第6話
連は思い返す。
中学時代、龍をいじめていた奴らと喧嘩した時の事を。
連が、龍がいじめられている事実を知ったのは全くの偶然だった。日直の仕事で帰りが遅くなった連は、龍が複数の男子生徒と共に校舎裏に行くところを見た。
その男子生徒達は普段からよくない噂のある奴らばかりだった。そして、龍と仲が良いなんて話は聞いた事がなかった。
当時、連と龍はそれなりにつるんでいた。中学に入り、人間関係が多く、複雑になる中で、相対的に二人の交流の時間は減っていたものの、二人で行動する時間は少なくなかった。
連は龍の事を気心の知れた幼馴染と、大事な友人だと考えていたのだ。
状況に不穏な気配を感じ取った連は、こっそりと龍達の後をつける事にした。
そして、その最悪の予想は的中した。
龍は校舎の壁に抱きつくように押し付けられていた。
「顔は止めとけよ」
「眼鏡はとっとけ」
男子生徒達は予め用意していたバレーボールを龍に向かって投げつけ始めた。
「っ!」
バレーボールは龍の右足に当たった。所詮バレーボールなので大した痛みはないし、よっぽどの事がなければ怪我もしないだろう。しかし、壁に向かって立たされている以上、背後から来るバレーボールがどこに当たるのかは解らない。これは、やられる側にとっては実際の被害以上の恐怖に感ぜられるだろう。
「おらよっ!」
今度はバレーボールが龍の顔の横ギリギリのところをかすめた。
「よけてんじゃねえ」
もちろん、背後から来たボールを避ける事などできない。投げた男子生徒の狙いが外れただけだ。
「顔はやめとけって」
顔に当てるなと主張する生徒は、何も龍の事を思って言っているわけではないだろう。壁に向かって立っている以上、背後から後頭部にボールが当たれば壁に顔をぶつけるかもしれない。そうなれば、何らかの傷が出来て、この行為が露呈するかもしれない。その可能性を恐れているのだ。
「ほら、俺の番だ」
その後も、一方的な攻撃は続いた。
連はもう我慢の限界だった。
念の為に様子を見たのは、これが同意の上の度胸試しか何か、という一縷の望みにかけたからだ。しかし、彼らは龍に対し、一方的に攻撃を加え続けた。
これは明らかな「いじめ」だ。
「おまえら!」
連はついに飛び出した。
「あーん? 日野川かよ」
「誰だよ」
四人居た男子生徒のうちの一人である坊主頭は、クラスが違ったので連の事を知らなかったのだろう。
「例の『正義の味方』」
連と同じクラスの一人が笑いをこらえながら、といった様子で言う。
「こいつかよ」
全員に等しい嘲笑が浮かぶ。
皆、同じ表情をしていた。
それは、他者を蹂躙する事に酔っている表情に他ならなかった。
「何をやっているんだ……」
連は冷静になろうと努めながら尋ねる。
「ゲームだよ。ゲーム。壁当てゲーム」
「そうそう。俺達、冠城君と一緒に遊んでただけなんですよ」
男子生徒の一人がおどけた調子で言う。
「ふざけるな! 一方的にボールをぶつける事の何がゲームだ!」
「だあ、めんどくせえ奴だな。冷めたわ。帰ろ」
四人は鞄を拾い上げ、その場を後にしようとする。
「まだだ! 話は終わってないぞ!」
連は、坊主頭の肩を掴む。
「二度とこんな真似はしないと約束しろ!」
「あ?」
坊主頭は振り返り、連を見下ろす。
坊主頭の体格は中学生とは到底思えないものだった。大学生と言っても通るかもしれない。体格もがっしりとしている。間違いなく強いだろう。
しかし、連は決して怯まなかった。
「こんな真似は止めろと言っているんだ……!」
坊主頭の胸倉を掴んで、睨みつける。
「てめえ……! 上等だ!」
坊主頭は血走った目でこちらを見下ろしていた。
そこからは大乱闘だった。連と四人は入り乱れ、無茶苦茶に殴り合った。騒ぎを聞きつけた生徒や教師が無理矢理止めに入るまで、喧嘩は収まらなかった。
「おらっ! てめえ!」
坊主頭はまだ興奮が収まらないのか、体育教師に組み伏せられてもまだ暴れようとしている。
こうして、連は教師たちに事情を話し、その日は解放された。
その帰り道。
太陽は傾き、もう山の向こうに消えようとしている。空は赤く染まっている。
連は龍と二人で歩いていた。
「いってえ……流石にあの坊主頭とやり合うのは骨だったか」
連は喧嘩慣れしていた。他校の不良に絡まれた誰かを助ける為に、よく喧嘩していたし、そうした行動の為に不良達に目をつけられていたせいでもある。そんな行動が『正義の味方』などと呼ばれる所以だった。
「またあいつらに何かされたら俺に言えよ」
「……せえよ」
「え?」
「うるせえって言ってんだよ……」
龍は連を憎しみを込めた目で睨んでいた。その表情には鬼気迫るものがあった。いじめられていた時でも、こんな表情はしていなかったというのに。
「ほっときゃよかったんだよ……」
「ほっとけるわけないだろ」
連は龍が何故怒っているのか理解できなかった。
「解ってないみたいだから、はっきり言ってやるよ」
龍は連が先程坊主頭にしたのと同じように、連の胸倉を掴んで言った。
「僕はおまえが嫌いだ」
この時、連は自分を睨む龍の目を見て、はっきりと理解した。
龍は本気だ。
いじめられている所を見られた恥ずかしさとか、気まずさとか、そういう所から生まれた言葉じゃない。
これは正真正銘の龍の気持ちだった。
「あんなクソみたいな連中よりも、ずっとずっとおまえの事が嫌いだ」
なんでだ?
子供の頃から俺達はずっと一緒だったじゃないか。
ずっと三人で遊んでたじゃないか。
なんでそんな事言うんだよ。
そんな言葉も喉まで出かかっては、消えた。
連は何も言う事が出来ない。
「別に放っておいても僕は大丈夫だったんだよ」
その時、龍は連の襟元を掴んでいた手を放し、鞄の中を探り始めた。
そうして取りだしたのは一台のビデオカメラだった。
龍は黙ってそれを操作し、取った内容を確認できる画面を連の方に向けた。
そこに映っていたもの。
それは、龍にボールをぶつける坊主頭達の様子だった。
「これは……」
「あの場所に連れて行かれる事はもう解ってたから予め現場に仕掛けておいたんだよ」
ぶつけられている方の生徒の様子ははっきりしないが、高性能なカメラなのか、ぶつけている側の男子生徒の顔はしっかりと写っていた。
「これをネットに拡散するつもりだったんだよ。あの坊主頭は野球の推薦貰ってたからな。こんなもんネットに出回ったら推薦は一発で、パアだ」
確かにそれは嘘ではないだろう。今日、連が訴え出た事で、坊主頭の行為が問題になり、職員会議にかけられるだろうとも言われていた。
「けど下手にあんな騒ぎになった事で、教師達はこの件をもみ消そうとするかもしれない」
「そんなはずないだろう」
きちんと職員会議にかけると言っていたはずだ。
「確かに、何らかの罰は下るだろう。しかし、推薦はそのままの可能性が高い」
龍は続ける。
「あいつが貰った推薦は全国的にも有数の野球の強豪校。あいつがもしあそこに進学できれば、野球部はかなり箔がつくんだよ」
学校の奴らも評判は欲しいからな、と付け加える。
「それが無くなるのは、教師にとっても旨くない。だから、今日の一件はこのままだと『生徒同士のトラブル』程度の言葉で片付けられるかもしれない。『ちょっともめただけですよ』ってな」
龍は再び連を見ながら言う。
「解るか? 僕はおまえなんかに助けてもらわなくても十分戦えた……おまえのやり方とは違ってもな」
再び龍は連をねめつける。
そして、吐き捨てるように言った。
「気持ち悪いんだよ、おまえ」
龍は滔々とまくし立てる。
「どうして他人の為に自分を犠牲にできる? 今回だってそうだ。僕を放っておけば、おまえは怪我なんてせずに済んだはずだ」
龍はどうしてしまったんだ。
連には龍の言っていることが理解できない。いや、正確には理解することを脳が拒んでいる。龍の言う事を認めてしまえば、今までの自分たちの関係が――今の自分が壊れてしまうかもしれないから。
「おまえのその『自己犠牲心』は美徳なんかじゃない」
連は龍から目を逸らせない。
「もはや病気だよ」
一度堤が切れてしまえば川の流れを留める物などない。
「その精神を褒め称える者も居るだろうな。でもな、きっとそれはおまえを画面かページの向こう側から見ている奴らだけだ」
連には龍の言葉が理解できなかった。
「『正義の味方』は現実に居ないんじゃない。居ちゃいけないんだ」
――――その生き方は恐ろしいものだから
その龍の言葉はまるで天から降ってきたように聞こえた。
「現実におまえの隣でずっと『正義の味方』を見せつけられていた僕には解る。おまえの行動は気持ちが悪い。僕に必要のないはずの劣等感を抱かせる」
連は動揺で何も言い返せなかった。
「見ず知らずの落し物をした人間を見つけても、自分の用事をすっぽかしてまで探すのを手伝ってやる必要なんてないだろ? 煙草を吸ってる不良を見つけたからってほっときゃいいだろう? でも、おまえはそれらを見逃さない。でも、僕にはそんな事はできない……」
そこでやっと龍は言葉を切った。
少しの間、沈黙が二人を包む。
「虫唾が走るんだよ、おまえ」
ついに日は落ち、世界は闇に包まれた。
「おまえは異常なんだよ」
坊主頭達の動画がネット上に出回り、坊主頭の推薦が取り消されたのは、数日後の事だった。
あれ以来、龍との関係は気まずい物となってしまった。龍はほとんどあからさまに連の事を無視していた。
連は、ずっと仲直りの機会を探していた。
しかし、それは見つからず、二人は高校生になってしまった。
二人が同じ学校になったのは、近隣にある学校で二人の学力に見合う高校が洛東しかなかったというだけの話だった。
それでも、連は龍の事をまだ友達だと疑っていなかった。不幸なすれ違いがあるだけ。
いつかは元の関係に戻れるとそう信じていた。
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