第5話 「彼氏作る気になったら教えて! 貢ぐから!」

 苦笑するリリアンに、車の追跡を諦めた隆弘が声をかける。


「怪我はねぇのか」


 リリアンは両手をややオーバーに広げてみせた。


「このとおり」


「さっきの拳銃は」


「あれモデルガンだったよ」


「そうか。考えてみりゃ当然だな」


「どうせ調子ぶっこいた観光客だろうしね」


 リリアンが投げ捨てたモデルガンを見る。精巧な作りは本物と見分けが付かない。


「ありがとう。助けてくれて」


「かまわねぇさ。お前も昨日、助けてくれたからな」


 隆弘がズボンのポケットからタバコをとりだし、ジッポライターで火をつける。虎と桜の描かれた蒔絵が目を引いた。

 ズボンのポケットはそれ自体がネコの顔に見えるようデザインされている。ボタンで表現されたつぶらな瞳がリリアンをじっと見つめていた。パーカーにも大きくネコが印刷されていて、口をあけたマヌケ面のネコがリリアンを見ていた。

 服自体は可愛らしいのだが、いかんせん着る人間が195cmの高身長だ。鍛えられた体格のため恐ろしいほど似合っていない。昨日は暗くてよく見えなかったが、もしやナイトクラブにも似たような格好できたのかと思うと頬が引きつった。


――うわぁ、残念なイケメンだぁ。


 目の前の生き物をこれほど的確に表現できる言葉はほかにないだろう。

 西野隆弘はタバコの煙を大きく吸い込んで吐き出した。


「ジャッキーを助けてくれてありがとうよ。イートン校からの知り合いなんだ」


 リリアンが咄嗟に


「なに? 元カレなの?」


 と問うと、隆弘は少しだけ動きを止めてからため息をつく。


「……モデルガンとはいえ銃で脅されたんだ。怖かったんだな」


 勝手に混乱しているのだと納得されてしまった。仕方がないので女は口を尖らせて腕を組む。


「ナイトクラブのことは気にしないでよ。だいたい私が助けたわけじゃない。救命措置はドリーと一緒にやったしそのあとの処置はちゃんとお医者さんがやったんじゃん」


――っていうかおまえらイートン校出身かよ。めっちゃエリートじゃん。


 隆弘が口の片端を歪めた。


「アンタが動いてくれたお陰だぜ。ずいぶん手際が良かったしな。さすが成績優秀者スコラーってとこか。リリアン・マクニール」


 リリアンはモデルガンから金物屋の看板に目線を移した。


「私のこと知ってるの?」


「バルボ教授の事件、第一発見者はアンタだろ。それに入学当初から美貌の秀才って噂になってるぜ。絶対なびかない高嶺の花、オリオルの白百合ってな」


「なにその厨二的ネーミングセンス。悪魔討伐組織の紅一点みたいだね」


「有名人ってこったろ」


「あんたほどじゃないよ。『ハウス』の色男ロメオ


「ああ、それはしょうがねぇな。俺ときたら神に愛されすぎて近々召されるんじゃねぇのかと自分でも不安なくらいだ」


「自分でいうんだ」


――うわぁ、残念なイケメンだぁ。


 瞬きもせず言い切る西野隆弘に、リリアンは彼のファッションを目の当たりにしたときと同じ言葉を思い浮かべた。

 金物屋の看板を凝視するリリアンに隆弘が無理やり視線をあわせてくる。


「それにしても、噂通りのイイ女だな」


「ありがとう」


 リリアンは今度、隆弘のシャツに視線を移す。黒いネコの顔にうっすらと筋肉が浮き上がっていた。男がタバコの煙を吐き出す。


「俺の女にならねぇか?」


 リリアンは笑った。サイズがあっていないのか、彼の来ているシャツは身体のラインが良く見える。良い体格がネコの顔のせいで台無しだ。


「ありがとー! 西野がホモだったら即決で貢いでたんだけどねー!」


「冗談で言ってるんじゃねぇんだぜ?」


「そうなの? 西野だったら私じゃなくてもよりどりみどりじゃん」


 突然女の顎が掴まれ、無理やり上を向かされた。西野隆弘の顔が間近にある。切れ長の目がまっすぐにリリアンを見据えていた。雨期になると水没する森というのをテレビで見たことがあったが、彼の目はその水没した森を思わせる。


「喋るときは人の目ぇ見て話せよ」


 まつげが長い。緑色の瞳にリリアンの顔が映っていた。みっともないくらい狼狽しているのがわかる。


「いや、あの……西野」


 男の手に少し力がこもる。そらそうとした視線を力業で縫い止められた。


「隆弘だ。名前で呼べ」


「ほぼ初対面でかなり強引に距離つめてくるね」


「このくらいなら俺は顔パスで許されるからな」


「どっからくるのその自信」


「全身から溢れ出てるだろうが」


――うわぁ、残念なイケメンだぁ。


 女が本日三度目の言葉を脳裏に思い浮かべた。極力コバルトグリーンを視界にいれないよう努力しつつ、ニッコリと笑みを浮かべてみせる。


「なんで私に声かけたのか、理由きいていい?」


 隆弘は彼女の顎から手を離さず、口の片端だけをクッとあげて挑発的な笑みを浮かべた。


「こわれないオモチャが欲しい」


 女が即座に隆弘から離れようと手足をバタつかせる。


「はいアウトー! アウトだよこれぇ! 私そんなに頑丈に見えますかー! 告白してきた子にそれ言ってみなよ! ある程度ふるいにかけられるよ!」


 しかし彼女がどんなに必死に暴れても隆弘の手はビクともしなかった。男の顔がリリアンの至近距離に固定されている。


「あいつらダメだ。騒ぐばっかでなんもありゃしねぇ。すぐ飽きちまうぜ」


「うっわぁー! 完っ璧にアウトですわー! 遠慮しますぅうっ!」


 隆弘の手がリリアンから離れた。


「すぐに気が変わるぜ」


 彼女は3歩後ずさりして男から距離を取る。


「どっからくるのその自信!?」


「だから全身から溢れ出てるだろうが」


 いくらリリアンが声を荒げても、隆弘のなかでは決定事項のようだ。彼はタバコの煙を吐き出して灰を携帯灰皿に押し込める。


「今回の件は一応警察に言ったほうが良いと思うが、アンタの自由だぜ。どうする?」


「いきなりマトモなこと言い出すねこの暴君は」


「なんだ、口説いてほしいならそう言えよ」


「ちがいますー! 勘違いですー! それと警察にはいきませんー!」


「いいのか? また絡まれるかもしれねぇぜ」


「モデルガンで脅されただけだし、これからは大通り歩くようにすればああいうのには絡まれないでしょ」


 警察に言って事情を話せばネズミのことまでバレてしまうかもしれない。警察とはいえこの件に関してはまったく信用できない。できれば内密に済ませたかった。この程度なら、調子に乗った観光客に絡まれてしまったと言って通るだろう。

 隆弘が猫の顔を模しているポケットに手をつっこんだ。体勢だけみればすばらしいシルエットなのだが、デザインがデザインなのでまぬけに見える。


「そうか」


「うん。だいたいさっき警察から帰ってきたばっかりなんだよね。また行くのめんどくさい」


 男が喉の奥でククッ、と笑った。


「俺も今警察から帰るところだぜ。多分同じ理由でな。家まで送ってってやるよ」


「大丈夫。こっから大通りだし」


「よく聞こえねぇな」


 隆弘の腕がリリアンの手を掴み、大通りにむかって歩き出す。女は声を荒げた。


「私に拒否権ないんだ!?」


「この俺直々の提案だ。ありがたく甘受しろ」


「聞いてよ! いいよ、西野だって家に帰る途中なんでしょ!」


「隆弘だ。家がお前ン家のはす向かいなんだよ」


「……まじか」


「ああ」


「全然、気づかなかったわー……」


 これでリリアンには彼の提案を断る理由がなくなってしまった。男はリリアンの思考に気づいたのか、笑みを浮かべて目だけでリリアンを見る。その横顔が勝ち誇ったように見えて、彼女は唇を噛み彼の笑みから顔を背けた。

 隆弘が歌うように言う。


「だから、その気になったらいつでも駆け込んできてくれてかまわねぇぜ。お前なら歓迎してやるよ」


 リリアンが口を尖らせて答えた。


「彼氏作る気になったら教えて! 貢ぐから!」


 直球の断り文句を言われたのにも関わらず隆弘は上機嫌だ。


「すぐに気が変わるぜ」


 それだけ言うとまたリリアンの手を引いて歩きだしたのだった。

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