第9話

『無』


 その空間には何もなかった。

 公園にあった木やベンチも無く、風や空気の存在も感じられない。なにより、現状を認識していると考える自分自身の身体すらなかった。

 上下左右の感覚すらなく、ただ、魂だけが何もない空間に浮いている。そんな不思議な感覚だった。

 そして、その異常な現状を、連は自分でも驚くくらいあっさりと受け入れた。

 ここはそういう空間だ。

 やがて、何もなかった空間に一つの光が生まれる。

 そして、気がつくと連の周囲は無数の光のかけらで覆い尽くされていた。

 その中の一つを見る。

 するとその向こうには、一つの光景が見えた。

 幼い頃、龍と遥と三人で野山を駆けずり回った記憶。あのとき、龍は転んで怪我をしてしまったのだった。

 また、別の記憶に目をやる。幼い頃、父に剣道を教えてもらっている光景が目に入る。父は強かった。今はその見る影もないが。

 この無数の光のかけら達は連の記憶なのだ。

 その一つ一つに違う記憶が宿っている。

 おそらく、この場所は連自身の心の中。

「キミの心は非常に面白いね」

 その無数の光達の中に、一人の少女が浮かんでいた。

 『白い少女』だ。

 連の記憶のかけらはその少女を飾る宝石のようであった。

「キミの心には、おおよその人間の心に備わっている『歪み』という物が全くない。キミの心は本当に真っ直ぐだ。まるで古代の聖人達のように」

 少女は光のかけらを覗きながら続ける。

「この真っ直ぐさは、普通の人間にはかえって恐ろしいかもしれないね。人間は異質な物を排除したがる生き物だから」

 そして、少女は消え入りそうな声で漏らした。

「少しくらいはキミみたいな人間が居てもいいのかもしれない……」

 その時の少女には、どこか遠くを見る様で――悲しそうな表情が浮かんでいた。

 だが、それも一瞬のことだった。

 少女は改めて連を見た。その目には、先程までの憂いは欠片も無く、目をキラキラさせている子供のような輝きがあった。

「でも、キミはもっとも重要な記憶だけはボクに見せまいと隠しているね」

 そして、子供のような無邪気さで、邪気を発した。


「キミのに関するものさ」


――やめろ


「ボクには隠し事はできないよ」


――やめろ


「キミの心の奥の奥に隠しているその記憶」


――やめるんだ


「見せてもらおうか」


――やめてくれ!


そして、一番大きな光のかけらが弾けた。


――お兄ちゃんは正義の味方だねえ


――お兄ちゃん!


――どうして……


――お兄ちゃん……ダメだよ……


――お兄ちゃんは……正義の味方……


「やめろ!」


――キミの心は全て見せてもらった


――これがキミの中に眠っていた力










――君自身の力だ

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