第15話 「もういっぺん言ってみろ!」

「リリアン!」


 パトカーの赤いランプが周囲を照らす中、ドリーがリリアンに抱きついた。


「無事でよかった! ごめんね、晩ご飯の材料足りなくて買い出しに行ってたの……ちゃんと家にいればこんなことには……」


 リリアンは友人の背中に手を回し、何度も首を横に振る。


「違うよ! ドリーが家にいて、ひとりではちあわせてたら大変だった……! なんにもなくてよかったよ!」


 ジャッキー・ボーモントは救急車がきた時点で死亡が確認された。今は身体にブルーシートをかけられ、リビングに横たわっている。彼の横には隆弘が力なく座り込んでいた。腕や腹にジャッキーの吐き出した血がかかっている。

 死因の特定はきちんとすんでいないが、状況からしてミックたちと同じだろうということだ。殴られたくらいであれほど吐血はしない。

 パトカーに乗ってやってきた茶髪の刑事が乱暴に頭を掻く。


「しかし、どうやってこの家のことを知って、どうやって入り込んだのやら。見張りはつけていたはずなんだが……」


 リリアンが俯いた。死んだ犯人が地中を自由に動き回れると言っても信じて貰えないだろう。ヘタをすれば病院送りだ。隆弘もそれが解っているのか、ブルーシートの前に座り込んで沈黙を守っている。疲れた様子でポケットからタバコを取りだし、火を付けていた。

 警官のひとりがリリアンの肩に手を置く。


「すいません、状況を詳しく聞かせて頂いても?」


「あ、はい」


 警官がメモ帳を取り出したので、リリアンは警官の腕を見た。頭上から男の声が降ってくる。


「家についたのが10時20分ころで、リビングで犯人に遭遇したということでいいのかな」


「はい」


「ジャッキー・ボーモントは君たちになにか言ったかい?」


 女は俯いたまま眉を顰めた。


「……私と西野が一緒にいるのが、気にくわないみたいでした」


 座り込んでいた隆弘がタバコの煙を吐き出し、彼女の言葉に付け加える。


「リリアンには手を出すな、だとよ」


 警官は1度頷いて、手帳になにか書き付ける。


「この前は薬のサンプルを持ってくるように言われたそうだが、今回は?」


「持ってこないのだったらもういい、と言われました」


 隆弘が鼻を鳴らした。


「自分に逆らったのが随分気に入らなかったらしいぜ。何様のつもりだか」


 リリアンは警官の手許を見つめながら小さく呟く。


「……西野にだけはいわれたくないとおもう」


「なんかいったかリリアン」


「ナンデモアリマセン」


 巡査が小さくため息をついた。それから少し強めの口調でリリアンに問う。


「『薬のサンプル』には本当に心当たりがないんだね?」


「ありません」


「それじゃあ君は、勘違いで殺されそうになったと?」


 今まで黙って話を聞いていたドリーが眉をひそめた。


「まだリリアンを疑ってるんですか? 今日殺されかけたっていうのに!」


「ここまで執拗に狙われるとなると疑わざるをえないだろう!」


 隆弘がタバコを咥えたまま警官を見ている。リリアンは俯いたまま官憲の言葉を聞いていた。


「ジャッキー・ボーモントが薬物中毒で倒れたときも、本当は薬の取引をする予定だったんじゃないのか? 医学生である君は、小遣い稼ぎにドラッグを作り売りさばいていたんだろう! バルボ教授の事件の第一発見者も君だったじゃないか!」


 教授の名前を出されたリリアンが咄嗟に顔をあげ、相手を睨みつける。


「わっ、私がルーベンを殺したっていうんですか!?」


 隆弘の眉がピクリと跳ね上がった。警官は尚も声を荒げる。


「ドラッグの取引が教授にバレて殺害し、取引の金額かなにかで仲間割れを起こしたと考えれば自然だ! ナイトクラブで初めて会ったという君の発言が正しければ、拳銃まで用意して脅しにくるというのは不自然だし、そもそも病院に緊急搬送されたジャッキー・ボーモントに拳銃を用意する時間的余裕はない!」


「私っ……違いますっ!」


「どうだかわかったものじゃないね!」


 リリアンの叫びは目の前の警官には届いていないようだ。下唇を噛み締め再び俯いた彼女の耳に冷たい声が降ってくる。


「そもそもジャッキー・ボーモントとのトラブルも、君が教授を殺したことが原因である可能性だってある!」


 壁側のすみでブチリと荒々しい音がした。リリアンが何事かと振り返る。隆弘が煙草を噛みきっていた。彼は千切れた煙草の破片を踏みつけて消化すると、口の中に残った残骸もツバごと吐き出して警官に歩み寄る。


「なんだとテメェ……もういっぺん言ってみろ!」


 地を這うような低い声だった。地響きのように人の身体を揺さぶる声だ。人殺しのような表情を浮かべた隆弘は、大股で警官に詰め寄り、拳を思いきり振り抜く。


「ぐっ!?」


 警官がうめき声をあげて床に倒れる。

 アーマンが叫んだ。


「たっ、隆弘! なにをやっている!」


 だが隆弘は男の悲鳴を無視した。立ち上がった警官の襟首を乱暴に掴み、哀れな被害者の上半身を無理やり起こす。


「ふざけんなよてめぇこのクソポリ公が! こんな脅えてる奴によくそんなことが言えるな! バルボ教授を殺したのがリリアンだと!? そういうことは証拠があがってからいうもんだぜ!」


 隆弘が大きく振り上げた腕をアーマンが掴んだ。


「やめろ隆弘っ! だれか手伝ってくれ!」


 アーマンがしがみついたことで動きの鈍った隆弘の腕にリリアンが飛びつく。


「通販で買ったホモ本読むまで死ねないのに!」


 男は怒りにまかせて2人を少し引きずった。肩で息をしたまま警官を殴る寸前で停止する。なんとか2度殴られることを回避した男は最初こそ隆弘に脅えていたようだったが、すぐさま顔に怒りを滲ませて声を荒げる。


「なっ、なんだお前はいきなり! 公務執行妨害だぞ! 突然殴りかかるなんて、こっちは仕事してるってのに非常識にもほどがある!」


 取り押さえられた隆弘が巡査を睨みつけて呻った。


「うるせぇ! 殴ってねぇ!」


 男にしがみついたリリアンが悲鳴をあげる。


「いや、今思いっきり殴ったよね!?」


 反対側の腕を押さえるアーマンも声をあげた。


「なんでお前はそうやってすぐバレるウソをつくんだ!?」


「こんなもん殴ったうちにはいらねぇ!」


 ぶら下がった腕が動いたので、リリアンは慌てて足に力をいれる。


「西野、恐ろしい子!」


「隆弘だっ!」


 西野隆弘に睨みつけられた警官は一度ビクリと肩を振わせたが、またすぐ負けじとギリシャ彫刻をにらみ返した。


「学生だからって調子にのるなよ! 留置所で頭を冷やしてもらうからな!」


 未だ隆弘の腕を掴んでいるアーマンが、警官に向って怒鳴る。


「やめないか!」


「しかしこいつは!」


 青年の腕を離したアーマンが警官に歩み寄り、肩を掴んだ。言い聞かせるようにゆっくりと言葉を吐き出す。


「我々はすべてを疑うのが仕事だが、お前のは疑っているのではなく決めつけている態度だ。自分の仕事がデリケートなことを自覚しろ。市民を傷つけるような対応をしてはいけない」


 巡査が苛立ったように顔をそらした。アーマンはひとつ息を吐き出すと、コートの襟を直してリリアンとドリーに向き直る。隆弘はアーマンの言葉を聞いて思い直したらしく、静かにたたずまいを直してタバコに火を付けた。

 アーマンのコートのとれかけた第二ボタンを凝視するリリアンは、頭上から降ってくる刑事の言葉をぼんやりと聞く。


「このたびは危険な目にあわせてしまい、大変申し訳ない。このうえさらにご不便をかけるようで忍びないのですが、警察でホテルを用意しますので、みなさん事態が落ち着くまでそこを使って頂けませんか」


 ドリーが心配そうな顔でリリアンを見る。隆弘は壁にもたれかかってタバコを吸っているが、彼もリリアンを見ているようだ。

 アーマンが言葉を続ける。


「警備には万全をつくします。事件が落ち着くまでは出かける際も目立たないようにですが、警護のものをつけましょう。詳しい事情は明日、こちらから出向いてお話を聞かせて頂きます」


 リリアンは他人の家を借りておいて不審者に侵入されてしまったのだ。当然拒否権などない。隆弘もドリーも事件の関係者だからこの後危険がないとは断言できない。この提案が彼らの身の安全を保証するうえで一番有効な策だと、誰もが嫌と言うほど理解していた。

 俯いたままのリリアンがゆっくりと頷く。


「……わかりました」


 ドリーもリリアンと同じように頷いた。


「宜しくお願いします」


 隆弘が壁から背中を離し、2階の自室へ向かっていく。

 彼を巻き込んだのはリリアンで、男が住み慣れた家から出ていく原因もリリアンだ。

 彼女はしばらく、罪悪感で顔をあげることができなかった。

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