なんでもスルー出来る回避スキルで楽して生きようとしたけど、なかなかスローライフできない件
れっこちゃん
第1話 はじまり
学問よりも、武芸よりも、この世で最も面倒なことがある。
それは人間付き合いだ。
立場が弱ければ気を遣い、相手の機嫌を伺い、望むように動かなければ怒りを買う。それが日常なのだ。
そして、家族というのは逃げられない関係である。
生まれというものはくじ引きのようなもので、運が悪ければ、常に気を張り、余計な苦労を背負う羽目になるのだから、苦痛もひとしおだ。
貴族に生まれた場合は、なおさらだ。
彼らはプライドの塊で、常に権力を誇示したがる生き物。
そういう環境が嫌で嫌で仕方がなかった。
育ててくれた感謝はあるが、衣食住の全てを管理された僕には自由がなかった。自力で生きられる術もないから、甘んじて受け入れるしかなかったのだ。
だから僕は、イジメも当然のごとく受け入れていた。
「フレン、フレン! 聞いているのかっ!」
「い、痛いっ!」
僕はフレン・ラグドール。十四歳、ラグドール伯爵家の末っ子だ。
成長期を迎え、見た目は普通の少年だが、その内面は昔から変わらずおどおどと周囲を気にしてばかりいる。だからイジメの標的になってしまう。
「おい、飯を食うか?」
「無視か、フレン! 兄に対して生意気だな!」
僕は兄たちが苦手だった。 長男ギッシュは短髪でトゲトゲしい頭の持ち主で、乱暴な性格。いつも暴力を振るわれる。 その隣、次男ヨシュアは、ギッシュ兄さんよりは殴らないが、僕が嫌がることを巧みに考える知能犯だ。
「ぎゃははっ! クヌギ虫のパスタだ。俺が調理してやったんだぞ」
貴族である僕たちは小さな頃から学問や芸術に触れている。故に、この"美しく"盛り付けられたパスタの上に添えられたものが何なのか、すぐにわかった。無駄な教養である。
「ほら、食えよ!」
肩と頭をがっちり押さえつけられ、犬のように強制されて食べさせられる。平民でもこんなことはしないだろう。まるで奴隷だ。 僕は兄たちに虐げられる日々を、小さい頃からずっと過ごしてきた。
「痛い……やめてよ……」
「やめて欲しければさっさと食え! 食わないと……わかっているな?」
「ひっ、わかった……んぐっ……」
「はははっ、本当に食ってやがる!」
こうして、相当ひどい仕打ちを日々受けている。
このような暴力だけでなく、辱められることもある。 母の誕生日パーティーで転ばされ、ワインを頭から被せられ笑い者にされたこともあった。周りは苦笑し、「あぁ、あの子ね」なんて噂し始める。
「まったく、あいつはいつも……」
両親も僕には頭を抱えているようだが、兄たちのイジメに口を出さない。見て見ぬふりをしているのだろうか。テストで難しい問題を避けたから罰が当たったのだろうか。
「ごめんなさい、ちゃんと向き合うから見捨てないでください……」
でも、見捨てられて死ぬよりはマシかもしれない。それに、こんなに広い部屋で過ごし、温かい食事も出る。僕は恵まれている。……恵まれているはずだ。
「ぐすっ、死にたいよ……」
毎日が嵐のように辛かった。 街で流行りのストラックアウト。その的が僕なのだ。彼らにとって、僕は点数を稼ぐための標的であり、僕が壊れるまで続けられる。
「どうして僕は生きているんだろう……」
そう何度も呟いてしまう。 自分の存在価値が見いだせない。死ぬまでこの虚しさを抱えて生きると思うと、消えたくなるのだ。
「いっそ、いなくなった方が……」
誰にも気づかれずにどこかへ去るべきか。そうすれば、誰も困らず、皆が幸せになれる。そんな考えが頭をよぎる。
しかし、その時だった。
「——フレン様、どうされたのですか? こんなに傷だらけで……」
それは優しくも強い声だった。
「ううん、ちょっと転んで怪我をしちゃったんだ」 「これで出来た傷だとは思えません……少し、見せていただけますか?」
僕の側に駆け寄ったのは、屋敷で働くメイドだった。漆黒の長い髪、切れ長の瞳、そして冷たさすら感じさせる美しい容姿。
言われるがまま服をまくり、背中を見せると、彼女は僕の肌に刻まれた傷を見て、顔を歪めた。 彼女は薬箱を取り出し、消毒液を含ませたガーゼで優しく傷口を拭ってくれた。
「さぁ、少し我慢してくださいね」
染みるかと思ったが、彼女の手は驚くほど優しかった。 治療が終わると、彼女はホッとしたように微笑む。その表情は冷たさを消し、温かく映った。
「ごめんなさい、ルーナ……」
彼女はルーナ・フィルマメント。
十八歳、僕たち兄弟の世話をしてくれるメイドであり、この屋敷では最年少だ。
「またお兄さんたちにイジメられたのですね。私が注意しておきます!」
彼女がなぜこんなにも親身になってくれるのか、僕にはわからなかったが、ただこう言った。
「大丈夫だから、気にしないで」
「何故ですか! こんな酷い目に遭っているのに!」
やり返されるのが怖いわけではない。ルーナが解雇されるのが怖かったのだ。
「……証拠はあるの?」
そう言って強引に話を遮ろうとしたが、ルーナは僕を見透かすように見つめた。
「どうせ私が辞めさせられると思っているのですね」
「うっ、な、なんでそれを……」
「フレン様は分かりやすいです」
彼女は寂しそうに微笑み、僕の手を握りしめた。そして、真剣な瞳でこう言った。
「私は簡単に辞めたりしません。絶対に、フレン様のために」
僕は俯き、言葉が出なかった。そんなことを言われて、恥ずかしくなってしまった。 突然、彼女は僕を抱きしめた。
「もう、本当に仕方ないですね……私のご主人様は……」
「ちょ、ちょっと!」
思わず変な気分になりそうになるが、必死に理性を保った。
「わかった、ルーナの気持ちは伝わったよ」 「本当ですか?」 「本当だよ!」
慌てて彼女から離れた僕は、違う意味で彼女にイジメられている気がした。しかし、同時に尊敬の念さえ湧いてきた。
「ルーナは強いね……」
周りを気にせず、僕のような弱い者に手を差し伸べるのだから。
「そうでしょうか? フレン様の方がもっと強くて優しいです」
「そんなことないよ」
「いいえ、私は知っています。貴方が誰よりも優しい人だって」
心がくすぐられるような言葉に、僕は少しだけ幸せを感じた。彼女がいてくれたからこそ、ここまで生き延びられたのだ。
僕は、ルーナのことを避けていた気持ちの理由が、少しだけわかった気がする。
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