第23話

 金曜日の午後。


 浜崎健二は、潮原しおはら商事の社長室で連絡に忙殺されていた。


 子会社である潮原しおはら保険の保有資産が、軒並み大きな下落を見せているのだ。


 先物市場も、危うい空気に包まれている。


 このままでは海運業にまで影響を及ぼすのが明らかだった。


 内線電話越しに健二が怒鳴り声を上げる。


「何としても早急に対処しろ!

 週明けにこれがどれだけの影響を及ぼすかわからん!

 ――は? 会長命令? 社長は私だぞ?!」


 電話越しの言葉を聞いて、激高した健二が受話器を電話に叩きつけるように内線を切った。


 苦虫を噛み潰したような表情の健二の前に、ニコニコと微笑む源三が姿を見せる。


「どうした健二、何を荒れている」


「――親父! 会長命令とはどういうことだ!

 なぜ『資産をホールドしろ』なんて命令を出した!

 このままでは大損害で、我が社の株価にまで影響が出てるんだぞ!」


「はっはっは、お前は本当に器が小さいな。

 この程度でうろたえるようでは、やはり我がグループを任せるのは難しいだろう。

 もう少し腰を据えて状況に対応することも覚えておけ」


 息子の勘が、健二の中で働いた。


「さてはこの騒動、親父の仕業なのか?」


 源三がニヤリと笑みを作る。


「さて? なんのことかな?

 儂はなんもしとらんし、こんな大規模な相場操作など、世界的な企業でも無理だろうよ」


 健二は源三の笑みを睨み付けながら思案した。


 今日は金曜日、このままでは大幅下落した相場が、週明けにさらに大きな下落を呼ぶのが明らかだ。


 先物相場の異様な高騰も、海運業に大打撃を与えかねない。


 今日中に打てる手は打ちたかったが、ほぼすべての経路が『会長命令』で寸断されていた。


 こうなると、健二にできることは静観することだけだ。


「……親父はグループが潰れても構わないのか」


「この企業が潰れようと、ここで育った人材が新しい企業を作るだけだ。

 浜崎家は凋落するだろうが、ただそれだけのことだ。違うか?

 それこそが資本主義の本質。生者必滅、諸行無常。

 ――お前が大好きな資本主義の本質だぞ? 何をうろたえている」


 ギシリ、と音がなるほど歯を噛み締める健二を、源三が楽しげに眺めた。


「少し時間が早いが、こうなっては業務どころではあるまい。

 儂と一緒に来い。

 車の中で、少し話をしようじゃないか」


 背中を見せる源三を睨み付けたあと、健二も秘書に「会長と出かけてくる。あとは任せた」と言い残し、ジャケットを羽織った。





****


 リムジンの後部座席で、源三と健二が並んで座っていた。


 緊急事態だというのに呼び出し音やメッセージ着信音すらないことに疑問を抱いた健二が、スマホの画面を凝視している。


 源三がそれを横目で見ながら笑みをこぼす。


「くはは、連絡がこないのがそんなに不思議か?」


「……これも親父の命令か」


「いいや? 各部門にはきちんと優秀な人材を配置してある。

 彼らには充分な裁量権も渡した。

 あとは彼らが儂の『現状を静観しろ』という指示にあわせ、適切に動いているだけだ。

 ――健二、お前は部下を信頼することを覚えろ。

 上に立つ人間が全てを差配していたら、お前が会社と共に潰れるだけだ」


 人事権すら、源三は口を出して来ていた。


 部門のトップは全員が源三の推薦で、健二の意見はすべて封殺された。


 その行動が緊急事態において、こうして結果として表れている。


 そのことに健二は敗北感を覚え、忸怩たる思いを痛感していた。


「……どこに行こうって言うんだ」


潮原しおはら神社だよ。お前が再開発したがっている、あそこだ」


 ――あんな廃屋に行って、何をする気だ?!


 混乱する健二に、源三が告げる。


「なぁ健二よ、我が浜崎家は本来神職の家系。

 その起源とも言うべき潮原しおはら神社を残そうとは思えんか。

 確かに住宅街の一等地、あそこにマンションでも立てれば、入居者は殺到するだろう。

 店舗を作り、住宅街のオアシスを作るのもまた、面白い試みかもしれん。

 だが家系の源流を残そうとは思えないか。

 あそこを次の代に残し、いつか再興する夢を託す――そんな思いを持てないか」


「……そんな夢物語に、何の価値がある。

 利益を何も生み出さない、ただの金食い虫じゃないか」


「ハッハッハ! まぁ、それは真実だろう。

 だがかつてはこの潮原しおはらの住民に敬われた神社。

 いつかは神社を再建し、信仰を復活させてみたいとは思わんか。

 住民に愛される神社に夢を託すことは、考えられないか」


「……『あそこには神がいる』というのが、親父たちの口癖だったな。

 孝弘まで親父に染まって、まともに就職もせずに神社の清掃をしている。

 いったいあそこに、なにがあるっていうんだ」


「それを今日と明日で、お前に見せてやる。

 まずはこれから、今の姿を確認しようじゃないか」



 黙り込んだ二人の男を乗せ、リムジンは静かに潮原しおはら神社の前にとまった。





****


 車を降りた健二が、寂れて朽ちた神社の境内に足を踏み入れる。


 そのあとを源三がゆっくりと歩いて行った。


 境内の中央で周囲を見回した健二が、「ハッ!」と笑い飛ばした。


「ここに神がいる?! ただの廃屋だろうが!」


「まぁそうだな。

 先代、先々代が再建を試みたが、不思議とすぐに寂れて朽ちていった。

 潮原しおはらの住民に信仰が根付かず、ここに祀られる神の名も忘れられた。

 やはりかんなぎが居なくては、ここは立ち行かんのだよ」


「……そのかんなぎってのはなんだ?」


「神職のことだよ。

 遠い先祖が担っていた役割だ。

 ――どれ、本殿も覗いてみようじゃないか」


 健二の前を源三が通り過ぎ、奥にある本殿に近寄っていく。


 健二はため息をつくと、源三の背を追った。



 本殿の扉を開け、源三が中に入る。


 健二は顔をしかめながら中に入り、本殿の中を見回した。


「清掃は……してあるのか。孝弘の仕業か?

 それにしても老朽化が酷い。

 近いうちに補修工事が必要じゃないのか?」


「予算は積み立てているが、おそらくまだ持つだろう。

 『彼女』がここにやってきたからな。

 老朽化の進みが遅くなるはずだ」


 眉をひそめた健二が源三に尋ねる。


「彼女とは、誰のことだ?」


潮原しおはら高校の学生だよ。

 今日は休んでいると聞いたが、いつもはここでアルバイトをしている。

 今も彼女の友人が、ここでバイトをしているはずだ」


 意味の分からない言葉に、健二が困惑し眉間にしわを寄せた。


「もう少しわかるように言ってくれ、親父」


「ハッハッハ! 今はただ、ここにあるものを良く見ておけ。

 そうすれば明日、何が起こったのかを理解できるようになる。

 ――そろそろ充分だろう。社に戻るぞ」


 源三はゆっくりと歩いて本殿を出ていった。


 健二は困惑を隠せないまま、本殿をもう一度見回してため息をつく。


「明日、なにがあるっていうんだ」


 そんな疑問をその場に残し、健二も本殿から立ち去った。





****



 土曜日、お昼を食べてから『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』に向かう。


 今日は午後十時までの遅番なので、シフトは午後二時からだ。


 お店に入ると、早苗さなえ歩美あゆみはもう来ていた。


「二人とも早いね」


 早苗さなえがニンマリと私に笑いかける。


「お昼ご飯をここで食べたからね。

 マスターのオムライス、美味しかったよー」


「――ちょっと! なにそれ?!

 二人だけずるくない?!」


 歩美あゆみがクスクスと笑いながら告げる。


「しょうがないじゃない、朝陽あさひはなるだけ回復してもらわないといけなかったし。

 午前中からお店にいるより、家に居る方が疲れが取れるでしょう?」


「むー、そんなことないもん。

 仕事してなきゃ、家もここも変わらないよ」


 カウンターからマスターが楽しそうな声で告げる。


「そんなにリラックスできてるのかい?

 嬉しい言葉だけど、職場で気を抜きすぎるのもよくないかもね」


 私はなんとなく照れくさくて、足早にカウンターの前を通り過ぎる。


「着替えてきますね!」


「ああ、頼むよ。

 今日も忙しくなるからね」


 私はスタッフルームのドアを開け、中に入った。

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