action1-13

 

 降り続く雨。雨で濡れた髪が顔に貼りつく嫌な感覚を覚えながら、彼女は一向に進展しない状況に歯噛みした。目の前の彼に無駄な隙は一つもない。間合いを詰めたくても、迂闊に近寄ることさえ出来ない膠着状態が続いている。


 なんて最悪な天気なのだろう。彼女は心の中でぐずついて雨を降らせている空に舌打ちをした。肌に貼りつく濡れた服が、さらに雨水を含み重たくなる。いっそのこと上着だけでも絞れたらいいが、状況が状況だ。


 全壊してしまった研究所。辺りは瓦礫と使用不可になった機械が見受けられる。そこは地獄絵図そのものだった。逃げ遅れた者は崩落した天井の瓦礫に押し潰されて死んでいる。


 ある者は激しい銃撃戦に巻き込まれて蜂の巣状態で息絶え、またある者は胸に太い角材を打たれ、まるで見せしめのように形が残っている壁に貼り付けにされていた。

 

 まさに凄惨なる残酷な光景。唯一無事に残っている大木を前に、二人は膠着状態のまま動けない。


 不意に髪先から滴り落ちた雫が不運にも目の中に入り、視界がぼやける。黒髪の彼はこの好機を逃すまいと、足払いをかけて体勢を崩しにかかった。


 「くっ……!」


 彼女は崩されかけた体勢を寸でのところで踏ん張り、続けざまに飛んできた蹴りを避けた。頬を足先が掠めて、赤い線をつくる。


 赤い線から血が滲み、頬から焼いたような痛みが伝わってきた。痛みに顔を顰めず、代わりに眉を動かすだけに留める。そして彼と間合いを詰めて、お返しとばかりに蹴りを繰り出した。


 が、その蹴りもあっさりと避けられた。一方彼は、蹴りが避けられたことに動揺することなどない。冷静に次の攻撃を仕掛けるタイミングを見極めているのだろう。


 少しの間を置いて、先に仕掛けてきたのは彼だった。女であろうが容赦はしないと言うように、次々拳を突き出してくる。突き出された拳を受けて手で払い、横に流す。


 不意に受け止め損ねた拳が、鳩尾に入ってくる。衝撃を食らう前に受け止め、当たれば致命的なダメージを防いだ。拳を受け止めたまま空いている左腕を前へ突き出し、また彼が避けて攻撃を仕掛ける。


 そんな息をつく暇もない攻防戦が結末を迎えたのは、突然のことだった。

 結末を迎えて結果をわけたのは体格差はもちろん、彼と彼女では積み重ねてきた鍛錬の量と経験が違いすぎた。


 連続攻撃をかけられる前に出来るだけ距離を取ろうと後方へ飛び退き、素早くホルダーから銃を取り出して構える。

 無駄な動きは全くなかった。ホルダーから銃を取り出して構えるのも早かった。


 明らかに、数歩先を取れたと思った。だが銃を構えた時には、すでに彼は目前に迫っていた。威嚇の意味も込めて何発か放つも、なんなく避けられる。そして瞬く間に構えた銃を空中に蹴り上げられ、次の瞬間には腹部を重い一撃が襲った。


 なんとも呆気なく、彼女は地面に倒れ込んだ。起き上がろうとした時、額に何か硬い物を突きつけられていた。




 これは夢ではないーー

 彼女は銃を突きつけられていた。ほぼ全壊な建物とぽっかりと空いた大きな穴。灰色の空から降り注ぐ大粒の雨。


 突きつけられたそれは、トリガーさえ引けば人の命だけではなく、どんな命さえも簡単に奪える。


 その恐ろしいとも言える物を額に突きつけているのは、同い年の彼だった。彼は何の躊躇もなくそれを彼女に突きつける。彼女はゆっくりと顔を上げて、目の前の彼の顔を見た。


 あまりにも白いその顔に、血がちゃんと通っているのだろうか。黒髪によく似合う蒼き双眼に宿るのは、どこまでも暗く冷たい光。鋭い刃物のような眼光に思わず身が竦んだ。


 (当然の報いなのかもしれない)


 彼が辛い時に側に居てあげられなかった。支えにすらなれていない自分が嫌になる。でも一番辛かったのは苦しかったのは、彼のはずだ。


 気付いてあげられなかった。これはきっと、そんな彼女に対する罰。最初から敵うわけなんてなかった。かける想いも覚悟も何一つ勝ってなんていなくて、ただ止められればいいと。


 満身創痍で動く力さえもない。そっと静かに瞳を閉じた。来るべき瞬間に向けて逃げるように。


 自分ならここまで出来るだろうか。全てを捨ててまで去ることなんて出来るだろうか。答えはノーだ。出来ない。そこまで覚悟して去ることなんて出来るわけがない。


 ふっ、と口元に自嘲を含んだ笑みが浮かぶ。何だか凄く悲しくて、辛くて、泣くなんて情けないと分かっていたけれど。閉じていた瞳から涙が溢れた。


 (彼はどんな顔をしているのだろう)


 最期にこの瞳に、心に刻んでおきたいと考えた彼女は、伏せていた瞼を開いた。そして、未だに銃を突きつけている彼を見上げる。瞬間、頬に雫が当たった。

 雨みたいに冷たい雫ではなく、仄かに温かい雫。それは初めて見る彼の涙。


 「ーーーー」


 細く小さく唇が動くが、音にすらなっておらず彼女の耳には無音としてしか届かなかった。その時、僅かに彼が微笑んだ。悲しくて儚い微笑。


 冷たい光を宿した瞳が一瞬だけ、引いてしまえば人の命を奪うトリガーの重さに揺れたような気がした。

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