第25話 「銃ってあんま役にたたねぇな」
雪化粧をした木々が道路にまで枝を伸ばしている。周囲は芝生に覆われた草原が広がっており、牧草地帯といった風体だ。今は雪がふりつもっていてとても寒々しい。見晴らしが良い分余計だろう。
雪道を通ってスラウについた隆弘は、道で雪かきをしている中年女性に近づいていった。
「ちょっといいか。聞きてぇことがあるんだが」
女が顔をあげる。隆弘をみて驚いたような顔をした。彼をみた女は年齢に関係なく大概同じような表情をする。まあ隆弘が美しすぎる容姿に生まれついたのだから仕方がない。
「あ、あら! なにかしら!」
顔の赤い女をまっすぐに見据えて男が言葉を続けた。
「ルーベン・バルボの別荘ってのはどこにある?」
「あっ、教授先生の別荘ね? それだったら……確か、ロータリーの1つ目の入り口を出て、まっすぐ進むとまたロータリーがあるから、3番目の出口を出てまっすぐ進むの。少しして見えてくる大きい家がそうよ。バイクなら2分くらいじゃないかしら」
「そうか。ありがとよ」
「え、ええ。どういたしまして!」
女に言われたとおりまっすぐに道を進むと広大な敷地のホテルが現れる。水草の凍った沼地を通り過ぎ、壁に蔦の絡みつくバーも通り過ぎて1つ目のロータリーに入った。2つ目のロータリーも抜けて雪に覆われた丘を横目にしばらく走ると、大きな柵に囲まれたチューダー様式建築が現れる。
グレーの石を積み上げた外壁に窓枠はブラウン。三角屋根に煙突がついていた。広大な庭はよく手入れがされている。カナダメープルの大木に囲まれ、真っ白になった庭に人の足跡がいくつかついていた。バックガーデンには温室もあるようだ。
バイクを降りて周囲を見回してみると、柵の向うに黒い車が止まっている。ナンバーは確認できない。門は閉ざされているが、玄関に5人ほど男が立っていた。黒いスーツを着たイタリア系だ。
隆弘は大木の影に隠れ、柵に寄りかかった。なにか使えるものはないかと周囲を見回す。すぐ近くにゴミ捨て場があったので酒瓶と新聞紙を引っ張り出した。それから愛車に歩み寄った彼は、フューエルタンクに手をかけてガソリンを抜く。燃料を酒瓶で受け止めた。新聞紙で酒瓶と道路の水気を取ったあと、ビンの口に別の新聞紙をねじ込む。しっかり栓がされているのを確認して男はポケットからジッポライターを取り出した。去年の誕生日に叔父からもらったものだ。桜と虎の蒔絵が描かれている。
まず気持ちを落ち着かせるため、タバコを取り出して火を付けた。煙を吐き出すと雪の中に溶けて消えてしまう。
さすがに度胸のいる行為だ。そもそも犯罪だし、ヘタをすれば周囲にも迷惑がかかるかもしれない。もう一度深呼吸してタバコを味わうと、隆弘は意を決した。
ジッポで新聞紙に火を付ける。ガソリンの入った酒瓶を柵の向こう、庭の中程にある木に目がけて投げつけた。雪の上を吹っ飛んでいった火炎瓶は狙い通り木の幹に当たり、パリンと甲高い音を立てる。周囲に飛び散ったガソリンが発火する。当然火炎瓶を叩きつけた大木は炎に包まれた。
玄関にいた5人の男が火災に気づいて声を荒げる。
「なっ、なんだ!?」
「火事だ! 木が燃えてやがる!」
「なにか割れる音がしたぞ!」
「火炎瓶かなんかか!?」
5人中3人が庭へ駆けていき、消火活動にとりかかる。残りのふたりは敵襲に備えて周囲を見回していた。懐に手をいれている。おそらく拳銃のホルスターがとりつけられているのだろう。
隆弘が柵によりかかって左足の靴を脱ぐ。すばやく靴下を脱いで近くにあった小石を中に詰めると、靴だけをはき直して屋敷の閉ざされた門を乗り越えた。
当然玄関にいた男ふたりが隆弘に気づき、拳銃を構える。
「テメェか! ナメたマネしやがったのは!」
黒スーツの怒号に返事をせず、隆弘は先程急造したブラックジャックを男目がけて投げつけた。男が銃の引き金を引く前にブラックジャックが彼の腕を跳ね上げる。銃口が空を向いたまま煙を噴き上げた。
もう1人の男が隆弘に向って躊躇無く発砲してくる。右腕に弾丸がかすって服が破け、鋭い痛みが走った。隆弘が左腕で雪を握りしめ、男の目に向って投げつける。
「ぐっ!」
男が小さく呻いて銃口がブレた。
ブラックジャックを投げつけられた男が銃を構え直したときには、すでに隆弘が目の前まで駆け寄っている。
腕で男の腕を払いのけ、手首を掴んで押さえ込むと腹に肘を3回叩き込んだ。
「ぐぅっ……!」
男が低く呻いて銃を取り落とす。隆弘は呻く男を雪の中に投げ捨て、地面に落ちたベレッタM92を拾った。黒い自動拳銃だ。雪で視界の利かないもうひとりが無理やり目をあけた。隆弘に銃口を向ける。隆弘は無防備な彼の足をひっかけて転ばせた。ドタンと派手な音を立てて男が尻もちをつく。
「うっ!」
隆弘が呻いた男の右足に向けて引き金を引いた。爆竹の音がして黒いスーツの上に血が弾ける。玄関のタイルと庭の雪に鮮やかな赤が飛び散った。
男が悲鳴をあげた。
「ぐぁあああぁあっ!」
隆弘が銃の柄を男の頭に打ち付ける。
「うるせぇよ」
ガツンッ、と音がして男が仰向けに倒れ込んだ。鈍い音がする。後頭部をタイルにぶつけたのだろう。
庭のほうから荒々しい声が聞こえる。
「なんの騒ぎだ!」
消火に行った仲間が帰ってきたのだろう。隆弘は彼らが戻ってくる前に落ちていたブラックジャックを拾い上げ、屋敷の中に飛び込んだ。
長い廊下の向う側から男が3人走ってくる。
「侵入者だ! 撃ち殺せ!」
火薬の破裂する音とともに隆弘に向って弾丸が飛んできた。左腕と右足にかすり傷ができて血が噴き出す。
小さく舌打ちした隆弘が自分も拳銃を撃つ。腕が負傷しているうえ、慣れていないので当然かすりもしない。彼は仕方なく持っていた銃を真正面の男に向って投げつけた。重い音がして鉄の塊が男の顔面を直撃する。もんどりうって倒れた仲間に残りのふたりの視線が一瞬向けられた。その間に右側の男の顔面にも靴下のブラックジャックが直撃し、残りはひとり。
隆弘が廊下を敵に向かって滑り込んだ。出血した右足で残った男の足を払う。
間抜けな声を出して男が仰向けに倒れた。
「ぎゃあっ!」
ゴツンッ、と重い音がする。
無防備になった敵の腹に隆弘が硬く組んだ両手を叩き込むと、男は口から酸素と妙な声を吐きだした。
「グブッ」
これで敵は全員動かなくなった。男は念のためその場に落ちていた銃を一丁拾い上げ、短くなったタバコを携帯灰皿に突っ込む。
「銃ってあんま役にたたねぇな」
隆弘の身体中に鈍い痛みがあった。できればこれからあまり敵に会わずに行動したい。とにかく少し廊下を進み、手近な部屋に入り込む。客間の用で人の気配は無かった。出血した腕と足に処置を施さなければならない。
男は自分の着ているネコのシャツを見た。
これを破いて、傷に巻いておけば簡単な止血にはなるだろう。デフォルメされた子猫がつぶらな瞳で隆弘を見返している。ジャッキーを拘束するために使ったキリンのシャツはまだ使える状態だったが、破いてしまえばもう着られない。
どうするか真剣に悩んだ彼は意を決して服の裾を破く。ジィイッ、と甲高い音が響いて布が裂けていった。シャツが可哀想すぎて本気で泣きそうだ。
「ネコさん……」
低く呻るような声で小さく呟いたあと、男は出血した箇所に布をまいた。
これもすべて自分が不甲斐ないせいだ。
いや、相手が拳銃など撃たなければ怪我をすることもなかった。
リリアンを攫ったりしなければ隆弘がここまで追いかけてくることもなかった。
つまり全部ここの奴らが悪い。
「あいつらよくもネコさんを……!」
握り拳をグッと握りしめた隆弘はあらためて部屋を見回した。
換気扇が天井でクルクルと回っている。その向う側には通気ダクトがあった。扉の近くにあったスイッチの1つを押すと換気扇がゆるやかに停止する。
「……ふん」
男は顎に手を添えてひとつ頷いた。すぐさま机を換気扇の真下に持ってくる。足場の上にのぼって換気扇のフタを外し、換気扇も外した。腕の力だけで身体を持ち上げ、通気ダクトへ入り込む。掃除が行き届いていないらしく埃の臭いがした。軽く咳き込んだ後、彼はズルズルと通気ダクトの中を這っていく。横に蛾の死骸やらひっくりかえったネズミやがら落ちていて眉をひそめたが、気にしている時間はない。
稀に見かける通気口の編み目から屋敷の中を伺えた。ズルズルと這い続けていると金網の向う側から怒号が聞こえてくる。
「侵入者だ! もう5人やられてやがる!」
「てめぇら意地でも見つけだせ! 舐められっぱなしで黙ってられるか!」
「はいっ」
「1人ルーベンに知らせてこい! 地下室にいるはずだ!」
「わっ、わかりました!」
男がひとり、バタバタと慌ただしく駆けていく。残りは反対側に駆けていった。
隆弘は通気ダクトを這いずり、ひとり駆けていった男の後を追う。
廊下の男はしばらく走ったあと、扉の前に立ち止まってポケットから鍵を取りだした。隆弘が侵入した客間は鍵などかかっていなかったが、こちらは警備が厳重らしい。人に入られたくない、正に秘密の地下室といったところか。
通気口の上でニヤリと笑った隆弘は、明かりの差し込む金網を持ち上げ、極力音を立てないように横へ退かした。これで丁度鍵を差し込んでいる男の背後に着地できる。男が鍵を開けたタイミングを見計らい隆弘が廊下へ着地した。
物音に気づいた男が振り向く。
「なんだっ……」
だが隆弘のほうが早かった。男の首に腕を絡めてすばやく締め上げる。
「ぐぁうっ……!」
男は暫く暴れていたが、隆弘がさらに力を込めると脱力して動かなくなった。白目を剥いている。
その場に放置して別の人間に見つかるとマズい。隆弘が周囲を見渡した。すぐ近くに部屋があるのを発見し、気絶した男をそこに放りこむ。
重い音がして気絶した男が床に転がった。脱力した身体をさらに奥へと蹴り飛ばし、隆弘は部屋の扉を閉める。
男が解錠した扉の向うには、階段があった。ゆるやかに下へ延びている。足元にうっすらと明かりがついていた。
隆弘はポケットからタバコを取りだし、火を付ける。
「こりゃあ、いかにもって感じだな……」
呟いて煙を少し吐き出すと、ジーンズのウエストに奪った銃が固定されているのを確認した。傷の様子も観察する。身体が充分動くと判断を下した彼は、後ろ手で扉を閉めたあと勢いよく階段を駆け下りていった。
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