第29話

 ――そして、連は――


 ――倒れた


「連!」

 紀里はソファから転げ落ちる様に膝をついた連に、後ろから寄り添う。

「大丈夫か!」

 連は、紀里を心配させまいとしたが、声にはならなかった。嗚咽が止まらない。呼吸もままならない。うまく空気が肺に送り込めない。今までどうやって呼吸をしていたのか忘れてしまったかのようであった。

 そして、酸素を取り入れようと何度も深い息を吸う。そうして、やっと身を起こす事が出来た。

「とりあえず座り」

 紀里に抱えられるようにして、ソファに座り直した。

 何が起こったというのか。

 そうだ。確か占い師の屋敷に来て、その占い師の男と口論になって、次の瞬間。


 あの日の記憶がフラッシュバックしていた。


 心の奥底に封印した記憶が。


「……なんで……?」

 論理的な思考がまとまらない。それほどまでに強いショックを与える混乱だった。

 そして、隣に寄り添う紀里に目をやる。

「……泣いてるのか」

 紀里は泣いていた。自分を支える様にして寄り添いながら、その顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。

 そして、悟る。

「……見たのか」

 紀里は、うつむいてから言った。

「ごめん……な……」

 見られた?

 今の記憶を。

 いや、今考えるべきはその原因。

「なかなかに興味深かったぞ」

 目の前にいるこの男。


 笹賀原豪翔。


 こいつの力か。

「おまえが……やったのか……」

「そうだ。これが私の力だ」

 人の心の中を覗く力。

「ついでに、女にも見せてやったぞ。放映料は、まあ、初回サービスという事にしておいてやろう」

「ふざけるな!」

 紀里が叫んだ。

 いつの間にか背負っていたバットを握りしめている。

「人の心をなんやと思ってるんや……」

 紀里は、涙をぬぐって、笹賀原を睨んだ。

「そう怖い顔をするな。私とて、まさかここまで陰惨な記憶とは思いもよらなかったさ」

 笹賀原は浮かべていた冷笑を取り去り、真顔で連を見ている。

「だがな、気に食わん」

 男はそう言い放った。

「私も人並み以上に酷い人生を送っているが、それでも貴様の境遇はなかなかに不憫と言って良い。少なくとも小遣いが少ないことくらいで不幸ぶってる餓鬼よりはずっと共感できる」

 笹賀原は椅子から立ち上がり、ソファに腰掛ける連を見下ろしながら言う。

「気に食わんのは、その結論だ。『正義の味方』になる、か。虫唾が走る」

「なんでや! あんたに何がわかるんや!」

「解らないさ! だから尋ねておるのだ!」

 笹賀原は連を苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨む。

「なぜそんな結論になる。なぜ、そんな陰惨な体験を経て、そんな綺麗な思いを抱ける?」

 そして、笹賀原は叫んだ。

「普通は! そんな事があったら歪むのだ! 世界中の何もかもを恨んで、怨んで、憾んで、そうやって陰の中でひっそりと生きていくしかなくなるんだ!」

 笹賀原はそこまで言うと、突然に口をつぐんだ。そして、急に明後日の方向を見た。彼が何を思っているのか、全く解らなかった。

「ともかくだ」

 笹賀原はまるで興奮した自己を恥じるように、極端に声のトーンを落として笹賀原は言う。

「おまえは気に食わん……帰れ」

「……嫌だ」

 連は震える声で言った。ダメージから立ち直れた訳ではない。しかし、絶対にここで引き下がるわけにはいかない。

「情報をくれ……何か知っているんだろう」

 それは一種の勘だった。この男はこの街で起きている「裏」の出来事に精通している。この男から情報を引き出す事が出来れば、この街に隠されている「闇」を暴きだす事が出来るだろう。

「それは正義のためなのか……」

 男は漏らすように呟いた。

「……そうだ」

 連は、声の震えを抑えて、力強く言った。

 そして、笹賀原は連に背を向けて言った。


「……感銘を受けたぞ。素晴らしい考え方だ……」


 そして、


「なんて言うと思ったか!」


 振り返り、嘲るように言い放った。


「おまえみたいな奴は好かん。金も取る気になれん。とっと失せろ」


 男は再び豪奢な椅子に腰かける。


「そういう態度にほだされるのはマンガの登場人物だけだ。現実で、おまえの様な奴の事を何というか知っているか」


 連を睨みつけながら言った。


「馬鹿、と言うんだ」


「言わせておけば」

 瞬間、紀里が消える。透明化能力。

 しかし、次の瞬間。

「きゃっ」

「紀里!」

 紀里は床に転がされていた。その背中には――

 ここまで案内してくれた老執事。紀里が能力を使うが否や行動を開始する前に、一瞬で紀里を組み伏せた。この男、ただ者ではない。

「私とて、女に手を出すのは本意ではない……大人しく帰る事だな」

 紀里を人質に取られては、これ以上どうする事も出来ない。当然、紀里の安全が最優先。悔しいがここまでだ。

 俺は紀里の手を取って立ち上がらせ、部屋を出ようとする。

「一つだけ意地悪をしよう」

 笹賀原は何を言いだそうとしているのか。

「悪い超能力者は、『スラム街』の深奥にある『山手アウトレットモール跡』の辺りには居ないからな」

 『山手アウトレットモール』は数年前につぶれ、その土地の売買の目途の立っていない町の外れにある巨大な建物だった。

 まさか、そこに行けば、超能力者の情報が手に入るのか。

「そこに行っても何もないからな。それでもいいなら行ってみるがいい」

 こいつはまさか協力してくれたのか……?

 笹賀原の言う事を信用していいのかとか、じゃあさっきまでのやり取りはなんだったんだとか、やっぱり罠なんじゃないかとか色々な思いがごちゃ混ぜになって出た言葉は、

「ありがとう!」

「私は意地悪をしているのだぞ、マゾか」

 笹賀原はどこか不敵な笑いを浮かべていた。

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