第50話
マスターが私の背後で告げる。
「いいかい? 左手のブリッジは動かさないように。
右手は振り子のつもりで、肘から先だけ動かすんだ」
私は真っ赤になりながらうなずいた。
『まずは練習しよう』と、マスターが手取り足取りで教えてくれる。
密着するから、どうしても意識しちゃうんだけど?!
マスターが私に手を添えながらキューを動かすと、綺麗にボールが真っ直ぐ転がっていく。
反対側に当たったボールは、まっすぐ手元に戻ってきて、キューの先端に当たった。
「これができれば初心者卒業だよ。
少し練習してごらん」
マスターが私から数歩だけ離れた。
私はマスターの手の感触を思い出しながら、ボールの真ん中に向かってキューを付き入れる。
「……あれ?」
ボールは明後日の方向に転がっていき、ポンポンと壁にバウンドしながら転がっていった。
「ハハハ、ちゃんと真ん中を狙って。
右手がぶれてるよ。
慣れるまで、何回かやろうか」
マスターがボールを拾い上げ、私のキューの先に置いた。
私はうなずいて、慎重にボールを見つめる。
ふと横を見ると、
ビリヤード場で大声はマナー違反らしい。
なので小声で二人が口喧嘩をしているのが聞こえる。
「なんで私が孝弘さんと組むのよ」
「秀一さんが
それとも俺じゃ
「だから名前を呼び捨てるな!」
「騒ぐなよ、マナー違反だぞ」
ぐっ、と黙り込む
孝弘さんがニッと笑って告げる。
「お前、ラシャを破ったら弁償なんだぞ?
バイト代が吹き飛ぶから気を付けておけ」
「ラシャって何よ!」
「このテーブルを覆ってる布のことだ。
全面張替えになるから、高くつくぞ」
へぇ、そうなのか。私も気を付けておこう。
私は自分の手元のボールに意識を戻し、慎重にキューを突き入れた。
****
店内に他の客は見当たらず、静かなジャズだけが流れていた。
店員は黙ってキューを磨いている。
「ねぇ秀一さん、この店ってこれで儲かるの?」
秀一がフッと笑いながら応える。
「ここはビリヤードバーだからな。
夜にならんと常連が来ない。
昼間は穴場の遊び場なんだよ」
桜が不満げに唇を尖らせる。
「なんで僕が
納得できないんだけど!」
「少しは
ついでに
「あー、やっぱり縁結びの神様なんだね。
今度は
秀一もボールに向かってキューを構えながら応える。
「交際させようとまでは思わんが、お互いが意固地になってるのはわかる。
ああいうのは、解きほぐしてやれば自然とそれなりの関係になるもんだ」
「いいなぁ、青春してて。
ねぇ秀一さん、私にはその御利益ってないの?」
「お前の相手か?
良縁に恵まれるようにしてやりたいが、お前はまだ先だろう。
そのうちお前にも、良いめぐり逢いがある。
それまで自分磨きを怠るなよ」
桜がクスクスと笑って告げる。
「さすが女子高生、青春したい欲求だけはあるんだね」
「当たり前でしょ?!」
秀一はクスリと笑うと、並べたボールに向かって白球を打ち出した。
カキンと言う音と共に、九つの球が激しくビリヤード台の上を走り回る。
ナインボールがポケットに吸い込まれ、
****
二時間のビリヤードを終えて、私たちはカラオケ店に向かった。
歩きながら私はつぶやく。
「ビリヤードって、難しいんだねぇ」
結局、一度も真っ直ぐボールを進ませられなかった。
マスターは綺麗にボールを操っていたから、たぶん遊んだことがあるのだろう。
「ねぇマスター、どこでビリヤードなんて覚えたの?」
「僕も暇だったからね。
これでも結構、街を散策しているんだよ。
普段は人に感じられない存在だから、遊び放題だ」
――ずるいなぁ?! それって!
「お金をかけずに練習してたってこと?!」
秀一さんが楽し気に笑う。
「神の役得だな。
代わりに、きちんと店に幸運が訪れるようにはしていく。
完全に代金を踏み倒してる訳じゃない」
「暇だったって、お店はどうしてたの?」
「
お客さんに分ける力がたまるまで、それくらいかかったんだ。
そっか、私が居るから今は毎日お店を開けられるのか。
お客さんが喜んでるのも、それが理由なのかな。
桜ちゃんが駆け出しながら、大きな声で告げる。
「ほらほら、もうすぐ予約の時間だよ!
時間がもったいないから早く入ろうよ!」
私は
****
カウンターには綺麗な金髪の外国人店員さんが待ち受けていた。
桜ちゃんが店員さんに告げる。
「やっほー
店員さん――恵さんがニコリと微笑んだ。
「できてるわよ。フリータイム、フリードリンクね。
先にお会計を済ませてもらえる?」
みんなで言われた金額をカウンターに並べていき、恵さんがそれを数えた。
レジで会計をすると、カウンターの下からマイクが入ったかごを取り出す。
「部屋は突き当りの大部屋よ。
持ち込み自由だから、何か欲しかったら自由に買い出ししてね」
「ありがとー!」
桜ちゃんがかごを抱えて奥の部屋に駆けていく。
私たちもそのあとを追いながら、周囲から聞こえてくる若い人の歌声に耳を傾ける。
「うわぁ、混んでますね、このお店」
「だってフリータイムがあの値段で、持ち込み自由なんだよ?
そりゃー学生が入りびたるでしょー」
見たところ、ほとんどの部屋が埋まっていた。
私たちは奥の大部屋に入ると、それぞれの席に座った。
桜ちゃんがスマホを操作しながら告げる。
「僕が一番ね!」
さっそく曲が流れだし、桜ちゃんが立ち上がった。
どこかで聞いたこと有るような?
「ねぇこれ、何の曲だっけ?」
「最近、動画サイトで人気の曲よ。
あちこちで聞くから、
――なんでそんな曲を、桜ちゃんが知ってるの?!
気持ちよさそうに歌いだした桜ちゃんは、普通の女子高生みたいだった。
これで神様か……。
孝弘さんが立ち上がって、私たちに告げる。
「適当に食い物を買ってくるよ。希望はあるか?」
「唐揚げ!」
「なんでもいいよ」
「じゃあポテト!」
みんなの声を聞いてうなずいた孝弘さんは、部屋を出ていった。
「どこ行くの? さっき曲を入れてなかった?」
「孝弘さん一人にお使いなんてさせられないでしょ。
手伝ってくるだけよ」
私が手を放すと、
「……私も手伝った方がいいかなぁ?」
秀一さんがフッと笑って告げる。
「買い出しなんぞ、二人いれば充分だ。
それより
「え?! もう?!」
どうやら曲順が入れ替わったみたいだ。
私は慌ててマイクを握り、画面を見つめて声を出した。
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