第9話 「今、なんて言うのが正解か考えてたでしょ」

「じゃあその荷物、部屋に置いちまうか」


 案内された借家のリビングをリリアンは二度見で飽きたらず三回ほど見直した。

 ソファにたてごとあざらしやビーグル犬のクッションが置いてある。床にはネコの顔を模したカーペットが敷いてあった。カーペットの上に履き物が置いてあるので、靴を脱いで過ごすのだろう。

 ソファの横にネコがモチーフのミニテーブルが置いてあった。さらにカーテンタッセルはサルのぬいぐるみである。リリアンは思わず口をポカンとあけてしまう。


「……うわぁ」


 服の時点でわかっていたが、西野隆弘はかなりのファンシー好きだ。顔に似合わない、というリリアンの思考を読み取ったのか男の口がへの字に曲がる。


「……なんだよ」


「いや、服見たときにわかってたから……」


「ガラじゃねぇっていいてぇのか。悪かったな」


 隆弘が顔を横に背けた。頬が少し赤くいつもより声も小さめなので照れているようだ。

 ドリーが慌てて声を出す。


「わっ、私もこういうの好きだわ! いいわよね、可愛らしくて!」


 リリアンはニヤニヤと笑った。


「確かに可愛らしいな! 実は受けか!」


 ドリーがリリアンを肘でつつく。隆弘は口をへの字に曲げたまま


「寝ぼけてんのかテメェ。部屋に案内するからついてこい」


 と言い、半ば強引にドリーとリリアンを2階へ連れていった。客間もリビング同様可愛らしい家具で飾られている。ベッドにはペンギンのぬいぐるみと毛布が敷いてあった。ぬいぐるみは位置からしておそらく枕だろう。


「ここと隣の部屋が客間だ。どっちがどっちかは好きに決めてくれ」


 隣の部屋にはシロクマのぬいぐるみと毛布が敷かれていた。

ドリーがペンギンでリリアンがシロクマを選び、それぞれ荷物を部屋に置く。

 リリアンが隆弘に声をかけた。


「悪いな西野。世話になっちゃって」


「隆弘だ。構わねぇさ。俺だって一人っきりで拳銃もったヤク中に狙われるのはゴメンだしな」


「ところで西野の部屋はどんな可愛いぬいぐるみが置いてあんの?」


「隆弘だ。見せてやってもいいが一緒に寝てもらうぞ」


「イヤン。ウサギちゃんのだきまくらの場所を奪うなんて私にはできないわン」


 隆弘が動きを止め黙りこくる。


「え、なんで黙ンの。マジでウサギちゃんの抱き枕あんの?」


 動きを停止していた隆弘が吐き捨てた。


「ねぇよ。とっととシャワー浴びちまえ」


「いや、絶対あるだろ」


「ねぇよ。ピンクのウサギさんなんて知らねぇ。左隣の部屋が風呂だぜ」


「んんんん?」


 一瞬冗談で言っているのかと思ったが、どうやら男は大まじめのようだ。リリアンは追求を諦めた。というか、目の前の男がウサギのぬいぐるみに敬称をつけている現実に負けそうだった。


「……ドリー、どっちが先に入る?」


「……リリアン、先に入ってくれる? 隆弘さん、キッチンを借りても平気かしら」


 隆弘が首を傾げる。


「別にかまわねぇぜ。どうしたんだ」


 ドリーがニコリと笑って隆弘を見た。リリアンは風呂に入るためにいそいそと着替えの準備を始める。


「せっかく家に泊まっているから、食事くらいはせめて作ろうかと思って」


 着替えを抱えたリリアンに、ドリーが軽くウインクを飛ばした。


「本当はリリアンが食事当番なんだけど、いろいろあって一番疲れてるのはアナタだろうからね。変わるわ」


「ありがと、ドリー」


「隆弘さんも、私が作る料理でかまわないかしら?」


 隆弘が少し目を見開き、それから喉の奥で笑ってみせた。


「じゃあ頼むぜ。悪いな」


 ドリーが笑顔を深める。リリアンは荷物を抱えて2人の後ろを通っていった。

 言われたとおり右隣の部屋に入る。トイレと浴槽が一緒になったオーソドックスなタイプだった。浴槽の上にシャワーがついている。入浴剤を発見して手にとると自分達と同じタイプ のものだった。安くてオーソドックスなので大抵の人間はこれを使っているだろう。服を脱いで着替えと一緒に放り投げる。バスタブに入浴剤を入れてお湯を張った。泡が沸いてきたのを確認し、浴槽に座ると体を擦る。髪まで洗ってシャワーで泡を流すと着替えてバスルームを出た。

 階段を下りてリビングまで行くと、キッチンでドリーが作業をしていた。隆弘がソファでビーグル犬のクッションを抱えたまま本を読んでいる。

 リリアンもソファに腰を下ろすことにした。


「お風呂ありがとうー」


 隆弘が顔をあげる。


「ああ、じゃあ次は」


 キッチンにいるドリーが笑顔で言った。


「まだ手が話せないから、隆弘さん先に入っちゃってくれるかしら」


 隆弘が本を閉じてクッションをテーブルに置く。


「……わかったぜ。悪いな」


「いいのよ」


 キッチンから漂ってくる香りで、リリアンは今日の夕飯がスパゲッティ・ボロネーゼだと理解する。ドリーの得意料理だ。


「気合い入ってるねー」


「アナタ疲れてるみたいだしね。リリアン、前に私のボロネーゼ好きっていってくれたでしょ」


 と答えた。

 

「……ありがと、ドリー」


 胸がじんわりと熱くなる。今日は厄日だったが、これだけで疲れが取れるようだ。


「ねえ、私手伝うことある?」


「いいわよ、座ってても。私が言い出したんだし」


「んー、でも私一応今日当番だし」


 ドリーが一瞬首を傾げてから、すぐ冷蔵庫に視線を移した。


「じゃあ、サラダ作ってくれる? ごめんね、疲れてるのに手伝わせて」


「いいよー! 自分で言ったんだもん」


 それからリリアンはドリーの指示通り冷蔵庫から野菜を出してきて水で洗う。

 鍋をかき回しているドリーが、リリアンに言った。


「……ねえ、リリアン。本当に隆弘さんと付き合ってるの?」


 リリアンが水洗いした野菜をまな板の上に置き、水気を拭き取る。


「ううん。違うよ」


「そうなの? お似合いだと思うけど」


「そう? ああいう我儘な男にはドリーみたいなタイプのほうがいいと思うよ。世話焼きっていうか、あねさん女房っていうか」


 ドリーの顔が赤くなる。


「ばっ、ばか! なんで私の話になるのよ!」


「思ったことをそのまま言ったまでだよー」


 みんなウソがヘタなんだなぁ、とリリアンはとりとめなく考えた。

 ドリーは鍋を一心にかき回しながら軽いため息をつき、レタスをちぎっているリリアンにまた話し掛ける。


「隆弘さんに告白されたの?」


「告白っていうか、俺の女にならねぇかって。フラれたばっかりだからきっと誰でもいいんだよ」


「でもタカヒロ・ニシノは自分から女口説かないので有名じゃない。今まで全部、言い寄ってきた女と付き合ってただけだって」


「あれが告白って言うならあの男かなり頭可笑しいと思うよ。私に告白した理由、『壊れないオモチャが欲しい』だってさ。私そんな頑丈に見える?」


 ドリーが口をポカンとあけた。


「それは……すさまじいわね……」


「でしょ。ドリーも西野のこと、気になってるのが顔だけだったらやめといたほうがいいよ」


「だからなんで私の話になるのよ」


「西野のやつ、私がフッたから次はドリーに目ぇつけるかもよ」


――受け答えは間違っていないだろうか。この返答でドリーは気分を害さないだろうか。


 サラダを盛りつけながらリリアンは必死に考えた。

 今までの反応を見る限り、ドリーは西野隆弘が気になっているようだ。今リリアンは事実しか喋っていないが、どこかにドリーを不快にする単語が混じっていないだろうか。やめたほうがいいというのは余計だっただろうか。壊れないオモチャが欲しいと言われたことは伏せておくべきだっただろうか。それとももう少し詳細に、助けてくれた時のことを話しておくべきか。ジャッキーが彼の昔からの知り合いで、助けたリリアンに感謝していたから告白したのだろうと、付け加えておくべきだったか。

リリアンがクルトンをサラダの上に散らしながら考え込んでいると、いつのまにかドリーが至近距離まで来て彼女の肩を叩いた。


「今、なんて言うのが正解か考えたでしょ」


「そんなことないよ」


「そんなことあるわ。たまにそういうトコあるわよね」


「そんなことないよ」


「あるっていってんのよ」


 ドリーがため息をついたのでリリアンはまた考える。けれどこれで黙っている時間が少しでも長かったら、ドリーはまた怒るかもしれない。どうしよう。

 リリアンが答えを見つける前に、ドリーが動いた。


「そんなこと考えないで、思ったこと言ってくれればいいのよ」


「……うん」


 ドリーが笑った。正解だ。つられてリリアンもニコリと笑う。


「ねえドリー、私ねぇ、西野の思い人わかっちゃったよ」


「なによそれ。自分だったってこと?」


「違う違う! 私は確信したよ。西野の思い人はジャッキー・ボーモントだね!」


 ドリーがリリアンの頭を叩く。


「そのネタやめなさいよ」


「まってよ! 根拠があるんだよ! 聞いてよ!」


「それは妄想っていうのよ」


「違うよ! 聞いてよー!」


「その前にサラダつくっちゃいなさい」


 なだめるように肩を叩かれてリリアンは唇をとがらせた。ドリーの笑い声が聞こえる。

 完成したサラダを、リリアンはとりあえず冷蔵庫にしまった。

 しばらくして隆弘が風呂から出てくる。クマのデフォルメキャラクターを模したきぐるみパジャマを着ていたので、リリアンは家に来た時と同様、思わず3度見した。日頃からファッションセンスが銀河鉄道の旅に出ているとは思っていたが、きぐるみパジャマは今までと破壊力の桁が違う。さすがにドリーも驚いたようで、一瞬料理の手を止めた。

 隆弘が椅子にどっかりと腰を下ろす。動作自体は尊大な印象を与えるのだが、いかんせんきぐるみパジャマとのギャップが凄まじい。

 リリアンは思わずニヤニヤと笑ってしまった。


「……そのかわいいパジャマ、よくお前のサイズがあったね」


 隆弘が不機嫌そうな顔でタバコを2本口にくわえた。


「裾直したんだよ」


「自分で?」


「ああ」


「マメだねー! ドリーがそういうの得意だから今度から頼めば?」


 キッチンでドリーがあからさまに慌てふためく。


「なっ、なにいってるのよリリアン!」


 隆弘がフン、と鼻を鳴らした。


「いちいち他人に頼むほど不器用じゃないぜ。それよりとっとと風呂はいっちまえよ」


 ドリーはすこしガッカリした様子だ。様子を見ていたリリアンはみんなわかりやすいなぁ、と思ったが口に出すのはやめておく。

 キッチンから出てきたドリーがリリアンを見た。


「じゃあリリアン、お鍋見ててね」


「わかったよン」


 リリアンがドリーの代わりにキッチンへ移動する。隆弘は灰皿を自分の目の前に引き寄せて2本分のニコチンを吸い込んでいた。

 リリアンはなぜ2本一気に吸うのだろうと疑問に思ったが、どうしても気になるというわけではないので尋ねるのはやめておく。ぼんやり鍋をかきまわしているうちに、10分くらいしてドリーが風呂から帰ってきた。


「おまたせ。リリアン、お鍋の様子どう?」


「良いかんじーさっきパスタも茹でたよー」


「ありがとう。じゃあ冷蔵庫からサラダ出してくれる?」


 リリアンが冷蔵庫からサラダを出している間にドリーが皿にパスタを盛りつける。ここで隆弘がやっとテーブルから動き、引き出しからフォークを3つ取り出してきた。ネコとリスとコブタが柄の先端についている。隆弘はネコのフォークを使うようだ。リリアンはコブタのフォークを選んだので、必然的にドリーはリスのフォークを使うことになる。

 リリアンが愛用の胡椒を持ってきて、皿に盛りつけられたスパゲティに胡椒をたっぷりかけた。


「いっただっきまーす!」


 彼女が笑顔でフォークを持つと、隆弘が呆れた顔をする。


「なんだそりゃ。身体に悪そうだな」


 隆弘の言葉に女はわざとらしく口を尖らせた。


「タバコよりマシですぅ!」


 ドリーがこれみよがしにため息をつく。


「いつもこうなのよ。やめろっていっても聞かないの」


「内臓壊すぞ」


 リリアンは隆弘の言葉を聞き流して自分のサラダに胡椒を振りかけた。

 男が目を見開く。


「おいマジか」


「なんだよー」


「内臓壊すぞ」


「壊しませんー! お前こそブロッコリー食えよ。皿にブロッコさんだけ残ってんじゃん」


「残してねぇ。食ってる」


 リリアンが隆弘の前に置いてあるサラダに視線をやった。見事なまでにブロッコリーだけより分けられている。


「これでなんで食ってるって言いきれるのか不思議だわ」


「うるせぇ食ってんだよ」


 どうやら隆弘はそのまま押し切るつもりのようだ。ドリーが慌てた様子で笑みを浮かべる。


「に、苦手なものはしょうがないわよ!」


 隆弘がパスタを咀嚼してから口を開いた。


「だから食ってんだよ」


「そうよね!」


 会話が噛み合っていない気がする。というかドリーが無理やり会話を合わせている。健気だなぁ、と思ったリリアンは感想をパスタと一緒に飲み込んだ。

 隆弘はブロッコリーを華麗に無視してスパゲッティ・ボロネーゼを頬張る。彼はトマトソースを飲み込んだ後、ふわりと笑って見せた。


「美味いな」


 ドリーが顔を赤くして食事をする手を止めた。


「そ、そうでしょう? 得意料理なの!」


「そうか。久しぶりに美味いモン食ったぜ。ありがとよ」


「い、いいのよ。泊めてもらうんだし!」


――なんか良い雰囲気になってきたし、退散するべきかな


 と考えたリリアンは、まず自分の分の夕飯を平らげてからにしようと思い至った。かわりにそれ以降はあまりしゃべらないように務める。

 ドリーと隆弘はそれなりに会話が盛り上がっていて、特にドリーは食事の後リリアンがやろうとしていた食器洗いも率先してやってくれるほど機嫌が良い。

 いつもは食事を作らなかったほうが食器を洗うことになっていたのだが、リリアンは素直に儲けたと思うことにして鼻歌など歌うドリーの様子を眺めていたのだった。

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