第4話

 スタッフルームで幽霊の影におびえながら、手早く着替えていく。


 幽霊にも驚いたけど、『マスターが神様』って、どういうこと?


 でも、『ここには悪いものは近寄ってこない』って言ってたし。


 安心しても、いいのかなぁ?


 着替え終わった私は、急いで孤独なスタッフルームから飛び出した。



 カウンターでは、スラックスを脱いだマスターが着流し姿で待っていた。


「そんなに怖かったかい?

 大丈夫、僕が一緒にいる限り、君は安全だよ。

 外も暗いし、駅まで送ろう」


 私はおずおずとマスターに告げる。


「あの……『マスターが神様』って、どういう意味ですか」


 マスターが楽しそうに私を見つめた。


「ん? そのままの意味だよ。

 僕はこの土地に住む竜神――竜の神だ。

 ずっと昔から、この海を守ってきた存在さ。

 昔は人間たちから敬われていたけれど、最近では僕のことも忘れられてしまったね」


 そんなことを言われも、目の前のマスターは人間にしか見えないし……。


 マスターが軽妙に笑い声をあげる。


「ハハハ! じゃあ外に出ようか。

 僕が神様だという証拠を見せてあげよう」


 マスターに背中を押されながら、喫茶店の扉を開ける――そこは、おやしろの境内だった。


「――?!」


 あわてて後ろを振り返ると、微笑むマスターと、寂れて朽ちかけた神社が目に飛び込んできた。


「マスター?! これは、どういうことですか?!」


「今、見ている通りだよ?

 あの喫茶店は幻の中にある。

 存在するけど実在はしない、それが『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』だ。

 君は僕が作り出した『喫茶店』という空間の中に居ただけだよ」


「作り出したって……そんな」


「ほらほら、ここは暗いだろう?

 立ち止まらないで、足を動かそう。

 足元には、気を付けてね」



 通りに出て振り返っても、やっぱり喫茶店じゃなく、神社が建っていた。


 キツネにつままれた気分って、こういうのを言うのかな。


 マスターが私の背中を押して先を急かす。


「ほらほら、のんびりしてると遅くなる。

 お母さんが心配しているよ」



 私は夜道を歩きながら、マスターに尋ねてみる。


「あの……もしかして、最初に言ってた『お店を見つけられたから採用』ってのは……」


「そう、あの店は伊勢佐木いせざきさんのように素質のある人にしか見つけられないんだ。

 求人広告を見つけられる人は、もっと限られる。

 そして、うちのメニューを『美味しい』と感じられる人は、とても珍しいんだよ」


「じゃあ、幽霊のお客さんって、いっぱいくるんですか?」


「それほど多くは来ないよ。

 少なくとも、君がいるような時間にはね。

 昼間は『普通の人間』か、『普通じゃない存在』がやってくる」


 私は唾をごくりと飲み込んで尋ねる。


「その、『普通じゃない存在』ってなんですか?」


「妖怪とか、神様とかよばれる『もの』だね」


 私は眩暈を覚えて、思わず足がもつれてしまった。


 店長が素早く私の体を支えてくれる。


「――おっと危ない。大丈夫かい?」


「……私、あの店でやっていけるんでしょうか」


 店長は私の顔の近くで、ニコリと微笑んだ。


「大丈夫、君にしかできないことだよ。

 君はただ、普通に接客をしていればいいだけさ」


 こつり、こつりと足音が響いて行く。


 ほんとに、普通に接客してればいいだけなのかな。


 せっかく見つけたバイト先だけど、なんだかやっていく自信が――


「大丈夫、君はただ居るだけで、周りに明るい力を与えられる人だ。

 だからその力を、お客さんたちに分けてあげて欲しい」


 思わずマスターの顔を見る。


 そこには昼間と変わらない優しい微笑み。


 それを見てると、なぜだか安心できる気がした。


「……わかりました。

 やれるだけやってみます」


「うん、ぜひそうしてほしい」



 駅に辿り着き、改札の前でマスターに振り返る。


「ねぇマスター、私に嘘をついてるでしょ?」


「嘘? 何かついてたっけ?」


 私は自分の目を指さして微笑んだ。


「カラーコンタクト」


 マスターが恥ずかしそうに微笑んだ。


「ああ、それね。

 この目を隠すわけにもいかないし。

 あの場で君に全てを話しても、信じてもらえなかったから」


「もう嘘は言わないでくださいね!

 ――じゃあ、お疲れさまでした!」


 私は小走りで改札を抜け、ホームへ駆け上がった。





****


「ただいまー!」


 リビングからお母さんの声が聞こえる。


「遅かったわね、ご飯にする? それともお風呂?」


「お腹すいたー! ご飯食べる!」


「はいはい、ちょっと待っててね」


 私は急いで部屋に戻り、制服から部屋着に着替えていった。



 ご飯のあと、のんびりと湯船につかる。


 神様が経営する喫茶店か……。


 ちょっと不安だけど、あのマスターがついていてくれるなら、なんとかやっていける気がする。


 お客さんも色んな人が居そうだけど、普通に接客していればいいって話だったし。


 佐々木さんみたいな幽霊なら、たぶん大丈夫だと思うし。


 でも、『神様のお客さん』か……。


 失敗して怒られたら、祟られたりばちが当たったりするのかなぁ?


 そこは謝って許しもらうしかないか。



 私はたっぷり長湯を楽しんだあと、その日はぐっすりと眠ることができた。





****


 土曜日、お母さんを連れて『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へと向かう。


 そこには神社じゃなくて、きちんと喫茶店が私たちを待っていた。


 お母さんはマスターと打ち解けて、仲良く世間話なんかをしていた。


 私は隣でコーヒーを飲みながら、ケーキをつまんで幸せにひたっていた。


「――では、こちらにサインと捺印を」


 お母さんが保護者の欄を埋めていく。


 ポンとハンコが押されて、その瞬間に書類が淡く輝いた気がした。


 あわててマスターの顔を見ると、私に目配せをしながら口元に指を当てていた――お母さんには、見えないってことか。


 お母さんも笑顔でマスターに告げる。


「至らない娘ですが、よろしくお願いします」


「お母さん! それじゃあお嫁に行くみたいだよ!」


 三人で笑いあいながら、お母さんは席を立った。


「これからバイトしていくんでしょ?

 帰りはきちんと駅まで送ってもらいなさい」


「はーい、わかってまーす」


 お母さんは笑顔で手を振り、店を出ていった。



「……お母さん、何の疑いも持たなかったね」


「そりゃそうさ。

 仮にも神様の作った幻だからね。

 人間に見破ることなんてできないよ」


 今日からここが、私のバイト先かー!


 やるぞー!


 マスターが微笑んで私に告げる。


「しばらくお客は来ないだろうし、コーヒーの入れ方を教えてあげよう。

 これから少しずつ、覚えていくといいよ」



 私は土曜日一日、夜までマスターにコーヒーの入れ方を教わりながら過ごした。


 定時になるとマスターと一緒に着替えて、また夜道を歩いて行く。


 振り返ると、そこには神社じゃなくて喫茶店が見えていた。


「本当にあれは、幻なの?」


「そうだよ? 常連客は僕が居なくても、勝手に中で待つからね。

 彼らのために開けてあるんだ」


 ふーん、そんな人たちとも、いつか会うことがあるのかな。


 私は駅までマスターに見送られ、笑顔で改札を通過した。





****


 カランコロンとドアベルが鳴る。


 私はカウンター席から立ち上がり、お客さんの前に出る。


「――いらっしゃいませ!

 『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!」

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