断罪のリアライズ

雪瀬ひうろ

第一章

第1話



――――さあ、キミの心を見せてくれ



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



「すいません! 遅れました!」

 一人の男子生徒が、飛び込むようにして教室へ入って来る。

「どうしたんだ、ぎりぎりとは珍しい」

 男子生徒はまるで軍人の様に背筋をきちんと伸ばして答えた。

「学校に来る途中に大きな荷物を持って困っているおばあさんを見かけたので、荷物を持ってあげていました!」

 その様子を見て、うだつのあがらぬ中年教師はひとつ溜め息をついて、言った。

「おまえは相変わらずマンガみたいな人助けしてんね……。まあ、出席取る前だしギリギリセーフにしておいてやる」

 卓上の後ろに立つ教師は何気ない調子で言った。

「いや! そういう訳にはいきません!」

 遅刻を見逃してやると言われた男子生徒自身が言う。

「校則では『始業の鐘より後に登校したものは遅刻とみなす』とあります。先生が出席を取るまでに登校していても、始業の鐘より後に登校した以上は遅刻です!」

 男子生徒ははっきりと言い放った。

「あのなあ、日野川」

 教師は呆れた調子を隠さずに嘆息する。

「おまえはもうちょっと融通という物を身につけた方がいい……まあ、とりあえず座れ。今日は遅刻扱いにしとくから」

 男性教師は途中で面倒になり、話を打ち切った。この生徒がこんな調子なのは今に始まったことではない。

「ありがとうございます!」

 男子生徒は深々と礼をしてから自分の席に着いた。

「連」

 斜め後ろの席に座る女子生徒が男子生徒に声をかける。

「あんたはほんとにお人好しだけど融通きかんよね」

 連と呼ばれた男子生徒は女子生徒の方を一瞥しただけですぐ前に向き直った。

「無視かい」

 女子生徒も返事があるとは思っていなかったのか、あっさり引き下がる。この堅物が必要もなく、朝のホームルームで雑談などするはずもないのだ。


 ホームルームを終えて、先程の女子生徒は改めて連の机の前に周り、しゃがみ込んで机に寄りかかった。そうして連を真っ直ぐに見詰める。

 連の容姿は、非常に整っていた。

 くっきりとした目鼻立ち。シャープな輪郭。ほとんどセットに気を使っていないであろう無造作な髪も、整った顔の上に乗っかれば、「お洒落な髪型」に見えるから不思議だ。

 そして、それらは単なる「美しさ」という以上の物だった。上手く言葉にできない強い「意志」のような物を感じさせる。彼はそんな容貌をしていた。

 そんな彼であったから、憎からず思っている生徒も少なくないわけである。そして、彼の目の前に居る女子生徒もその少なくない一人であった。

「何か用か? 遥」

 遥と連。二人は幼馴染だ。

 この洛東高校は、県内では名の知れた進学校であるため、距離も手伝って、同じ中学から進学したのは、連と遥を含めて三人だけだった。

 遥はショートの髪を掻き分けながら、どこかおどけた調子で言う。

「べっつにー。相変わらずの主人公っぷりだなーと思って」

 世の中には居るのだ、そういう人間が。

 「仕方ないよね」とか「誰かが何とかするよ」なんてありきたりな言葉で見逃してしまう「何か」を逃さず掬いあげるような人間が。

 たとえば、迷子になっている女の子の親を見つける為に走りまわったり。

 たとえば、痴漢されている女の子を見つけて、満員電車の人混みをかき分けて助けたり。

 たとえば、いじめられている男子生徒を助ける為に本気で喧嘩をしたり。

 そういう人間は本当に珍しいと思う。

 誤解されて通報されるなんて思わないのだろうか。

 冤罪で訴えられる可能性を疑わなかったのだろうか。

 自分がいじめの標的になるとは考えなかったのだろうか。

「何を言っているんだ、おまえは」

「何でもないですよー」

 でも、そんな「当たり前」の事を「当たり前」にできる彼に、どうしようもなく惹かれてしまっているのだ。

「何でも、ないない」

「本当になんなんだ、おまえは」

 連が苦笑する。

 これが二人の日常だった。


 その時だった。

「う……?」

 遥が急に立ち上がって背後を振り返る。

「気のせいかな……」

「どうしたんだ」

「なんか最近視線を感じる気が……」

 しかし、遥が目を向けた方向には誰も居ない。

「それはつまり……ストーカーという事か」

「いやあ。なんかそういう言い方すると自意識過剰っぽくて恥ずかしいんですが」

「そんな事を言っていて、本当にストーカーだったらどうするんだ」

 連は遥を真っ直ぐに見据えながら尋ねる。

「ほら、詳しく話してみろ」

「うーん。いや、気のせいかもしれないんだけどさ……」

 そう前置きをして遥は続ける。

「なんか視線を感じる事があるんだよね。一人の帰り道とか、自分の部屋に居る時とか。でも、流石に自分の部屋に誰かが居る訳ないんだよね。だから、ただ神経質になってるだけなんだと思うんだけど」

「心配だな……」

 連は眉根を寄せて、しばらく考えた後に言った。

「よし。しばらく俺が送り迎えしてやろう」

「え? いいよ。悪いよ」

「おまえの家と俺の家は目と鼻の先だろうが。大した手間でもない」

「でもあたし、放課後部活あるし」

「それくらいなら俺は校内で時間をつぶすさ」

「うーん」

 とはいえ、帰宅部の連に部活の終了時刻までわざわざ待っておいてもらうのも躊躇われる。

「たとえ、おまえが拒否しようとも、俺はおまえが帰るまで校内で待っている!」

「うわあ、どっちがストーカーだ」

「まあ、しばらく様子を見たら止めるさ。今のまま放置して遥に万が一何かあった時の方が寝覚めが悪い」

「まあ、そうまで言うなら……」

 そこまで言ってから思い直して遥は言う。

「ていうかあたし合気道習ってんだよね」

「……知っている」

「初段だぜ。結構強いぜ」

「知っている」

「それでも?」

「ほっとけない」

「そうですか」

 一時間目の開始の鐘が鳴る。

「では、せいぜいよろしく頼みますよっと」

 遥はおどけた調子で言い残し、自分の席に着いた。


 あんな言い方をしながらも、遥は連の申し出を嬉しく思っていた。いや、自分から視線が気になると言い出したのだから、無意識に半ばこうなる事を望んでいたのかもしれない。好きな人と一緒に帰れる事は、単純に嬉しい。


 でも彼は、あたしの事を見ていない。

 遥は考える。

 連にとって、遥は「助けるべき相手」の一人だ。

 迷子の子供と、痴漢されている女の子と、いじめられている男子と何も変わらない。

 彼の瞳には、きっと全ての人間が「助けるべき相手」として写っている。

 それは彼の美徳であって、彼の恐ろしさだった。


 それでも遥は連の事が好きだった。


「ば、か」

 絶対に誰にも聞こえないように、遥は口だけ動かした。

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