第27話 「俺はお前の敵じゃねぇ」
地下室の扉を蹴破った隆弘が見たのは赤黒いユリの大軍だった。むせ返りそうな香りが襲ってきて男は眉をしかめる。少量なら官能的な香りもこれだけ集まれば凶悪なものでしかない。花が薄暗い中に溶け込んでいて不気味だった。禍々しい大輪の花に囲まれて、リリアンが椅子に横たわっている。どうやら気絶しているようだ。
隆弘が声を荒げる。
「リリアン!」
女が目を覚ます様子はない。代わりに彼女の横にたっていた赤髪が隆弘のほうを向いた。ルーベン・バルボ。おおきなマスクをつけていて、水色の瞳が歪に歪む。
「西野隆弘じゃないか。この女のために本当に来たのか……呆れるね」
隆弘が奥歯を噛み締める。咥えたタバコが少しずつ裂けていくのがわかった。
「なんとでも言えよクソゲス野郎。その女になにしやがった。今からぶん殴ってやるから覚悟しろ」
ルーベンが鼻を鳴らす。水色の目に嘲笑が浮かんだ。
「信じられないほど汚い言葉を使うな君は」
ガチャン、と音がして椅子の横に黒いベルトが落ちた。
「みすみす殴られるわけにはいかないよ。データも取れたし、リリアンに足止めを頼むとしよう」
ルーベンの腕がリリアンの背中に触れ、脱力する女を助け起こした。隆弘の歯がタバコに突き刺さり、また音を立てて裂けていく。
「さあリリー……起きなさい」
女の睫毛が震えた。金色のカーテンが音もなくあがり、閉ざされたエメラルドが現れる。キラキラと輝く大粒の宝石。最初こそ焦点の合っていなかった瞳は、やがてなにかに脅えるように大きく見開かれた。薄く色づいた唇が恐怖の形に戦く。
ルーベンが笑い、女の白い頬に手を這わせた。リリアンがヒッ、と小さく息をのむ。
「やっ、いやっ! 離して!」
「離すとも。でも気をつけるんだよ。怖い人がいるからね。君を怒る人が来たんだ。お姉さんよりも出来の悪い君を怒る人がね」
赤髪に腕を掴まれたリリアンが拒否するように首を横にふった。
「いやっ! 聞きたくないっ!」
なにやら様子がおかしい。いつものリリアンではないし、反応が少し幼くなっているようだ。
ルーベンは女の腕を乱暴にひっぱって椅子から引きずり下ろした。床に手をついたリリアンが隆弘を見る。
ルーベンが穏やかな口調で女に言った。
「見てごらんリリアン、あの人が怖い人だよ」
女が息をのむ。エメラルドの瞳が大きく揺れた。一瞬翠玉の瞳が太陽光を反射した鏡のようにチカッ、と強い光を放つ。
リリアンが頭を抱えて赤黒い花の中に蹲った。
「こないでぇえええぇえっ!」
ブワリと強風が吹き荒れる。彼女を中心にしてユリが円形になぎ倒された。まるでミステリーサークルだ。
風でよろめいたルーベンがそのまま後退し、隅にあった階段の手すりに手をかけた。
マスク越しにケタケタと笑っている。
「彼女こそ、私が開発した新人類第一号……超能力者の、プロトタイプだ!」
リリアンが荒い呼吸を繰り返している。隆弘は全身から血の気が引くのを感じた。彼女は今のところ出血も痛みもないようだが、いつジャッキーやドリーのようになるかわかったものではない。
「リリアン! やめろっ!」
隆弘の怒鳴り声にリリアンが反応する。ビクリと身体を揺らした彼女は泣き出しそうな顔で隆弘を見た。また緑玉がチカッ、と発光する。
突風が吹いて赤黒い花が散った。暗い中で金髪の女を彩る花弁はひどく禍々しい。
ルーベンが階段をのぼっていく。隆弘が追いかけようとするも、突風が彼の身体を押しつけて自由に動けない。重力が何倍にもなったような感じだ。周りのプランターに植えられたユリもグシャグシャと折れてひしゃげていった。そのたびコンクリートの床に禍々しい花弁が散っていく。
階段の上からルーベンの声がした。
「彼女は今、薬の影響で精神が不安定だ! あまり刺激は与えないほうがいいぞ!」
隆弘がルーベンを睨む。無理やり身体を動かすと骨がギシギシ音を立てた。
ちぎれかけていた煙草を思いきり噛みきって、口の中に残った破片もツバと一緒に吐き出す。
「テメェは……ぜってぇぶっ飛ばしてやる……!」
ルーベンは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「威勢がいいな。私を殴るつもりなら、まずリリアンをなんとかしないといけないぞ……他の被検体よりはまだマトモに動くが、そのまま力を使い続ければどのくらいもつかわかったものではないからね」
隆弘が咄嗟にリリアンを見る。彼女は酷く脅えていた。目が充血している。
男が叫ぶ。
「リリアン!」
その間に薬学教授はさっさと地下室から逃げ出してしまった。
名前を呼ばれたリリアンは聞きたくないとでもいうように両手で耳を塞ぐ。また彼女を中心に風が吹き荒れた。ひしゃげたユリの下にあるコンクリートが軋む。ミシミシという音がやがてギシギシに変わり、ベリベリと豪快な音を立てて空中に浮き上がった。粉々になったコンクリートが弾丸のように部屋中を飛び回る。自分に向って飛んできた破片を、隆弘はしゃがんで避けた。
ドリーも突風のようなもので隆弘やリリアンの身体を吹き飛ばそうとはしてきたが、物体が浮かび上がり飛び回るというのは初めてだ。
ドリーの突風がサイコキネシスだというのなら、これはテレキネシスといったところか。頭上に影が差したので隆弘が顔を動かすと、巨大なコンクリートの壁が浮いていた。
後ろへ飛んで直撃を避ける。勢いよく降ってきた固まりは轟音をたてて砕けるかと思いきや、そのまま地面に飲み込まれてしまった。
「こりゃ、ジャッキーの……!」
彼が使っていた穴掘りだ。コンクリートが波間に飲み込まれてしまう。周囲のユリもズブズブと床の下に沈んでいた。隆弘の右足も飲み込まれている。さらに後方へ飛んでしっかりとした地面に足をつけた。陸で溺れるのだけは遠慮したい。
「リリアン! 落着け! 俺はお前の敵じゃねぇだろ!」
リリアンはまだ花の中心で蹲ったままだ。
「やだ! 聞きたくないっ! 怒らないで! 私はお姉ちゃんじゃない!」
「リリアンっ!」
「聞きたくないっ!」
隆弘の周囲にあったユリに突然火がついた。赤みがかった黒の花弁が炎に飲まれ、ひしゃげて枯れていく。空中でも火の粉がちり、男は服の袖についた炎を慌てて払った。
隆弘が足を飲み込もうとする地面から避難し、舌打ちをする。
「まるで超能力の見本市だな」
頭上が突然明るくなった。バチバチバチッ、と天井で凄まじい音がする。それから部屋を照らしていた照明がかき消え、リリアンの周囲に青白い火花が散った。隆弘や燃えさかる花の周囲でも火花が散る。
リリアンの瞳がチカッ、と強い光を放った。音がよりいっそう強くなる。
隆弘の腕に突然青白い火花が纏わり付いた。火花はあっという間に全身へ広がると、強い痛みになって男を襲う。
「ぐぅううっ!?」
身体が痛みとともに激しく痙攣した。暫時で過ぎ去った激痛が強い痺れを身体に残していく。
発電能力まであるようだ。
周囲にかかる重力がつよくなる。止血した傷からジワリと赤い色が滲んできた。先程の電撃のせいで傷の痛みがよけい酷くなっている。
隆弘は身体が軋むのを感じた。花に囲まれ、座り込んでいる女を見る。
頭を抱え込んだリリアンは隆弘と目があった瞬間息をのんだ。
「いやぁああっ!」
空中に火の玉が3つ浮かび上がる。自分に向って飛んでくる火球をみて隆弘は口元がひきつるのを感じた。
「クソがっ……!」
1つ目は横に飛んで避け、もう1つはしゃがみ込んで避ける。頭上から降ってきた3つ目をバックステップで躱した。炎の玉が地面に追突した瞬間、舞い上がった熱量に冷や汗が流れる。直撃したらただではすまないだろう。
リリアンがガタガタと震えている。またエメラルドが瞬き、バチバチと派手なショート音が響いた。今度は雷でもくるのかと身がまえた隆弘だったが、青白い火花はリリアンの周囲に浮かんだだけだった。次の瞬間にはかき消えてしまう。
そのかわり、女の背中が大きく波打った。
「っ、うげぇっ……!」
嫌な声だ。
ビタビタと水音がする。赤黒い花弁に赤黒い液体がかかった。
女の白い頬に、ユリを燃やしたとき涙が通った道筋に、今度は禍々しい色の液体が流線を描いた。まるで周囲に咲いている花弁を溶かしたような色だ。
血の塊を吐き出したドリーはその後動かなくなった。
隆弘が足を一歩踏み出し声をあらげる。
「リリアンっ!」
顔をあげた女の唇が赤黒い液体で濡れている。まるで口紅だ。彼女は脅えたような目で隆弘を見た。
「こないでっ!」
腹に衝撃が加わって隆弘の身体が吹っ飛んだ。地面に叩きつけられ、肺が一瞬機能を停止してしまう。なぎ倒された花の中心から
「うぐぅっ」
と、苦しみに呻く声が聞こえてきた。
このままではルーベンのいったとおり、リリアンが死んでしまうかもしれない。
リリアンの口からまた赤黒い液体が吐き出された。ボタボタと重い水音がしてユリの花弁を汚すけれど、花自体が血と同じ色をしているので区別がつかなかった。赤黒い花から赤黒い液体が滴り落ちると、周囲の熱で花が溶けたような錯覚に陥る。
女の瞳が充血していた。涙が流れるべき場所から血を流している。呼吸も荒い。
隆弘がフラフラと立ち上がる。身体が見えない壁に圧迫されているようだった。止血した傷がブシュリと音をたて血を吐き出す。
リリアンはその比ではないくらい、口や目から赤黒いものを垂れ流していた。禍々しいユリの中で、同じ色の液体を吐き出している。
男は一度深呼吸したあと、ゆっくりと、なるべく穏やかに聞こえるよう、静かに言葉を吐き出す。
「リリアン」
身体にかかる重力が強くなった。ミシミシと骨が軋む。リリアンが口から血を吐き出した。ユリを吐き出したようにも見える。
隆弘が一歩踏み出すと、足がズブズブと床に沈んでいった。さらにもう一歩踏み出す。コンクリートであるはずの床が波打って隆弘の身体を飲み込んでいくが、構わず男は突き進んだ。
「リリアン、俺が怖いのか?」
翠玉がグラリと揺れた。脅えている。隆弘から逃れるように女は座り込んだまま後退していった。そのせいでなぎ倒された花がひしゃげ、花弁が舞う。血のような花弁。リリアンが血を吐き出す原因になった花だ。
隆弘の足が膝あたりまで沈み込んだ。周囲に青白い火花が現れ、隆弘に絡みついて激痛を残す。少し身体を揺らした男は、立ち止まることなく歩き続けた。
炎がユリから男の服へ燃え移る。嬲るような熱さがヒリヒリとした痛みに変わっていく。
「……俺はお前の敵じゃねぇ。もう一度聞くぜ。俺が怖いのか?」
剥がれたコンクリートの破片が周囲を飛び回り、隆弘の背中にぶつかってくる。息をのんだ男は一度大きく仰け反ると無理やり体勢を立て直し、底なし沼のようになった地面を踏みしめた。
「そんなわけねぇだろ……お前が俺を怖がる理由がねぇ」
隆弘の腕がリリアンの肩を掴む。女が暴れるも、男の力が強く離れない。
リリアンが悲鳴を上げた。
「やだっ!」
コンクリートの塊が隆弘の肩に突き刺さる。衝撃と痛みが走って血が噴き出した。そろそろ身体が危険信号を発している。
それでも彼は脅える女の顔を、力尽くで自分に向けた。
「下ばっか向いてるから相手が誰だかもわかんねぇんだ。俺の目を見ろ! リリアン・マクニール!」
エメラルドとコバルトグリーンの視線が絡み合う。
恐怖に揺れていたエメラルドがコバルトグリーンを捕らえると同時に、隆弘を押しつぶすような重圧が消えていった。
リリアンが2度ほど軽く瞬きをして、小さく声を出す。
「あ……」
ユリを燃やしていた炎が消えた。ショートした照明がもとに戻り、ボロボロの部屋を照らす。男の肩に突き刺さっていたコンクリートの塊が音をたてて地面に落ちた。床はもう底なし沼ではなくなっている。
「隆弘……」
「ああ」
「怪我してる……」
「ああ」
「大丈夫……?」
「ああ」
リリアンがもう一度瞬きをした。透明な液体がエメラルドに膜を張る。血でないことに隆弘はひどく安心した。
女の声が震えている。
「助けに、きてくれたの?」
男が、口の端を持ち上げてみせた。
「ああ」
エメラルドを濡らした水の膜があふれ出し、血で汚れた頬を伝う。赤い色のついた涙を隆弘の指が拭うと、女がうっすら笑みを浮かべた。
「ありがとう」
「気にすんな」
目の前にある女の笑顔がぼやける。隆弘は口の端を歪めたまま目を閉じた。
――ああ、もう……限界か。
背中から流れる血が止まらない。銃で撃たれた傷もあるし、電撃と炎と妙な重力の攻撃で身体はボロボロだ。そのうえコンクリートの刃が刺さっては体力に自信のある隆弘にも限度というものがある。
――リリアンは、助けた。
惚れた女は笑っている。
ありがとう、と言って幸せそうに。
だから、それでいい。
力のぬけた身体がリリアンのほうに倒れてしまった。少し重いかもしれないが、ちょっと動けば抜け出せるはずだ。
女の身体が隆弘と一緒に倒れた。赤い花弁が宙を舞う。一緒に舞う液体はリリアンのものではなく隆弘のものだ。
女のエメラルドが見開かれ、震える声が隆弘の耳元で聞こえてくる。
「たか、ひろ……?」
隆弘がリリアンを押し倒すようにしてユリの上に倒れた。彼は女に気にしないで先に行けと言おうとして、結局なにも言えないまま意識を手放した。
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