第3話 魂の守り人

 夜の闇の中で、僕は跳躍を繰りかえす。アリーチェを追って。

 あの日、ストーカーに刺された彼女の魂を、アリーチェは指先の鎌で刈り取った。そして、言った。

「守りなさい。そのときに至るまで、この魂を」

 漆黒の瞳が僕を見つめる。

 手渡された女性の魂を、僕は子猫を抱くように腕に抱えた。

「手離してはだめですわよ。邪まなるものに、屠られてしまうわ」

「え……?」

 そして、僕は死神の本当の仕事を知ることになる。

「来ますわよ!」

 アリーチェが叫ぶと同時に、地面のあちこちから、黒い粘着質な煙が現れた。もこもこと膨らみ、人型となって、僕に──正確には僕が抱えている魂に──襲いかかってくる。

「アリーチェ!」

 美しい舞姫。

 踊りながら、彼女は戦っていた。

 長い爪のような鎌を振るい、煙でできた人の首筋を切り裂く。なすすべもなく、煙は霧散していく。

 生きた人間たちを傷つけることなく。

 ふわりと舞い上がり、宙で一転して煙の攻撃を避けると、その長く伸びた腕を切り裂いた。

 救急車が到着し、女性の身体を運んでいく。

 パトカーも到着したようだ。善意の人々が拘束していた犯人を警察官が逮捕して、パトカーに押しこんだ。だが、アリーチェの戦いは終わらない。

 ざん、ざん、と煙を切り裂いていく。次から次へと地下から湧いて出てくる煙の人型は、きりがない。しかし、アリーチェは、手当たり次第に切り裂いていった。

 個体の区別がつかないので、倒したものが復活するのか、新手の敵なのか、まったく判断がつかないが、そんなことをアリーチェは気にもしていないらしく、ただ鮮やかに刃を振るって煙の人型を切り裂いていくのだった。

 いつまで続くのだろう。

 不安になったとき、変化が起きた。

「あ……⁉」

 腕のなかで、魂が白く輝きだしたのだ。

「いくの?」

 尋ねると、魂は、ふるふるっと震えた。

 そうするしかないことを悟ったかのようだった。

「助けられなくて、ごめんなさい」

 悔しくて、それだけしか言えなかった。けれど、魂は再び震えた。やわらかく、緩やかに。

 彼女の身体は病院に向かっている。もう、家族の誰も間に合わないだろう。しかし、このままでは、この煙の人型に飲みこまれてしまう。そんな気がした。だから、これでいいのだと。

 光が淡くなり、魂の姿が薄らいだ。やがて、小さな震えを残して、魂はするりと消えた。その途端、煙たちの姿がどろりと溶けて、地面の下に流れ落ちていく。

「逝ったようですわね」

 近寄ってきたアリーチェに、僕は頷いた。

「うん」

「何をすべきか、わかりまして?」

「……うん」

 漆黒の瞳のアリーチェが微笑んだ。

「あれは……あいつらは……なんだったんだ?」

 アリーチェの表情から微笑が消える。瞬きとともに、瞳の色がいつもの碧に戻った。

「あれは、邪まなるもの。魂を喰らい、生けるものに悪しきわざを用いるものですわ。あれに魂を奪われると、あやかしが起こるようになりますの」

「幽霊ってことか」

「そう呼んでも支障はないですわね」

「あれに取りこまれなければ、幽霊にはならずにすむのか?」

「あれに取りこまれず、あれを取りこむこともなければ、ですわ。魂のなかには、すすんであれと一体化するものもありますの。それは、私たちには防ぐのは至難の業。私たちが戦っている間に改心してくれなければ、あれと一体化してしまう」

「そうなったら、どうなるんだ?」

 ふい、とアリーチェは顔をそらした。

「私たちの管轄外ですわ」

「そんな」

「どうしようもありませんもの。かといって、私には、倒すことができません」

「倒せないの? 倒さないの?」

 その質問には、アリーチェは答えなかった。

「とにかく、あなたには、魂の守り人となっていただきますわ。私が、あのものたちを排除している間、襲われないように守りなさい」

 そうして僕は、完全にアリーチェのげぼ──助手となった。

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