第13話 刺客

 その夜、宿には暗い影が忍び寄っていた。

 月明かりがかすかに漏れる廊下を、足音を殺した男が静かに進んでいく。その手には鋭い短剣が握られており、瞳には冷徹な光が宿っている。


「くく……呑気なものだ。誰しもがここを安全だと思っている」


 男——アランは、フレンたちの部屋の扉をそっと押し開けた。

 静寂を破らぬよう、細心の注意を払いながらベッドに近づく。フレンは布団を軽く蹴飛ばしたまま、無防備に眠っているように見えた。


「邪魔者は排除する……それが俺の役目だ」


 アランは短剣を振りかざし、一気に振り下ろす。

 だが、その瞬間——


 フレンの体が無意識に動き、攻撃をひらりと回避した。


「なっ……!?」


 アランは目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。

 まるで狙いを見透かしていたかのような動きに、彼の手は震えている。


「……ふぁあ」


 布団の中からフレンがあくび混じりに声を漏らしながら、のんびりと身体を起こした。


「って、お前アランじゃないか」

「ど、どうしてだ……!?」

「おいおい、どうしてじゃなくてだな……寝てる間に襲うとか、紳士のやることじゃないだろ……」


 その呆れた口調に、アランの顔が赤くなるほどの怒りで歪む。


「くっ……貴様、ふざけるな! ここで終わりにしてやる!」


 アランが再び短剣を握り直した瞬間、背後から冷たい声が響いた。


「……残念ですが、あなたの計画はお見通しでした」


 影の中から姿を現したのはルーナだった。

 彼女は静かに部屋の隅に立ち、月明かりを受けた瞳には冷たい怒りが宿っている。


「アランさん、村長様の側近として、こんな卑劣な真似をするとは……まさか山賊と繋がっているとは思いませんでしたわ」


 その言葉にアランは一瞬動揺するも、すぐに凶暴な笑みを浮かべる。


「山賊だと? 繋がっているだと? 証拠もないのに何をほざく!」

「証拠はありませんが、これまで何度も助っ人がやられてきたようなので、策を打たせて頂きました」


 ルーナはフレンに指を向けて、毅然とした態度で告げた。


「フレン様をおとりにして刺客を仕向ける……これが私の名案です」

「おい」


 フレンの呆れた声が部屋に響く。

 彼は半眼になりながら、ルーナをじっと見据えた。


「俺を囮にしたって、本気で言っているのか?」

「ええ。フレン様の“強いスキル”を信じておりましたから。結果、こうしてお怪我一つなく危機を回避されましたわ」


 ルーナはアランにスキル名を明かさないために、ぼかしたまま口にする。


「信じてた? だからって囮にするか普通?」

「フレン様、囮というのは悪意ある言い方ではありませんか? ここでは“囮”ではなく“計略の要”と言い換えるべきです」

「いや、意味は一緒だろ」


 フレンは頭を抱え、深いため息を吐いた。

 アランがじりじりと後退する音が耳に入るが、それどころではない。


「おいルーナ、せめて一言相談くらいしてくれよ。俺が万が一の時どうするつもりだったんだよ」

「言ったじゃありませんか、ここでは貴方のスキルの話は一切口にしないようにと」

「いや、そこはわかるけどさ。意図を教えてくれよ意図を。俺だってスキルのことを完璧に把握してるわけじゃないんだからさ、爆睡する必要なんかなかっただろうに」

「フレン様、貴方のスキルは、“寝ている状態でも発動する”という性質があるのです。ですから、むしろ安心して眠っていただく方が、確実に敵の攻撃を避けられると考えたまでですわ」

「いやいや、理屈はそうかもしれないけど、普通寝てる間に襲われるって、心理的にアウトだろ!?」


 フレンが食い下がるように反論すると、ルーナはしれっと微笑みながら首を傾げた。


「でもこうして、実際に避けられたではありませんか? 私の判断が間違っていたと?」

「間違ってるというか、俺の気持ち考えてくれよ。そもそも俺を囮にする時点で間違ってる」

「囮ではなく、貴方の能力を最大限に活かした作戦です」


 ルーナは一切動じず、冷静に言い返す。

 フレンは完全に言葉に詰まり、眉間に皺を寄せながらぼそりと呟いた。


「まったく口が達者なメイドだ……」


 痴話げんかのような二人のやり取りの最中——


「動くな」


 アランの冷たい声が部屋に響き、二人はぴたりと足を止めた。


「ははっ、なるほどな……“強いスキル”と聞いていたからさっさと潰すべきかと思いきや、そのよくわからんスキルでまんまとハメられたってわけか」


 アランが皮肉を交えた口調で笑う。フレンは腕を組みながら、やや苛立ちを隠せない表情で返した。


「よくわからんスキルって……まぁ、確かに俺も全部わかっちゃいないけど。でも、お前の短剣なんかには負けないってことだけはわかったわけだな」

「ほう、なら試してみるか? この二対一の状況で」


 アランが再び短剣を拾い上げようとするが、その手をルーナが一瞬で踏み止める。


「お止めなさい。これ以上無駄な抵抗をしても、痛い目を見るだけですよ」

「痛い目、ね……ふん、やれるものならやってみろ!」


 すると、二人にアランが窓の方へと向かっていきガラスを突き破る。


「パリィン!」


 鋭い音が夜の静寂を切り裂き、アランの姿が外へ消えた。

 その一瞬の出来事にフレンが呆れたように眉をひそめる。


「……窓から逃げるとか、どんだけ必死なんだよ」


 これで終わりかと思いきや、すぐさまルーナが叫んだ。


「お待ちなさいっ!」


 彼女は躊躇することなく窓際に駆け寄り、破れたガラスの隙間からアランを追いかけて外へ飛び出した。


「おい、ルーナ」


 手を伸ばすが、すでに彼女の姿は夜闇の中へ消えていく。

 深いため息をつきながらフレンは頭を抱えた。


「なぁ、俺、疲れてんだよ……だからさ、これ以上面倒ごと増やさないでくれよ」


 しばらくその場に立ち尽くしていたが、フレンは結局観念したように窓へ歩み寄る。


「ったく、ルーナに万が一のことがあったら……はぁ」


 窓の外を覗くと、アランの後を追うルーナの影がかすかに見えた。

 彼女は夜の街に向かって一直線に走っている。


「まぁ、逃げた相手を捕まえないとこの話も終わらないしな」


 スルースキルを駆使しても避けられそうにないこの問題。

 仕方なくフレンは腰を伸ばし、軽く息を整えて窓から飛び降りた。

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