action1-19


 「紡君っ……!」


 咲夜は急いで現場に向かっていた。本部の室長室で執務をこなしていた彼のネルヴォイに緊急連絡が入った。


 初めは怪訝そうにその緊急連絡の赤い画面を見ていた咲夜だが、差出人と内容を見た瞬間、部屋を飛び出していた。


 (彼から連絡が入った)


 無事で良かったという安堵と同時に、紡の安否が気遣われる。指定の場所へと咲夜は息を切らして向かう。


 大通りを外れた路地に入り、辺りの様子を窺いながら奥へと進んだ。長刀を片手に表情を引き締める。


 やがて奥に辿り着いた咲夜に目に映ったのは、信じがたい光景だった。


 壁やアスファルトの地面には大きなヒビが入り、地面がめくり上がっていた。側には若い少女が息絶えている。ほんの一瞬、少女が探している彼女に見えた咲夜は驚き、目を瞬かせた。地面に残るのは夥しい量の血痕。引き摺られた後はないが、さらに路地の奥に赤い斑点が続いている。


 (この血痕は……もしかして)


 考えられる状態を想定して、咲夜は拳を握り締める。深手を負っているのが彼なのか、それとも彼女なのか。どちらにせよ深手を負っているのであれば、一刻も早く本部に運ばなければならない。


 赤い斑点を追って、咲夜は歩き出した。一定の間隔を開けて落ちているそれは、奥に進めば進むほど徐々に間隔が狭くなっていることに気づく。


 やがて赤い斑点が途切れ、咲夜は顔を上げた。そしてその顔には絶望の色が浮かぶ。慌てて長刀を投げ捨てて、彼女に駆け寄った。


 「紡君!」


 紡は壁に寄りかかった状態で座らされていた。背中にある大きな傷痕から出血は微量ながらあり、顔は青白く、意識はない。とりあえず脈はあるようなので、咲夜は深い安堵の息をつく。そんな咲夜の背後から声がかかった。


 「室長。早く本部に連れて帰ってやってくれ。かなり危険な状態だからな」


 路地の影の部分から、紡も出会った黒いフードを被った男が現れた。この状況下であれば誰もが臨戦態勢を取るというのに、咲夜はフードの男にたいして一切臨戦態勢を取らなかった。否、取る必要はなかったのだ。


 「久しぶりだね。まさか君から連絡が来るなんて、夢にも思わなかったよ」


 傷だらけの紡を抱きながら、咲夜はフードの男に微笑み返した。男は口元に弧を描いて応じた後、咲夜に抱かれた紡に目をやる。目深に被ったフードの奥で、蒼き光が見えた。


 「そいつを襲ったのは、末期段階の暴走者だ」


 放たれた言葉に、咲夜は息を呑んだ。


 「暴走者……? NADRは全て回収した。それで事件は解決したんじゃないのかい」


 暴走者という単語に激しく狼狽える。自分達の見解が間違っていたとでも言うのか。腕の中にいる紡の青白い表情を見ながら、咲夜は引き締めた表情に影を落とした。


 「いや。室長達の見解は、何一つとして間違ってなんかいなかった。むしろ緊急回収をしなければ、もっと大変な事態になっていただろう」


 影を落とす咲夜に、フードの男は即座にそう答える。そう、彼らの見解も迅速な判断も行動も、何一つ間違ってなんかいなかった。これは事実だ。


 だが、それだけで終わるような事件ではなかったことも事実である。


 咲夜と男との間に沈黙が流れた。咲夜は一刻も早く紡を連れていかなければならなかったのだが、その場を動くことが出来ずにいる。頭の中をただ混乱という名の波が満ち引きを繰り返していた。


 「なるほど、じゃあ僕らがアフターケアを怠った結果がこれというわけか」


 腕に抱き上げた紡は意識を失ったままだ。その青白い顔を見て、悔しさに唇を噛み締める。口の中に血の味が広がった。


 (何が室長だ。この子に、こんな深手を負わせるなんて)


 「室長」


 尋常じゃない様子の咲夜を見兼ねたのか、フードの男は口を開く。咲夜は視線を紡に固定したまま、何? とだけ返した。その声はひどく掠れていた。


 男はフードの奥から蒼き光を覗かせながら、彼に言うべきかどうか迷っていたが、意を決して言葉をかけた。


 「そいつは、気づいていた。事件が終わってなんかいないことを。そのことに心のどこかで不安に思っていた。そして、確かなる予感があったらしい」

 「……そうか」

 「それから、ラボで例の物も見たらしい」

 「……そうか」


 最早咲夜はただ男の言葉に、一言返すだけで精一杯の状態であった。抱えた両腕に、服に彼女の血液が付着する。


 しばらくは黙って咲夜の様子を窺っていた男だったが、やがて路地の闇の向こうへと身を翻すと姿を消した。


 「ごめんね、紡君。愚かな僕を、どうか許してくれ」


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