action1-15

 二〇五〇年、七月二日。この日は、約一ヶ月ぶりに本部のパピヨン全員での定例会議が開かれた。本部長の咲夜を始め、紡の他に白哉ともう一人。


 「お久しぶりですね、紡さん」

 「あ、廉さん。お久しぶりです」


 会議室に着いて椅子に座ろうとすると、向かい側の席に高輪 廉たかなわ れんがいた。彼もパピヨンの一人であり、白哉と同い年だ。彼の所属は調査班。戦闘もお手の物だが、主に得意なのはハッキングやナビゲーターだ。


 パピヨンの中で唯一情報分析に長けており、蝶の中で分析について彼の右に出る者はいないと言われている。


 廉はこの一ヶ月間、南部の危険地帯への調査のため本部を留守にしていた。

 紡が椅子に座ると、低い稼働音とともに半透明な背もたれが出現した。


 廉は向かい側に座った紡の顔を見て、険しい表情を浮かべる。彼の目から見て、紡はひどい顔をしていた。一目で体調を崩していると分かってしまう憔悴ぶりに、目を逸らすことが出来ない。


 「紡さん」

 「はい?」

 「……大丈夫ですか? 顔色が良くないようですが」


 一瞬、紡は何を言われたのか分からないといった表情を浮かべたが、すぐに自分の体調を案じてのことであることに気付く。


 「大丈夫ですよ。心配してくれてありがとうございます」


 憔悴した顔に、紡は無理矢理笑顔を浮かべて廉に返した。廉は返答に納得はしていなかったものの、本人がそう言うのならと黙って身を引いたのだった。

 やがて白哉と咲夜が来て、会議は開かれることとなった。


 内容はNADRの成分の解析結果についてだ。結論からいうと、NADRから極めて危険度の高い中毒性の物質が検出された。


 それは紡の睨んだ通り、NADRを単独服用した時のみに効果を表すことも判明している。今回は解析に伴い、臨床実験も行われた。内容は以下の通りである。


 <ネズミ二匹それぞれに、NADR単独とNADR+他の薬物を投与した。投与直後は二匹とも何ら変化は表れなかったそうだ。しかし投与から三十分経った頃、単独で投与したネズミに異変が表れ始めた。


 初めに表れた異変は、落ち着きのなさだった。今までケースの中で落ち着いて毛繕いをしていたのに、急に落ち着きなくケースの中をぐるぐると動き回り始めた。


 次に表れたのはケースの中をぐるぐる回っていたのが、今度は猛ダッシュでケースの中を走り回り壁に激突するといったもの。


 そして投与から一時間後、完全に理性を失って暴走状態に陥り、もう一匹のネズミに襲いかかってしまったという>


 以上が実験結果である。

 開発班と医療班が提示した解析・実験結果をネルヴォイで共有しながら、紡達四人は眉を顰めた。


 明らかにネズミが辿ったのは、レベル2からレベル5の段階。クローンの暴走段階に則って見事なまでに発症したのだ。


 「まさか、ラボが黒だったとは……」


 咲夜はショックを隠せない表情を浮かべて、こめかみを押さえる。ここまで物的証拠が揃ったとなれば、もう誰も何も言わなかった。否、言えなかった。

 ラボから作られた製品に寄せる信頼は大きく、それだけに暴かれた事実による衝撃は多大であった。


 「室長、どうしますか? 街で使用されているNADRを緊急回収しますか?」


 廉が咲夜に具体的な指示について確認をする。こめかみを押さえたまま、咲夜は考え込んだ。


 考え込む傍らで、咲夜は紡に視線だけを向けた。会議室に入って以来、彼は紡の憔悴ぶりが気になっている。それは白哉も同じのようで、顔こそは咲夜に向いているが視線は紡に向いている。


 「……そうだね。緊急回収をさせるべきだろうね」


 充分なまでに考え込んでから、咲夜は言った。事実を暴いたからには、放っておくわけにはいかない。被害がこれ以上拡大する前に、回収をさせるべきだ。


 「今すぐに組織全体に緊急通達を出して。街で使用されているNADRを緊急回収するようにと」

 「分かりました」


 廉はすぐにネルヴォイを通じて本部全体に緊急通達を出した。直後、非常事態アラームが鳴り、目前にemergency(緊急事態)と赤いパネルが表示される。

 緊急通達はすぐさま組織全体に伝わり、早速調査班と処理班が回収に向かったようだ。


 通達後、会議室の中は沈黙が流れていた。四人の間に流れる沈黙は、決して緊張からくるものではない。NADRさえ回収してしまえば暴走するクローンはいなくなる。

 その確固たる事実に、全員が安堵したため流れた沈黙で会議は終わった。


 (本当に、回収することで事件は解決に導かれるの?)


 会議室が安堵の雰囲気に包まれる中、椅子に座ったまま紡だけは違っていた。彼女の中では、まだこの事件は終わってなどいないという確かなる予感があった。


 おくびにも顔に出さず、口にも出さなかったが、内心は気が気でない。一秒でも気を抜けば、蘇ってくるラボでのあの光景に。紡は無意識のうちに自分の体を抱き締めた。

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