幼馴染み

第5話 寝不足の朝に眩しき聖女の微笑

「おはよう、有巣」

「あ、有巣くん。おはよー」

 校門で、煕人と泉に会った。ふたりは当然だが、とても元気そうだ。

 まだ新しい鞄と制服が、それぞれ よく似合っている。優等生同士、非常に絵になっているし。

「ああ……おはよう」

 煕人は、さすがに察知するのが早かった。

「どうした? 具合、悪いのか?」

「いや、なんでもない」

 それだけしか言いようがない。

 アリーチェのことは二人にも打ち明けてしまいたかったが、変人を見るような目で見られたらと思うと、つらくて出来ないのだ。まあ、事故の後遺症で頭がおかしくなったと思われるのが関の山だろう。アリーチェが皆の前で姿を晒し、尚且つ空を飛ぶとか指先の鎌を出すとかしてくれれば解決するのだが、どうもそんな親切なことはしてくれそうにない。

 心の内を明かせないというのが、こんなに疲れるものだなんて。

 睡眠不足と相まって、非常に気分が悪い。頭痛と軽い吐き気がする。

 じゃ、教室行って寝るわ、と言って歩き出した僕の背後で、心配そうに泉が言うのが聞こえた。

「なんだか有巣くん、疲れてるね」

「ああ」

「それとも、まだ本調子じゃないのかな」

「かもな。無理させないようにしないと」

 疲れないはずがない。

 これで、もう三晩つづけてアリーチェに引っ張り出されているのだ。

 昨夜は、ついにあの煙のような怪人と戦うことまでさせられた。アリーチェのやつ、胴体を狙って蹴りを入れろという無茶な注文を……。おまけに、昨夜の魂は、明け方近くまで粘ってくれた。くそ、酔っぱらいの急性アルコール中毒死オヤジめ、自業自得な飲みっぷりだったらしいくせに。いつまでも昇天したくないと ごねやがって。しかも、路上死ときた。周囲に大迷惑をかけて死んでいった見本のようなやつだ。

 そんなやつでも家族はいるだろうから、やはり死ぬのは悔しい。多少は気の毒とは思うが。

 ──今回は、救命しようとしませんのね。

 アリーチェが からかうような目つきで言ったが、僕は憤激していたのだ。激昂していたといってもいい。酒は呑んでも呑まれてはならない。

 それに、駆けつけたときには既に魂が半分ほど出かかっていたのだ。どう見ても手遅れだった。呼吸も脈拍も、完全に止まっていた。

 アリーチェが懐中時計の針を見て、指令書の予定時刻よりも早い、と呟いたから僕は責められずに済んだが、こんなことが続いたりでもしたら、確実に彼女の苛々は僕に向けられるだろう。冗談じゃない。

 大体、指令書というのもなかなかのもので、届くのが最長1日前。最短で30分前らしい。当然のように、現在地との距離や位置関係なんて配慮されない。守備範囲内なら、馳せ参じなければならないのだ。そして、そうした時差が発生する仕組みも下っ端死神には知らされないらしく、アリーチェからして無関心だ。泣ける。

 昼間は学校と人の目があるから助手業は免除されているが、夜は全く遠慮がない。熟睡中にたたき起こされるのはおろか、一度など、風呂中に引きずり出された。プライバシーも何もあったものじゃない。

 教室の扉を開けると、一瞬、気の毒な人間を見る同情の視線が集まった気がした。

「あら、おはよう、天下原あまがはらくん」

 高いけれども優しい音色おんしょくの声。

「い、岩清水いわしみずさん! おはよう」

 思わず頬が緩む。

 穏やかな表情は聖女のよう。ぱっちりとした大きな茶色の瞳に浮かぶのは、まさに聖なる慈愛だ。白い肌はアリーチェなどよりよほど健康的な透明感と色艶で、頬はミルクに苺果汁を垂らしたようだ。

 岩清水 紗雪さゆき

 心から僕が賛美する女性だ。

 入学式の日。僕は彼女に心を打ち抜かれた。所謂一目惚れというやつだ。でも、彼女の賞賛されるべきは、整った外見だけではない。

 聖女は小さく眉をひそめた。

「どうしたの? 顔色がよくないわ」

 なんて心の細やかなひとだろう。

「い、いや、ちょっと寝不足なだけでね。大丈夫! 頑丈だから」

「まあ。気分は? あまりよくないなら、保健室に行きましょう? お供するわ」

 なんて優しいひとだろう!

「いや、全然! 岩清水さんに、そんな迷惑かけられないよ! 大丈夫、始業まで軽く眠れば、こんなのなんともないって」

「本当に大丈夫?」

 小首をかしげるさまが、また愛らしいな! ちくしょう!

 さらさらの黒髪が、華奢な肩で割かれて揺れる。

「うん! 大丈夫、大丈夫」

「そう……。じゃあ、気分が悪くなったら、教えてね。っていっても、わたしじゃ天下原くんを運ぶなんてできないから、早めにね?」

 くそう。ハートが朝から打ち抜かれっぱなしだ☆

「ありがとう。でも、本当に大丈夫だよ」

 ははは。蛍光灯まで眩しく見えるぜ!

 寝不足がなんだ、アリーチェがなんだ!

 僕は幸せを噛みしめていた。

 このときはまだ。

 

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