action1-10


 その日の夜、紡はこっそりと蝶本部の自室から抜け出した。NADRはラボで作られた薬物だ。今までラボの製品に疑問を持ったことなど一度もなかったが、今回のことに関しては見逃すわけにもいかなかった。


 昼間の男性の証言もそうだったが、直感的にラボが怪しいと踏んだ紡は、誰にも相談せずに自分の目で確かめようと、本部から一番近いラボに潜入することを決めたのだ。


 関係者のみの入り口に設置されている機械を壊す。警報が鳴るかもしれないと身構えていたが、そんなことはなかった。サングラス式暗視スコープを装着し、辺りに赤外線が張り巡らされていないことを確認すると、恐る恐る紡は中に踏み入った。




 廊下や研究室全ての電源が落ちているのか、辺りは自分の存在すら分からないくらいに暗い。暗視スコープのお陰で障害物に当たることもなく、ラボの廊下を進んでいる。


 廊下の曲がり角まで来たところで足を止めた。そっと、顔だけを廊下の向こうから出して様子を伺う。スコープ上の緑色の視界に赤外線の類も、監視カメラの類も映らないことを確認。


 充分に辺りを警戒しながら、廊下を突き進んでいく。途中にいくつか部屋があったので中に入って確認したが、これといって目を見張るような物はなかった。


 やはり重要な書類や情報の類のものは、情報管理保管室に置かれているのだろう。しかし事前に手に入れたラボ内の地図によれば、情報管理保管室は今いる地点から全くの逆方向になる。


 見廻りもいないとは限らない。巡視ロボットくらいなら何とかなるが、警備ロボットの類となると、危険である。巡視ロボットよりも警備ロボットの方が、厄介な相手だからだ。けれど、情報を得るためにはそこに行くしかない。


 (どうか見廻りがいても、巡視ロボットだけでありますように)


 情報管理保管室がある方向へ踵を返しながら、紡は心の中で祈る。そんな祈りが通じたのかは分からないが、保管室までの道中、警備ロボットは疎か巡視ロボットすら出会うことはなかった。


 内心ついてるとは思ったものの、帰りもそうではないことを忘れずに肝に銘じる。行きは良くても、帰りは怖い。


 まるで蜘蛛の巣のように入り組んだ廊下の曲がり角をいくつも曲がったところで、ネルヴォイでラボ内の地図を表示し、現在地を確認する。保管室へは残すところ一本道のみ。

ここまで来るのに、張り詰めていた緊張感を息と共に吐き出す。額に浮かぶ汗を拭って体温を下げる。


 案外、辺りを警戒しながら全神経を周囲に集中させると言うのは、思った以上に気力も体力も使うもの。後少しだと自分に言い聞かせて、目の前に伸びている一本道を歩いて行った。


 一本道の終わりには、一つのドアが待っていた。地図と照らし合わせて、ここが情報管理保管室であることは間違いない。


 さすがは重要な情報を管理、保管しているだけはある。ドアには厳重なロックが掛けられていて、開けるには少しばかり時間が掛かりそうだ。


 スコープを上にずらし、礼服のポケットから機械を取り出す。機械からコードを伸ばしてロックの機械に繋げた。パスワードを割り出している間、誰も来ないか緊張感を強いられる。やがて機械が割り出したパスワードを自動入力すると、ロックが外れた音が聞こえた。



 保管室に入り込んだ紡は、スコープをつける。厳重なロックといい、肝心な中に何も施していないとは考えにくかったからだが、スコープ越しに赤外線が張り巡らされているのを見て、口角を吊り上げる。


 「ふーん、ビンゴってことでいいのかな……っと!」


 張り巡らされている赤外線の隙間を潜り抜け、棚に保管されている資料を確認していくが目ぼしい情報は得られない。


 どうやら、ここの情報は全てダミーらしい。まんまと食わされたと思いながら、再び赤外線の網を潜り抜け、保管室を出た。


 しっかりとロックされたことを確認した後、当初進んでいた方向へ足を進める。


 (足音? 誰か来る……!)


 ある程度進んだ時、前方から誰かが歩いてくる足音が聞こえ、咄嗟に近くの窪みに身を隠した。高鳴る鼓動と早まる呼吸を押さえつけて、ただ見つからないように息を殺す。

 前方から現れたのは、女性の科学者だった。見つかれば、即通報されることだろう。


 場に緊張が走った。顎を、背中を冷や汗が伝って流れていく。極限までに息を潜め、女性が通り過ぎるのを待つ。


 女性はライトを手にしているものの、紡が隠れている窪みに一瞬でも目をやることはなく、そのまま通り過ぎていった。通り過ぎて足音が完全に聞こえなくなったところで、紡は窪みから顔を出した。


 さすがに戻ってくることはないだろうと思うが、一応女性が通っていった廊下を振り返る。よし、大丈夫そうだ。そして、さっきの女性がやってきた前方の廊下を見た。


 行く先は闇に包まれている。この先に何かあるかもしれない。紡は緊張で凝り固まった体の力を抜くために、大きく深呼吸をする。

 吐き出した息と共に、余計な力が抜けていくの感じる。閉じていた瞳をしかと開き、紡は闇の中へと足を進めた。




 しばらく闇の中を歩いていくと、奥の行き止まりに突き当たる。紡は首を傾げた。ここまではどこかに脇道があるわけでもなく、一本道だったはずだ。


 壁を手探りで探ってみるが、扉らしきものも凹凸もない。叩いてみると軽い音が聞こえる。どうやら、この先の空間に空洞があるらしい。先に行くにはどうしたものか。

 何度か叩いたり触ったりを繰り返していると、手に何かが触れて行き止まりだった壁に穴が開いた。


 (これは……隠し通路?)


 暗視スコープ越しに現れた隠し通路を覗き込む。足元には階段があり、地下へと続いているようだ。ここまで来たのなら、最後まで行ってみるのもいいだろう。


 紡はもう一度背後を振り返り、廊下に誰もいないことを確認すると、地下へと続く階段を降りていった。


 地下へと続く階段は一段の幅が非常に広く、おまけに暗く螺旋状になっていた。足元を確かめつつゆっくりと降りていく。降りても終わりが見えてこない螺旋階段に一抹の不安を抱き始めた頃、ようやく終わりが見えた。


 最後の一段を降りると、そこに広がる光景はどこか見覚えのあるものだった。


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