死者たちの見る夢

第9話 幼き死

「みおこー」

 彼がそう呼ぶと、いつも彼女は嬉しそうに笑った。小さな花が、満開にひらくように。

「なぁに、たっちゃん」

 ことり幼稚園に通う二人は、生まれたときから一緒だった。なにしろ、産院で生まれた日も同じだったのだ。彼の数時間後に、澪子みおこは生まれた。

 二人ともに活発で、両親が親しかったこともあり、まるで兄妹のように育った。

 澪子には二歳はなれた姉がいた。

 彼女はしずくという名で、澪子とそっくりの顔をしていた。けれど、似ているのは姿かたちだけ。雫は病弱で、そのせいか、とても温柔おとなしい子どもだった。


 彼の家は小さいけれども総合病院の看板を掲げていたので、雫は生まれたときから殆どを、そこの病室で暮らしていた。

 雫の病気は心臓に起因するもので、彼も澪子も幼さから詳しくは知らされなかったが、ともに遊ぶこともできないほどに重いものだった。心臓移植をしなければ、いつ天に召されてもおかしくはないというほどに。

 だから雫はいつも、病室から、病院の広い中庭で遊びまわる妹たちを見て過ごしていた。

 寒い、ある冬の日。澪子は父親とともに家を出て、雫と母親のいる病院に向かっていた。

 その日は幼稚園は休園日だったので、澪子はいつもと違い、病院に連れて行かれることになったのだ。

「いいかい、澪子」

 パパは澪子に優しく言った。

「雫は静かにしていないと、胸が痛くてたまらなくなってしまうんだ。だから、一緒にいるときは、澪子も一緒に静かにしてあげるんだよ」

「しずくと遊んでもいい?」

 澪子がそう尋ねると、パパは少し、ほんの少しだけ、困った顔をした。

「この前、お絵かきをしていたとき、覚えてるかな」

 こくり、と澪子は首を縦に振る。

「みお、しずくにマネしないでって言った」

 猫のリースを描いていた澪子の隣で、雫も猫の絵を描いたのだ。それも、澪子から見ても誰よりも上手に。それが面白くなかったのだろう。彼女は大声で叫んでしまった。その声に驚いた雫が発作を起こして、大変だったのだ。

 パパは優しい声で続けて訊いた。

「そうしたら、雫はどうなった?」

「いたい、いたいって」

「そうだね。とっても痛くて、どうだった?」

「うん、かわいそう」

「そうだね。だから、ね。澪子がいい子でも、雫が好くないことをしても、静かにしていてあげられるかい?」

「うん……」

 パパは微笑み、澪子の頭を撫でた。

「いい子だね。すごく、いい子だ」

 澪子は嬉しかった。ママは澪子のことを困った顔で見たけれど、パパはそうではなかったから。すぐに澪子を抱きしめて、苦しむ雫がいる部屋から連れ出して、「大丈夫だよ」と何度も言ってくれた。

 怒ってはいても、澪子も解っていた。自分の大声に驚いた雫が苦しい思いをしていることを。いくら幼くとも、自分のせいで苦しんでいる姉のことを、心配し、そして申し訳ないと思っていた。

「でも、みお、やっぱり、たっちゃんと遊ぶ」

 パパは小さく笑った。

「そうか。いいよ、行っておいで」

 手をつないで歩いていくと、病院が見えてきた。ときどき車が通るほかは、誰もいない。

 きっと、とても寒いからだわ、と澪子は思った。

 そのとき。

「みおこー!」

 聞きなれた、嬉しい声がした。

「あっ、たっちゃん!」

 いつもは、パパは決して澪子の手を離さなかった。どんなに強く、突然ひっぱっても。けれど、今日はとても寒かったので、二人とも手袋をしていた。それが仇となった。

 澪子の手は、するりとパパの手を抜けて──。

 パッパッパーッ!!

 クラクションが悲鳴のように響き渡る。

「澪子!」

 それを、雫は病室から見ていた。

 そして、彼も。

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