第16話 「話す時は人の目を見ろ」

 ホテルについてから数十分後。リリアンは最小限の荷物を部屋の隅においたままベッドに座り込んでいた。

 動く気にならない。荷ほどきするのも億劫だった。

 明日になったら1度借家に行かなければいけない。今日は外に出ないようにとアーマンに強く言われていた。

 まだ脳裏から赤い血が離れない。痙攣する身体と充血する目。ジャッキー・ボーモントが死んだのはリリアンのせいだ。ナイトクラブで3人が死んだのもリリアンのせいだ。

 女の視界が歪み、頬を涙が伝う。ベッドに座り込んだまま両手で手を覆った。


――データも現物も、すぐに処分しておけばこんなことにはならなかったのに!


 身体が震えてくる。自分の判断が4人の命を奪っているのだ。図書館を出た後リリアンの後をつけていたのはジャッキーの仲間だろう。だとすれば、この後リリアンも命の危険にさらされることになる。隆弘も一緒にいたから彼もまた巻き込まれるかも知れない。

 ドリーは大丈夫だろうか?

 リリアンと一緒に住んでいるし、同じ医学生だし、なにか知っていると思われる可能性は高い。

 警察に言うとしても、ネズミが空を飛ぶなんてことをどうやって信じてもらうかが問題だ。麻薬と偽れば説明できないことが多すぎる。

 正直に警察に話して、国がそれを悪用しないとどうして断言できるだろう。

 胃袋が収縮して、喉元に吐き気が押し寄せてくる。体調を整えるためベッドに横たわった。身体を動かすと本当に吐きそうだ。

 しばらく横たわって深呼吸していると、ドアからノックの音がする。


「リリアン、いるか」


 西野隆弘だ。

 横になって少し落ち着いたリリアンはノロノロとベッドから起き上がった。


「いるよ」


「はいっていいか」


「ちょっと待ってね」


 女がドアをあけると、見事な体躯の男が立っていた。咥えていたタバコを携帯灰皿に押し込んで部屋の中に入ってくる。


「ジャマするぜ」


「どうしたの?」


「お前に聞きたいことがある」


 隆弘がリリアンを睨むように見たので、彼女は咄嗟に目を逸らす。絨毯の模様を見た。ワインレッドに黄色い糸で刺繍が施されている。

 しかしすぐ男の大きな手が伸びてきて女の顎を掴んだ。無理やり上を向かされる。


「話すときは人の目を見ろ」


 長いまつげに覆われた目がリリアンを見ている。彼女は咄嗟に男の喉元を見た。


「聞きたいことって、なんなの」


「ジャッキーの言ってた薬ってのは、なんのことだ」


「……あんたまで私を疑うの?」


 自分でも嫌味な言い回しだと思う。隆弘は不機嫌そうな顔をした。


「人が地面にもぐるような薬がそこらへんのドラッグなわけねぇだろ」


「教授殺しは? 私がやったと思う?」


「そんなこと話に来たんじゃねぇんだよ俺は」


 男の目が今まで見たことのない剣呑な輝きを放っている。睨まれただけで殺されそうだ。リリアンは大きく息を飲む。彼女が一歩下がると、隆弘もその分距離をつめてきた。ベッドの横までじりじりと後退した女は、さらに後退しようとしてマットレスに尻もちをついてしまう。

 ベッドのスプリングが悲鳴を上げた。

 隆弘の右手がリリアンの肩に置かれ、そのまま彼女の身体を押す。女は大した抵抗もできず上半身をマットレスに沈めた。

 部屋の照明が男の顔に濃い影を落としている。


「イートンじゃ、俺に張り合えるのはジャッキーだけだった。今じゃこわれちまったが、骨のある奴だったんだ」


 隆弘が低く呻るような声を出す。リリアンはただ茫然と彼の声を聞いているしかなかった。


「ずいぶんねじ曲がっちゃいるが、あいつには、まだここまでこられる可能性があったんだ」


 男が歯を食いしばる。リリアンの肩を掴む右腕に力が入った。彼女の身体に鈍い痛みが走る。

 隆弘が声を荒げた。


「あいつに何があった! あいつは何に手を出してあんなんになっちまったんだ!」


 男の左手が女の顎を強い力で掴んだ。

 リリアンの目の前に隆弘の顔がある。男の息が彼女の頬に触れ、肌をくすぐった。


「答えろ! 場合によっちゃ、いくらお前でも容赦しねぇぞ!」


 隆弘が至近距離でリリアンを睨みつけてくる。目を逸らそうと思っても顎を固定されているせいでうまくいかなかった。


「……なにを話しても……信じてくれるの?」


「あんな変な穴掘り見せられたあとじゃ、大抵のことは驚かねぇさ」


「……そう」


 女が目を伏せる。隆弘は相変わらず険しい目つきで彼女を見ていた。

 リリアンは1度深呼吸をしてから2ヶ月前のことを思い出す。

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