第26話
「うぅう!」
俺は声にならない声を上げる。
「うん。さあ、選んで、うん」
男は俺の座った椅子を掴んで起こす。
そして、俺に再び目線を合わせて問うた。
「さあ、妹を助けて欲しければ一回。自分を助けて欲しければ二回頷いて……」
ギョロギョロとした男の目は忙しなく動き続けた。少しずつ男は顔を俺に近付けてくる。
「さあ、選んで」
凛は俺の妹だ。
「早く選んで」
大事な妹なんだ。
「両方殺すよ」
本当に、本当に大事な妹なんだ。
「最後のチャンスだよ」
妹を傷つける奴は許さない。
「君の答えは?」
俺は――――一度頷き――――
もう一度、頷いた。
この結果は男を満足させたようだった。
「ああ、ありがとう! ありがとう! ありがとう!」
男は涙を流して喜んでいた。その様子はまさに滂沱という他ない。まるで神にひれ伏す敬虔な信徒の様であった。
俺はただ呆然としている事しかできなかった。
「では、約束通り、こちらを殺そう」
そして、男は、凛を縛った椅子を掴んで、隣の部屋に連れて行った。
向こうの部屋の様子は解らない。何の物音も聞こえなかった。しかし、このままでは凛は殺されてしまうだろう。何とかしなければならない。
俺はともかく死にたくなかった。
だから必死で考えた。
現状を解決する方法を。
そして、気付く。
男が残した凶器の山に。
俺は勢いをつけて、転がる様に椅子を倒して凶器の山に突っ込んだ。何か鋭い物が身体に当たり肝を冷やしたが、刺さりはしなかった様だ。
必死で身体を捻り、拘束された手で凶器の一つを掴む。手は椅子の後ろに後ろ手に縛られていたから、何を掴めたのかはよくわからなかった。
俺はその掴んだ何らかの凶器の柄ではなく、刃と思われる部分をあえて握ってみた。
「っ!」
痛みがあった。おそらく、これはナイフだ。自分の掌を血が流れているのを感じる。これならば、うまくやればこのロープを切る事が出来る。
縛られて震える手で、拘束するロープの切断を試みた、その瞬間だった。
「――あ! ああっあっ! ああああああ!」
絶叫が聞こえてきた。
その声は今でも耳から離れない。鼓膜をひっかいて傷を残して、そこをなぞれば永遠にリピートし続けるような――絶望の声。
――凛の声だった
俺は急いだ。
そこからは脳が焼き切れたのかと思うくらい頭痛が俺を襲い、俺を攻め立てた。
――急げ 殺される
――急げ 殺される
――急げ 殺されるぞ!
――急げ!
何とか腕の拘束を断ち切った後は早かった。ナイフを使って足の拘束を解く。
これで自由に動ける。
――凛!
俺は凛が連れて行かれた扉に手をかけた。
この時になってようやく自分が『正義の味方』になりたかったのだという事を思い出した。
血。
――嘘だ
部屋の惨状はすさまじかった。
血。
――なんで
一面が血の海になっていた。
血。
――どうして
鉄臭い血と何かが焦げた匂いが襲いかかってくる。
血。
――何でこんな目に
その血を流していたのは。
血。
――『誰かを守れる様な人間になれよ』
凛だった。
血。
――『お兄ちゃんは、正義の味方だねえ』
そして凛には。
――『正義の味方』に
腕と足がなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます