第8話 「話がややこしくなるから黙ってくれる!?」
リリアンが警察に連絡を入れる。聞かれた質問に答えると、警官を派遣するから待っているようにと言われた。警察が現場に到着したのは5分後。予想以上に早い登場だ。ドリーが驚いた顔をする。
「早いですね」
2人組の官憲が帽子を被り直して答えた。
「たまたま近くにいたもので。これから応援もかけつけますよ」
ひとりが手帳を取りだし、ドリーとリリアンに向き直る。
「早速ですが、犯人に遭遇した状況を教えて頂けますか」
リリアンは男がペンを動かしているさまを凝視し、答えた。
「家に帰ったら鍵が開いていて、不審に思ったので西野と一緒に中を確認していたら、私の部屋にジャッキー・ボーモントがいました」
「その時、彼に遭遇したのは貴方だけですか?」
「西野は1階を見てくれていたので、私が2階に行ったんです。すぐかけつけてくれましたけど」
警官が隆弘に向き直った。
「で、2階にかけつけた貴方が犯人に発砲されたんですね」
壁によりかかって腕を組んでいた隆弘が
「ああ」
と頷いた。
「犯人に恨みを買うようなことがあったんですか?」
隆弘がポケットからタバコを取りだし、火を付ける。それから煙を吐きだした。
「あの野郎リリアンに御執心みたいだったし、俺がリリアンの傍にいたのが気にくわなかったんじゃねぇのか。そうじゃなくてもことごとく俺に敵わねぇから随分妬んでたみてぇなこといってたしな。天才の辛いところだぜ」
制服の男がパチパチと二度瞬きをした。リリアンは無表情で男に言う。
「気にしないで下さい。なんかいつもこうみたいなんで」
「はあ」
警官が胡乱げな目つきで隆弘を見た。それでも男は眉一つ動かさずタバコを楽しんでいる。
巡査があらためてリリアンに向き直った。
「帰宅されたのはだいたい何時ごろでしょうか?」
「1時すぎです」
「通報通り、犯人は東側に向って走っていったということでよろしいですか?」
「はい。窓から飛び降りて、庭をつっきって走っていったので、間違いないです。橋もそっちにあるから」
「現在何人か犯人の捜索にあたっています。ご安心下さい」
「ありがとうございます」
「ほかになにかお気づきの点などは?」
リリアンは男の持つ手帳を見た。横に立っていたドリーが慎重に口を開く。
「……『薬のサンプルを持ってきてくれれば安全を保証する』って、最後に言っていました」
「薬のサンプル? 心当たりは?」
ドリーは首を横に振る。
「いいえ。私もリリアンも薬学をとっているから、もしかしたらなにかと勘違いしているのかもしれないけど……」
警官がリリアンに向き直った。
「アナタは?」
リリアンは相変わらず男の腕を凝視しながら答える。
「……いいえ」
「確か、君はバルボ教授の事件でも第一発見者だったね?」
「そうですけど、なにか」
「ジャッキー・ボーモントの救命処置も君がやったと聞いてるよ」
「たしかに私とドリーが対応しましたけど、重要なことは救急隊の方に任せました」
「以前から犯人と面識があったのでは?」
リリアンが眉を顰めた。
「ナイトクラブの時が初めてです。あの、どういう意味ですか?」
警官は帽子を目深に被りなおす。
「拳銃まで持ち出すからには、衝動的な犯行とは考えにくいですからね。ご本人に自覚はなくても、きっかけがあったかもしれませんね……学生が小遣い稼ぎにドラッグを作って売りさばくなんてのもありえない話じゃない」
リリアンが眉をひそめ、隆弘は巡査を睨む。ドリーは不快感をあらわにして叫んだ。
「もしかしてリリアンを疑ってるんですか!? ナイトクラブでだって一番最初にジャッキー・ボーモントを助けようとしたのはリリアンなんですよ! 今日こんなに危ない目にあって、教授のことだって一番ショックを受けてるのはリリアンなのに!」
「いえ、そういうわけでは」
「さっきのは疑ってるように聞こえましたよ! だいたい、病院からジャッキー・ボーモントが逃げたのは警察の失態でしょ!? だから今日町に警官が多かったんじゃない! 自分たちの失態を棚にあげてリリアンを疑うなんて冗談じゃないわ!」
ドリーが警官につかみかからんばかりの勢いで詰め寄る。リリアンは慌てて彼女の腕を掴み
「ドリー、落ち着いて」
と宥めた。
官憲が携帯電話を取り出す。
「もしもし。はい、わかりました」
短い応答のあと、彼は何事もなかったかのようにリリアンとドリーに話しかける。
「警部が到着したようです。先程と重複することもあるかと思いますが、彼の質問に答えて頂いてよろしいですか?」
リリアンが頷き、ドリーは不服そうな顔で顔を背けた。隆弘が1階へ下りていく。リリアンが玄関をあけて新しい人間が家に入るのを許可した。
彼女たちの前に現れたのは茶色い髪をした40代くらいの男と、彼よりいくらか若い数人の警察官だった。婦警も1人いる。茶髪のくたびれた男がリリアンとドリーにほほえみかける。
「はじめまして。警部のアーマン・ニコルです。このたびは大変でしたね。犯人はすぐに捕まりますから安心してください」
さきほどの巡査たちよりよほど優しげだ。今まで不機嫌そうだったドリーも笑みを浮かべる。
「……ありがとうございます」
リリアンは男の着ているトレンチコートを見ていた。第二ボタンが取れかかっている。
隆弘がポケットに手を突っ込んだまま警部に対して笑みを浮かべた。
「よう、おっさん。アンタが事件の担当か」
アーマンがああ、と声をあげる。
「隆弘……お前の名前を聞いたときは驚いたが、怪我はないのか?」
「ジャッキーの野郎、貧弱な腕で狙いが逸れたんだろ」
お互いに随分と気安い感じなので、どうやら知り合いらしい。アーマンが隆弘の肩を軽く叩いた。
「なによりだ。お前になにかあったら、俺が親父さんに顔向けできない」
「そんなに気ぃ張らなくてもいいと思うぜ」
「親はいつでも子供が心配なもんだ」
それから警部はリリアンとドリーに向き直る。
「すいませんね。彼の親と知り合いでして」
男が多少気恥ずかしげに咳払いをして家の中に入っていった。
「ご自宅の鍵を確認させていただきましたが、ピッキングの痕は認められませんでした。鍵の閉め忘れか、ジャッキー・ボーモントがなんらかの形で合い鍵を入手されたものと考えるべきでしょう。鍵のつけかえをオススメします」
リリアンはアーマンのトレンチコートを見て、裾に汚れがあることに気づいた。コーヒーだろうか。
「はい……」
「それと、なくなったものがないか確認していただきたいと思います。貴重品などはどちらに保管されていますか?」
警官がひとりずつドリーとリリアンにつき、リビングから確認していく。1階で紛失したものは見あたらず、2階にあがってドリーが部屋の貴重品を確認する。ふたりとも部屋が荒らされていたので少し時間がかかるだろう。リリアンは遠慮がちにアーマンを見た。
「あの、できれば女性の方に同行していただきたいんですが……」
リリアンの部屋はクローゼットも引き出しもすべて荒らされていて、下着も何枚か床に散らばっている状態だった。クスリがどうのと言っていたから可能性は低いが、ストーカーのような発言もしていたし、下着でも盗まれていると目覚めが悪い。
アーマンは彼女の言わんとしていることを察してくれた。
「ああ、気がきかなくて申し訳ない。そうですよね。今呼びますからお待ち下さい」
女性警察官を呼んだあと、アーマンがドリーを見る。
「すいません。今日は人手不足でして、リリアンさんの確認が終るまでお待ち頂けますか」
ドリーが首を横に振った
「貴重品はまとめてあるので、男性の方でもかまいません。すぐにすみますから」
30分ほどかかって、とられたものはないという結論にいきついた。
アーマンが報告を聞いて頷き、窓から庭を見る。
「今から庭を見せてもらってもよろしいですか? できれば犯人がどうやって逃げたか、詳細に教えて頂きたいのですが」
リリアンが頷く。
「わかりました」
ドリーが玄関のドアをあけてアーマンを庭に誘導した。隆弘が警部のすぐ後についてタバコの煙を吐き出す。
「ところでおっさん、ジャッキーは病院からどうやって逃げ出したんだ? 警察は見張ってたんだろ?」
「それを聞くなよ、隆弘」
「大通り歩いてる最中、やたらお巡りが多いと思ってたんだよ。大失態だな、おっさん」
「まあ……そういうことだ。ずいぶん機嫌が悪いようだな」
「そりゃ自分の女が危ない目にあったら小言の一つもいいたくなるぜ」
ドリーが驚いた顔をした。
「もしかしてリリアンのこと?」
リリアンはなるべく冷たい声で答えた。
「そんなもんになった覚えはないよ」
しかしドリーは聞いていないようだ。
「リリアン! いつのまに告白したの!?」
「ドリー、人の話聞こう。頼むから」
「俺が告ったんだぜ?」
ドリーが隆弘を見る。顔が微かに赤かった。
「えっ! だって、自分から告白したことがないって有名なのに!」
リリアンは口をへの字に曲げた。
「西野! 話がややこしくなるから黙っててくれる!?」
「隆弘だ」
「さっきので絶対名前呼びたくないって心の底から思っちゃったよ! 私断ったよね!?」
「どういうことリリアン! いままで彼氏とかできたことなかったのに! おめでとう!」
「ありがとう! だけど違うから、ドリーちょっと落ち着こうか!」
話が混乱していくさまを見てアーマンは何を思ったのか、リリアンの肩を軽く叩く。
「隆弘がすまないね。昔から人の話を聞かない子で……」
「そう思うならこの状況、なんとかしてもらえますかねぇ!?」
これは面倒クサイ、とリリアンは心の底から思った。思わずため息をついた女の肩に隆弘が手を置く。
「しかし、リリアンが鍵をなくしてるし、鍵を付け替えて念のため別の場所に移ったほうがいいだろうな」
「警察もそのつもりだ。ホテルを用意するつもりだが」
隆弘はタバコの煙を吐き出した。
「俺の家でいいんじゃねぇのか。俺以外誰もいねぇし部屋もある」
アーマンが片眉を跳ね上げる。
「隆弘、なにを言ってるんだ! 一般人を巻き込むわけにはいかない!」
「だがホテルは人の出入りが激しいし敷地も広い。見張るのには限度があると思うぜ。狭い借家の周りに3人くらいお巡りつけてたほうがラクでいいだろ。俺も今回のでジャッキーに目ぇつけられたかもしれねぇし、警護してくれると助かるんだが」
アーマンが小さく呻った。リリアンは首を傾げ、ドリーが笑みを浮かべる。
「なにが起こるか解らないし、隆弘さんも危険なら、一緒のほうがいいんじゃないかしら。リリアンも心配だし」
ドリーの顔はまだ少し赤かった。リリアンはもう一度
――めんどくさいことになったなぁ
とため息をつく。それから結局、ドリーとリリアンはひとまず隆弘の借家に間借するという案が採用された。彼女達は住み慣れた借家を、荷物をまとめて出ていくことになったのだった。
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