action1-17


 あからさまに肩を落として通りを歩いていく。その度に感じる不躾な視線と陰口。紡はそれら全てを理解していながら聞き流していたが、ふと思い立ったかのように屋根伝いに移動をし始める。


 上空を舞う度に風は紡の髪や服を微かにはたかめせて、同時に眦(まなじり)に浮かんだ小さな涙も流していった。


 もう一度屋根伝いに飛び上がった後、取り壊されていない廃ビルの上でようやく止まる。ビルの上から吹く風は強く、常時服や髪を激しくはためかせた。


 俯かせていた顔を上げて、ビルの屋上から街を見下ろす。中層と高層ビルが建ち並び、道路は縦横無尽に走っている。

 人と車が行き交う日常。いつもと変わらない街並みに、紡はほんの少し苦いものを感じた。


 分かっていたはずだった。クローンであることが、パピヨンとして蝶に所属することが、この制服を身につけていることが。どれだけ住民達に不快感を抱かせているのかを。恐怖と憎悪と不安と。負の感情を抱かせているのかを、心の底から分かっていたつもりだった。


 だから互いに触れ合うこともしなかった。触れ合えばさっきみたいなことになることくらい、安易に想像出来たはずなのに。


 悲しさと悔しさと……強く拳を握り締め、紡は目の前に広がる街並みをじっと見つめていた。


 「相変わらずバカだな、お前」


 突然背後から聞こえてきた声に、紡の心臓が跳ねる。振り返ると、そこには黒いフードを目深に被った何者かがいた。発せられた声は低く、体格も紡と比べると大きい。それだけでフードの者が男であるということが分かった。


 「あなた、誰……?」

 「わざわざ名乗らなくても分かるだろう?」


 一歩ずつ近付いてくる男に警戒しながらも、紡は男の声に懐かしさを覚えるがそれはほんの一瞬の出来事で、懐かしさの正体までに辿り着くことが出来ない。


 気づけば二人の距離は手を伸ばせば届く所までに来ていた。強い風が吹く中、男が被っているフードは揺れるだけで外れる気配がない。


 腰につけたホルダーに手をやり、臨戦態勢を整えている紡を男はじっと見つめると、やがて小さく、覚えていないのか、と呟いた。


 (覚えていない? 何を?)


 喉元から出ようとした疑問の言葉を呑み込み、臨戦態勢のまま紡は男の顔を窺おうと試みる。しかしフードの下から見えるのは、形のいい目鼻のみで男の素顔を窺い知ることは出来なかった。




 膠着状態がしばらく続いた。進展しない状況に紡は無意識のうちに歯噛みした。その動作が、この間見た夢と同じ動作であることに気づくことはない。


 一方男は黙って紡を見つめていたが、次第に興味をなくしたのか後方に下り始めた。


 「動かないで」


 相手が後退し始めたことに気づいた紡は、ホルダーからリボルバーを取り出して構える。動きに一寸の無駄もなかった。


 もちろん、紡に男を撃つ気など全くない。あくまでこれは相手を足止めする威嚇でもあり、警告でもある。


 男が動けば、すぐにでも撃つという無言の警告。銃口を向けられた男は後退することを止めた。無言の警告が意味するものを受け取ったようだ。


 「そのまま手を頭の後ろで組んで」


 男は静かに頭の後ろで手を組んだ。

 男が素直に指示に従い、なおかつ抵抗するつもりがないことを確認しながら、リボルバーを構えたまま、徐々に男との距離を縮めていく。銃口が男の胸にフード越しに触れたところで、紡は前進を止めた。


 近付いても見えない男の顔。そのフードの下でどんな顔をしているのか、それが気になって仕方ない。


 「……お前、撃てるのか?」

 「……え?」


 突然投げかけられた質問に、紡は困惑する。男が言った、撃てるのか? という質問の意図が分からなかったからだ。挑発しているのか、それとも試しているのか。どちらにせよ男の言動は理解に苦しむということだけが、接触して短時間で紡が掴んだ男の印象だった。


 「何、挑発してるの? もちろん撃てるよ。この距離で外すだなんて、信じられない」

 「そうか」


 果たしてこれが男の求めていた回答だったのかは分からないが、フードから見えている口元が満足そうに弧を描いたのを見て、紡は求めていた回答なのだろうと解釈をした。


 「それじゃあ、俺はまだここで撃たれるわけにはいかないな」


 疑問を声に出すこともなく、紡の視界が反転する。次に感じた衝撃は、背中を強く地面に打ち付けた強い痛みだった。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。視界が反転したなと思っていたら、地面に叩きつけられていたのだ。


 「な、に……っ」


 (何が起こったっていうの?)


 状況の理解が追いついていない紡を、男は見下ろした。単に男が紡に仕掛けた攻撃は、柔道でいう背負い投げ。何の変哲もない初歩的な攻撃だ。


 紡が気付いていれば防御態勢も取れただろうが、紡は相手の動きを封じたと油断していた。その油断が命取りとなり、男の攻撃に対する構えが取れず、まんまと受けてしまったのだった。


 「教えただろう。相手の動きを封じたからといって、最後まで油断はするなと」


 フードの向こうで鋭い視線を感じる。紡は痛む背中を起こしながら、男を見上げた。口元は強く引き締められており、どんな表情をしているのかは分からない。


 紡は奥歯を噛み締めた。ギチチ……と噛み合わさった音が鳴る。見知らぬ相手にまんまと一発食らわせられた。もし、相手が素手ではなく武器を所持していたら。

 敵か味方かも分からない相手に情けをかけられた、そのことが悔しい。


 「自分の無力さを痛感することは無駄じゃない。だが、安心はするな。お前の中にある不安は、近いうちに現実になる」


 自分の中にある不安を見事なまでに言い当てた男は、顔を俯かせた紡に一瞥せず去って行った。

 残された紡の胸の中は、複雑な思いで一杯になるのだった。


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