーガーの注文後の待ち時間にでも読むといい。暇も潰れて一石二鳥だ。数話ぐらい読み終えて面白さに気分が高揚した頃には注文した品がやってきてお腹も膨れる。これで三鳥にはなる。
とはいえまったく触れないのもどうかと思うのでいっておくと、はじまりは何てことのない場面から、話を追っていくとどういう世界観なのか次第にわかってくる。
SF的な驚きと同時に、話のはじまりあたりに感じたわずかな違和感について理解することになる。これがとても心地よい。しかも話によってはタイトルから殴ってくる。
内容とまったく関係ないにも関わらず、こういったweb小説でありがちである、「誤字脱字が多くて世界観から現実に引きずり戻される」現象が起きないのも好印象である。
いや、それにしてもいったいこんなものを書けるのは誰なのだろう。
そういえば名前をよく見ていなかった、と名前をクリックすると、「横浜駅SF」の文字が目に入った。
本当に読みやすいです。
所々単語の意味が分からない!なんて
ことになりません。
テンポが良くて、ああ、そういうことがありそう、
というか現実世界でも実はこういう感じのこと
あるのかも?とか思ってしまう程。
最後の物語は、人間の考え方について、
たった一つのことが、変えてしまう。
他人から見たら、考え込まなくても、
と言われそうなことを、本人は考えてしまうと
言う風に私は読みました。
でも、どれもこれも笑ってしまいます。
モスバーガーの待ち時間でという
キャッチコピーも、面白すぎて
モスバーガーが冷めてしまうまで
のめり込んで読んでしまいそうです。
モスバーガー頼んで、読んでみたら、
また違ったかなあ?
なんて思いました。
作者の表現の魅力である、斬新な世界観の設定やギミックの演出の妙による、「SF的な驚き=センスオブワンダー」に満ちている意欲的な短編集ですね。一読者の個人的な主観としては、横浜駅SFをすでに読んでいるほうがこの短編集をより一層楽しめるように感じました。逆となると、世界観の大きな広がりが堪能できるかどうか。そう考えると、横浜駅SFがイスカリオテの湯葉さんにとってもカクヨム全体にとってもあまりにも大きな金字塔となっているのだなと実感しました。これが短編集ではなく長編だとすると、どちらを先に読むべきであるか、どちらの魅力がどちらを内包しているのかという比較の問題にも、また違った新たな可能性が提示されるのではないか。そう考えるとますます、イスカリオテの湯葉さんの他の作品に期待が持てますね。そういう風に、新たな作品を楽しみにできる、「ますます続きが読みたくなる」というところが、彼の力が本物であるところを示していると思います。個人的には共産主義者が出てくる話が面白かったですねぇ。しかしあえて一作家としてもっと欲をいうと、作品全体に込められた思いや願いのようなものが描けているとさらに評価できますね。例えば「あの作品」にしても、ラストでそれが描かれているじゃないですか。本当に大切なものとは何だったのか。そのきらめきこそが、あの長大な長編の真価だったじゃないですか。イスカリオテの湯葉さん。おにスタみたいな作品にはそれがありますよね。
未知との遭遇 in 会議室を読んで思わずレビュー。横浜駅SFを読んで期待する読者を概ね裏切らないバラエティ豊かな短編集。ごちそうさまでした。
「石油玉になりたい」
「未知との遭遇 in 会議室」
そういう切り口があったか、とニヤリとさせるようなひねりの効いたSF掌編。
「彼女」「ヨシダ」といった精細に描き出されるキャラクターたちの魅力も一押し。
「ゲームと現実の区別がつかなくなる病気」
「東京都交通安全責任課」
「人間観察」
「陸軍少尉ミハエル・ジークムントの生涯 その2」
星新一を彷彿とさせるよくまとまったショートショート。中でも「ゲームと」は文章作品ならではの演出が(期待通り)スッキリしない読後感を与える妙作。
せかいめいさくどうわ「ラプラスのあくま」
異世界に来たと思ったら三重県だった
箸休め。