action1-3

 街の北部に廃ビルを改装して作られた真っ白な建物がある。独立守護組織 蝶の本部だ。蝶はここだけではなく、全国に支部がある。

 この組織の構成人数はおよそ五十くらいだ。本部長をはじめ、主力メンバー(通称パピヨン)が四、五人、その下に開発班、医療班、処理班、調査班がある。


 組織全体としては多種多様な仕事をするが、主な仕事は街の治安維持とクローン達、住民達の生活を守ること。後は異常クローンの粛清。

 守護組織でありながら治安部隊でもある、二面性を兼ね備えた組織である。クローンや住民達からは白蝶として名が通っている程、知られた存在だ。


 「やあ、紡君。お疲れ様」


 そう言って紡の前にアイスティーを置く、青みがかった髪の男性ーー九条 咲夜。いつもにこやかな笑顔を浮かべているが、これでも蝶の本部長だ。


 「ありがとうございます」


 今では希少価値さえあるアンティーク家具で作られた空間。無機質なラボとは違い、別世界そのものの部屋、ここは室長室。


 何故、ここにいるのか。先の件について報告があったからだ。ひとまずは、出されたグラスに口をつけて喉の渇きを潤す。

 渇きを潤したところで、あの、咲夜さん、と口を開いた紡を、咲夜は片手をあげて制した。


 「分かっているよ、紡君。報告の件なら、すでに聞いているから」


 二人の暴走者に襲われて、その上怪我の検査もされて。散々な目に遭って本当に大変だったね、と咲夜は紡の左肩に目をやる。新しく支給してもらった礼服の下には痛々しい怪我がある。


 咲夜が心配していることを見越した紡は、確かに怪我を負って散々な目に遭いましたが大して痛くもないですから、と嘘で返した。


 本当は今にでも体を支配する激痛にのたうち回りたいくらいだが、それを咲夜の前でするわけにもいかない。嘘だと見抜いている咲夜の疑わしげな視線から逃れるように、紡は少しでも痛みを逸らすために話題を変える。


 「……上層部は、なんて言うでしょうか」

 「さあ? どうせまた文句は言ってくるだろうね。現場を見てもいないくせに、今日も変わらず上層部の椅子に座って偉そうにするだけさ。僕はあいつらが嫌いだね」


 とりあえず座りなよ、と促される。上質で柔らかそうなソファーだ。シックな色合いが部屋の雰囲気にとても似合っている。


 「やはり上層部が目の敵にするのは、私達パピヨンがクローンだからなのでしょうね。クローンの暴走事件すら、ろくに解決に導けていないですし」


 ソファーに腰掛けながら、紡は問題の本質を呟いた。クローン技術が発展して以来、日に日に増えていく同胞。全国は今、クローンと人間が入り混じった状態で共に暮らしている。

 一見、何のいさかいもなく平和そうに見えるが、政府はクローンを敵視しており、内輪はクローン達にとっては地獄そのものだ。


 人種差別はもちろん、人権剥奪・奴隷扱い。尊厳は与えられない、結婚・将来の選択の自由、仕事を選ぶ権利だってない。

 本来人に与えられるべき自由が、クローン達には存在しない。文字通り、政府という大きな籠に閉じ込められた鳥のような扱いを受けている。


 そんな中で起きたクローンの暴走事件が、世間にどれだけの影響を与えているのか。考えるだけでも頭が痛くなってくる。


 「まぁ、それもあるとは思うけど。もう一つの理由としては、本部を指揮しているのが僕だからっていうのもあるだろうし。あいつらは、自分達の手で君達を思い通りに動かしたいんだよ。生死についても、全てね」


 咲夜は忌々しそうに吐き捨てる。

 蝶を指揮している咲夜は組織で唯一の人間だ。上層部としては、同じ人種に蝶の指揮権を握られるのは面白くないのだろう。


 「人間嫌いは現在進行中ですか?」

 「ああ、うん。進行中さ、悪い方にね」


 咲夜はそう言ってアイスティーを口に含んだ。顔には出ていないが、さっきの口ぶりから察するに、悪い方には確実に傾きまくっている。

 紡は咲夜に関して特に嫌悪といった感情は抱いたことがない。それだけ咲夜は特別な人間なのだ。かといって、人間全員に味方はしたくない。


 (だって上層部(あいつら)は、人の形をしたただの塊なんだから……)


 氷が溶けて薄まったアイスティーを口に運び、紡は射殺した男性を脳裏に思い浮かべた。彼には、家族がいた。


 結婚相手は恐らく……いや十中八九、上層部が指示した相手だっただろう。自分の意志と関係なしに結婚をさせられて、彼が幸せだったのかは分からない。


 (クローンは、道具ではないのに)


 「……僕はね、思うんだ。君達は道具なんかじゃない。生まれ方は確かに特異ではあるけれど、ちゃんとした人間なんだよ。命を持って生まれてきたのに、この扱いは一体なんだろうね」


 まるで今の紡の胸中を占める思いを代わりに代弁するかのような咲夜の言葉に、紡は何も言えなかった。黙って咲夜の横顔を見ることしか出来ない。掛ける言葉が、見つからないのだ。


 「紡君。僕はね、君達に自由をあげたい」


 呟かれた言葉に込められた想いは、二人以外には届かないだろう。最も、今ある暴走事件解決と、クローンと人間の間にある確執を取り除かない限りは。二人の間に沈黙が流れた。


 「……っ」


 気を抜いた瞬間に、襲ってきた激痛に顔を顰める。激痛に耐えかねた紡は、気を紛らわそうとアイスティーを口に含んだ。心配になって咲夜の方を見ると、彼は思案するように目を深く瞑っており、今の紡の表情は見てなかった。


 慌てて意識を他に向ける。何度か室長室には足を運び入れたことはあるが、こうしてまじまじと揃えられた家具を見つめる機会はなかった。普段から見つめることのない、アンティーク調の家具を興味深々に見つめていると、次第に激痛が収まってくる。


 激痛の波が引いたところで、紡は気づかれないようにそっと額を拭った。手の甲に汗がつく。あまりの痛みに知らず知らずのうちに脂汗をかいていたようだ。


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