第11話
三井さんが席から立ち上がった。
「ごちそうさん。美味しかったよ」
レジの前に移動する三井さんを、
それを見た三井さんが、楽しそうに笑い声をあげる。
「ハハハ! 早く慣れられると良いね、お嬢さんたち。
また飲みに来るよ」
レジカウンターに入ったマスターが、カタカタとキーを叩いていく。
三井さんからも見えない『何か』がレジの中に吸い込まれ、「ごちそうさん」とマスターに告げて、三井さんは店を出ていった。
三井さんの姿がすっかり見えなくなってから、
「なんだったの、あれ……」
「わかんない……」
私は二人に手を差し伸べながら告げる。
「ふたりとも大丈夫?」
「なんで
「んー、何度か接客してたら慣れちゃった」
「慣れられるの?!」
「怖がる必要が無いってわかったら大丈夫だよ。
困った時はマスターが間に入ってくれるし」
二人が私の手を握って立ち上がる――まだ手が震えてるな。
マスターがカウンターの中に入り、何かを作っていた。
そしてコトリとカップを三つ出してくる。
「ミルクティーだよ。
気分を落ち着けてくれる飲み物だ。
それを飲んで、一休みしていなさい」
私たちはカウンター席に座り、ゆっくりとミルクティーを口に含んだ。
――あっまい! とろける濃厚な甘さが、ココアみたい!
ふわりと鼻をくすぐるこの匂い……これはハチミツ?
「マスター、これハチミツが入ってるの?」
マスターがクスリと笑った。
「ハニーミルクティーだよ。
大騒ぎして、少し疲れただろう?
次のお客さんは夜まで来ないと思うから、今のうちにね」
私はコクコクとハニーミルクティーを味わいながら、
二人もミルクティーの香りで落ち着いたのか、手の震えが止まったみたい。
時々「ほぅ」と小さく息をついて、ハニーミルクティーを味わっていた。
****
カウンターから
「これってエスプレッソマシンですか?」
「そうだよ?
ブレンドとエスプレッソ、カプチーノを作れる機械だ。
手でドリップするのは、ちょっとしたコツが要る。
だけど機械なら失敗はしないし、君たちはこれを使うといいかもしれないね」
私は疑問に思ってマスターに尋ねる。
「手で入れるコーヒーと、機械で入れるコーヒーで味が変わるの?」
「うちのコーヒーの味は、僕の込める神通力で変わるからね。
手でじっくりドリップした方が味わい深くなるんだ。
でもその機械にも神通力は通してあるから、だいたいのお客さんは満足してくれると思うよ」
なるほど……そういう仕組みなのか。
それからマスターは、お客様トイレの掃除の仕方を教えてくれた。
ほうきで掃いて、ゴミを捨てたらモップで拭く。
濡れてたら先にモップ掃除と、なんだかややこしい。
ゴミはスタッフルームのゴミ箱を利用するらしい。
集めたごみは袋を閉じて、そちらのごみ箱に捨てておけばいいと言われた。
「このゴミ箱の中身はどうするの?
だってここ、幻の喫茶店でしょう?」
ゴミ集積場に勝手に出してたら、怒られないのかな?
マスターが楽しそうに目を細めた。
「ハハハ! ここは登記上、きちんと喫茶店として登録されている。
税金も払ってるし、町内会費も払ってるよ?
だからゴミを出しても大丈夫だ」
「幻の喫茶店なのに、そんなことができるの?」
マスターがチャーミングなウィンクで応える。
「そこは『協力者』がいるからね。
僕の代わりに手続きをしてくれる人が居るのさ。
人の世に混じって生活してるあやかしも、結構いるんだよ?」
「ほぇ~~~~。なんだか『世界の裏側』を知った気分」
「ハハハ! 実はそういうことなんだ!
この世は案外、『不思議で満ちている』ってね」
「税金も払ってるって、収入はどうしてるんですか?
だってここ、こんなに暇じゃないですか」
店長が妖艶な笑みで応える。
「そこは『大人の秘密』って奴さ。
君たちが知るには、まだ早いかな」
****
一通りの研修が終わり、時計の針は午後七時を過ぎていた。
……そろそろかな?
カウンター席でくつろいでいると、カランコロンとドアベルが鳴る。
その様子に小首をかしげた
私もゆっくりと振り向き、笑顔で「いらっしゃいませ!」と告げ、入り口に向かった。
入店してきたお客さんは全身がずぶ濡れ、長い髪で顔を隠した女性。
うっすら透き通っているので、幽霊だろう。
「『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!
一名様ですか?」
無言でうなずく女性に手で席を示し、「こちらへどうぞ」と案内する。
女性はびちゃり、びちゃりと音をさせて、床を濡らしながら歩いてきた。
椅子に座る時も辺りに水がまき散らされ、床が水浸しだ。
「……ブレンドと、チーズケーキ」
「かしこまりました!
――マスター! ブレンドとチーズケーキお願いしまーす!」
テキパキとお水を用意し、女性の前に置く。
そのままカウンターに戻ると、
「……どうしたの? そんなに怖がって」
「だ、だ、だって! あれって、幽霊じゃないの?!」
「幽霊だよ?」
「なんで濡れてるの?!」
私は小首をかしげた。
「さぁ? ――マスター、あのお客さんはなんで濡れてるんですか?」
マスターが困ったような笑みで応える。
「そういうお客さんのプライバシーに関することは、言わない主義なんだ。ごめんね」
わたしはちょっと考えてから尋ねる。
「じゃあ、濡れた床はどうするんです?」
「すぐに乾くから大丈夫。
気になるなら、モップで拭きとってあげて」
そっか、乾くのか。
でも試しに、モップで拭きとってみよう!
私は入り口からお客さんの近くまでを、丁寧にモップで水気を拭きとっていった。
お客さんがぼそりと告げる。
「……ごめんなさいね、濡らしてしまって」
「大丈夫です! これも仕事ですから!」
ニコニコと応えると、お客さんもニコリと微笑んでくれた。
モップを片付けてからカウンターに戻ると、コーヒーとケーキが用意されていた。
マスターが告げる。
「それじゃ
「――幽霊の接客ですかぁ?!」
マスターが穏やかに
「これに対応できないなら、バイトは諦めてもらうよ?
無理をする必要はないから、よく考えて」
「――よし、女は度胸! やってやろうじゃない!」
カタカタという音をさせながら、
「ご、ご、ご、ごゆっくり……どうぞ」
おそるおそるコーヒーとケーキを置いた
マスターが困った笑みでお客さんに告げる。
「ごめんね、土屋さん。
今日入ったばかりの子なんだ。
お詫びにブレンドのお替りは無料にするよ」
濡れそぼったお客さん――土屋さんはゆっくりと首を横に振った。
「……構わないわ。
私の見た目って、怖いでしょう?
なんとか、したいんだけどね」
なんだか悲哀を感じる様子で土屋さんは応えた。
私はマスターに振り返って尋ねる。
「どういう意味?
自力じゃ姿を変えられないってこと?」
マスターが眉根を寄せて悩んでいた。
「う~ん、なんて言おうかな。
……未練がある幽霊はね、死んだ時の姿に固定されやすいんだ。
未練が強ければ強いほど、『その瞬間』が焼き付いちゃってね」
未練が強い幽霊……。
「土屋さんって、どんな幽霊なの?」
言葉に悩んでいる様子のマスターに、土屋さんが声をかける。
「構わないわよ、言ってしまっても」
マスターがふぅ、と小さく息をついた。
「土屋さんはね、海難事故で亡くなった人なんだ」
私たちは、時間が止まったように硬直していた。
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