1-7 旅立ちとデート

 翌日の朝食時。アランは、中央教会への旅自体は急がない旨を伝えた。いつかイドルヴに保護を求めないといけないのは確かだが、本音を言えば、積極的に教会に戻りたいわけではない。正直なところ、ここは大変居心地が良いのだ。

 勿論、いつまでも世話になるわけにはいかないと思うが。


「じゃあ、ゆっくり調合をしてもいい?実は仕事から戻ったばかりで、あまり有用なストックがないのよ」

「構わない。それに、俺は随分長くここに居るが……何も、危険な気配は感じていない。つまり、この場所にいることは、敵側に気取られていないんだと思う」

「まあ、かなり中央教会から離れているしね。あっちに近づけば近づくほど、追手は多くなるでしょうね……」

「ああ。それに、中央都市へ至るための主要な街や、転移陣なんかは見張られているだろうな。前にお前が言っていた通り、馬車や転移陣は危険だ」

「じゃあなるべく遠回りして、野宿しながら森を通るルートになるわね。出発準備はしっかりしないと」

「そうだな」


 アランはそう言って思案に耽りながら、ルビィの淹れた紅茶を口に含む。茶葉の細かい違いなんかはあまり分からないが、彼女の淹れた紅茶は美味しいと素直に思う。

 

「……本当に世話をかける」

「いいのよ」

「雑用なんかがあれば、何でも手伝う。俺に出来ることがあれば……」

「本当!?男手があるのは助かる!!」


 にっこり笑うルビィに、アランはひとつ頷いた。

 彼女お手製のプロシュートサンドイッチを頬張る。本音を言えば、いつまでもここで暮らしたいくらいだと思った。

 オオカミのアランはもうすっかり、赤ずきんルビィに餌付けされていたのだ。

 


 と、いうわけで、ルビィは遠慮なく調合三昧の日々を過ごした。重たいものの運搬だとか、畑の世話だとかの雑用を、アランは文句一つ言わずにこなした。しかし、彼の機嫌は終始良いままで、むしろ快適そうだ。暇なときはルビィの調合を飽きずにのんびり眺めたり、鍛錬をしたり、あるいは大量にある蔵書に手をつけたりして過ごしているようだった。

 

 勿論、オオカミの餌――――もとい、お手製の手料理はしっかり与えている。

 あまり口数多く褒めるわけではないが、手料理を頬張っている時のアランは心底幸せそうなので、ルビィも作りがいがあった。特にクッキーは彼の好物になったようで、「初めて食べた時は、うますぎて言葉を失っていた」のだと言う。ルビィは、それは大袈裟だと笑った。

 

 そうして、過ごすこと約二週間。やっと出立の日がやってきた。


 さて、旅を始めるに当たって、一つの問題が生じた。それは変装の有無である。

 二人はあれこれ試した後、ひとまずそのまま出て様子を見ることにした。

 いや、最初は勿論変装しようとしたのだ。アランにカツラを被せたり、瓶底眼鏡や帽子を付けてみたりなど、一通りやってみたのだが。


「あ、貴方ねえ!ちょっと美形すぎて、どうやっても目立つじゃないの!!」

「そんなこと言われても、自分ではよくわからない……」

「何しても、どうやってもきらきらしいのよ!!」


 ルビィはすっかりお手上げ状態となった。まあ、中央教会に軟禁されていたアランの見た目は、一般国民に割れているわけではない。変に隠すと逆に目立ちそうだという結論になり、コソコソしないことにしたのである。

 敵は都度蹴散らしていけばいいという脳筋な結論に、二人は落ち着いてしまった。戦闘脳である。



 ♦︎♢♦︎


 

 出発し、まずは半日ほど歩いた。そうして二人はおばあさんの家から一番近くの、中規模の街に到着した。ここで野宿のための保存食や、道具などを買い込むのだ。

 

 この後はなるべく森の中に隠れて進むが、必要時には都度、街や村に寄って補給する必要がある。ちなみに路銀はルビィのおばあさんがたっぷり置いて行ったので、特段贅沢をしなければ足りそうだった。ルビィもアランも、自給自足や野宿の旅には慣れっこである。


「久しぶりの街だわ〜!!」


 街に到着したルビィはずきんを下ろして、金髪のおさげをきらきら揺らし、大いにはしゃいだ。都会育ちのアランは不思議そうに尋ねる。


「お前の実家は田舎なのか?というか、ここから遠いのか?」

「こっちとは逆方向ね。おばあさんの家から歩いて三日くらいよ。すご〜く小さな村なの。だから街には、滅多に来られないのよ……!」

「なら、補給以外にも見たい店を見ていくか?」

「いいの!?行きたいお店が沢山あるわ!」

「良い。別に急ぐ旅じゃない。まだ危険は少ないだろうしな」

 

 瞳を輝かせるルビィを、思わず甘やかすアランである。

 ちょっと変わった娘ではあるが、やはり年相応に、色々な店に興味があるものなんだな、と少し意外に思った。


「どこに行くんだ?菓子屋に雑貨屋、あとは露店だとか、色々ありそうだが……」

「薬屋!!!」

「は?」

「いつも薬草を卸してくれる薬屋がいくつかあるのよ。手持ちのものをちょっと補充したくて!」

「はあ……」

「あと本屋ね!怪しい魔法書とかが置いてありそうな、古臭いところを巡るわよ!!」


 前言撤回である。年相応なラインナップではなかった。舗装された道の上、薬屋へ向かってうきうき歩くルビィの小さな歩幅に合わせて歩きながら、アランは少し呆れた声を出した。


「お前さ……なんかこう……お菓子とか、宝飾品とかには興味ないのか?」

「え!?あ〜……あっ、あるに決まってるじゃない!」


 ルビィは気まずそうに、つついっと目を逸らした。正直、興味津々ではなさそうである。

 

「……ちょ、ちょっと?残念なものを見る目で見ないでくれる!?これでもまだ十代の、花の乙女なんだからね!!」

「そういえば……何歳なんだ?お前」

「十九よ」

「……何だと!?」


 アランは突如ぎょっとして、その足を止めた。ルビィの前につかつかと歩み出て、その頭のてっぺんから爪先まで一度眺め直す。


「嘘だろ……もっと若いかと……。十五とか、それくらいかと思ってた」

「言われ慣れてます。背が低いし童顔だからね。でも、もう立派に成人してますぅ」


 百八十センチ以上あるアランに対して、ルビィの身長は大体百五十センチとちょっとだろうか。かなり小さいのだ。それに、腰なんか今にも折れてしまいそうに細くて華奢だし、顔も驚くほど小さい。まあ、たいそう可憐ではあるが、大人っぽい色気というものは皆無だ。


「ちょっと?じろじろ見ながら、いま失礼なこと考えているでしょ」

「す、すまない」


 アランは馬鹿正直に謝った。ルビィはむすっとしている。

 悪く思わないでほしかったので、焦った。だって、単純に驚いたのだ。この国の成人は十六であるから、ルビィはとっくに結婚していてもおかしくない歳だ。


「どうせ子供っぽいわよ」

「そんなことは言っていない。その……お前は周りと比べても、可愛らしい……と、思う」


 アランが白磁の目元を赤く染めて突然褒めたので、ルビィはただでさえ大きな菫色の目を、更に見開いた。

 中身がとてもざっくりしていて男っぽく、戦闘能力の高いルビィである。異性にそんな、口説くようなことを言われた経験なんてほとんどないので、急激に照れが全身に回りはじめた。もじもじしてしまう。


「な、な、何よ、急に」

「本当のことだ。綺麗な菫色の目は大きいし、顔だって整ってるだろ。金の髪だって白金に近くて、いつもきらきらしてる。体は今にも折れそうでなんだか不安だから、もう少し太ってもいいんじゃないかと思うが」

 

 アランはアランで年頃の娘と接した経験があまりないので、その天然さで、思っていたことをそのまま率直に伝えた。ルビィの薔薇色の頬は今や熟れた林檎のように赤く染まり、首まで色づいてしまっていると言うのに。


「それに、お前の小さな手が作業するのを見るのも、俺は好きだ。ほっそりしていて、白くて…………」

「……あ、あ、アランの軟派者ーーーーー!!!」


 ルビィはとうとう、ふるふると震え出して耐えきれなくなり、その場を駆け出してしまった。


「あっ!おい待てよ!俺は軟派なんかじゃない!!!」

「馬鹿ーーーー!!!!」


 二人はしばらく、道端で追いかけっこをした。側に居合わせた老人たちは、まあ可愛いカップルだこと、と微笑ましく見守っていたが、とうの本人たちは知る由もなかった。

 


 ♦︎♢♦︎



「美味しい〜!」


 しばらくきゃっきゃと駆け回った後、二人はしっかり薬屋や本屋をまわったり、旅のための補充を行ったりした。大量になった荷物を、いったん宿に置いて来たところである。今は宿屋近くの定食屋で、デザートのパフェを食べているところだった。


「確かに、うまいな……」


 あまり『美味しいもの』を食べたことのないアランは、パフェの苺の艶めきを、まるで宝石のようだと思いながら眺めていた。つんつんつついて、大事そうに食べている様子は、まるで小さな少年のようだった。


「やっぱり、美味しいものは心の健康に必要でしょう?」

「ああ、それは同感だ」

「それにしても。ああ〜、やっぱり苺のパフェも美味しそうだなぁ。思わずいつも通り、チョコにしちゃったわ」


 ルビィがアランに羨ましそうな視線を向ける。別にねだったつもりはなかったのだが、アランは何の躊躇いもなく大きな苺とアイスをひとすくいし、ルビィにすっと差し出した。


「ほら」

「!!」


 ルビィはどぎまぎしたが、ここで変に意識して見せるのも変だと思って、おずおずと口を開けた。パクリと含んで咀嚼すれば、苺の甘酸っぱさが口一杯に広がる。


「美味いか?」


 無意識なのだろうが、アランはわずかに微笑んだ。初めは随分無愛想で、終始顰めっ面だったのに、一緒に過ごすうちに随分打ち解けたものだと思う。

 極上に美しいタンザナイトの瞳が甘く細められ、嬉しそうに輝いているのに、ルビィはぼうっと見惚れた。


「…………美味しい。……ね、ねえ…………」

「何だ?」

「そういうの、誰にでもやってるの……?」

「は?お前にしかしたことない」


 とどめの言葉である。ルビィはまた真っ赤になった。おかしい。命懸けの旅路のはずなのに、これではまるで……。


「何だよ。どうしてそんなこと聞くんだ?」

「だって…………なんか、今日……」

「今日?」

「で、で、でーと……みたいじゃなかった?」

「は……?」


 初恋はおろか、デートすら経験のないルビィである。だから詳しくはわからないが、パフェをあーんして食べさせたりする場面は、村の女の子に借りた恋愛小説などで読んだことがあった。恥ずかしさで一杯になり、大きな目を潤ませてアランを見つめると、アランはぴしりと固まった。


 ――――可愛い。


 アランは、今回こそ強く、明確にそう思った、胸が疼いて、びりびりする。そんな自分自身に驚いた。

 誰かにプラスの感情を抱くこと自体珍しいのに、この落ち着かないような、ふわふわした感情は何なのだろうと、疑問に思う。


「そんなつもりはなかったんだが……何か、悪かったな」

「いや、別に、いいのよ。だってその、すごく……楽しかった、し」

「……俺も」


 そうして、アランまでつられて頬を赤らめる。その後は二人、終始無言で、のろのろとパフェを口に運んだ。ウェイターが大層気まずそうにやってきて、「そろそろ閉店のお時間です……」と告げるまで、二人のもだもだした空気感は続いたのだった。

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