1-3 赤ずきん、オオカミさんを圧倒する

「待て≪ステイ≫!!」

「!!」

 

 ルビィがその呪文を唱えた途端、アランの手足からがくりと力が抜ける。その隙にルビィはするりとアランの拘束を潜り抜け、彼を組み敷いた。そのままひたりと、彼の首元に短剣を当てる。あっという間の形成逆転である。


「あらあら、やっぱりおばあさまに待てステイの制約をかけられていたのね」

「貴様……!!何故!!」

「私はおばあさまの一番弟子だもの。あの人の考えそうなことはわかるわ」


 ルビィは、扉からの一筋の光が逆光となった暗闇の中で、そのきらめく菫色をうっそりと細め、アランに言った。


「私はこの状態からあなたに麻痺毒でも神経毒でも、何だって仕込むことができるわ。薬の魔女の一族を舐めないで。これでもまだ反抗する?」

「くっ……!!」


 アランはこの上ない屈辱、というようにその眉間の皺をさらに深めたが、やがてすぐに脱力し、吐き捨てるように言い放った。

 

「はあ……お前が強いのはよく分かった。小娘だと侮ったことは謝罪する」

「あらそう?良かったわ」


 ルビィは、あっさりとアランの上から退いた。これ以上の小競り合いは無用である。そうしてベッドの上で、改めて向かい合う。アランは居心地の悪そうな、いかにも気難しそうな顔で、そっぽを向いたままむっすりとしていた。初めて会うはずなのに懐かしい気がするのは、どうしてだろう。


「……お前の祖母から書き置きを預かっている。ほら」


 アランは胸元から一枚の封筒を取り出して、ルビィに手渡した。いつもおばあさんが好んで使っている、両端に野いちごの模様が印刷された可愛らしい封筒だ。

 

「ありがとう。ま、とりあえずお茶でも飲みながら話しましょっか?」


 にっこりと笑ったルビィに、アランは毒気を抜かれたような、呆れた声で言った。


「お前、マイペースすぎるって言われないか……?」


 

 ♦︎♢♦︎



 さて、おばあさんの手紙には、簡潔にこう書かれていた。


 ”愛しい孫娘のルビィへ


 仮病を使って呼び出してごめんなさいね。

 困っているオオカミさんを拾ったので、面倒を見てあげてください。

 待てステイのできる良い子です。

 私はちょっと野暮用があるので旅に出ます。

 探さないでください。


       あなたを愛するおばあさんより”


「肝心なことが、なぁ〜〜んにも書かれてないわ。あの人らしい」


 ルビィは手紙をぺっと机の上に放り投げ、淹れたての紅茶を啜った。おばあさんは基本的にいつもこうなのだ。実の孫だというのに、弟子使いが非常に荒い。

 一息ついてから、アランに向けて一つずつ確認を行なっていく。


「あなたはおばあさんに拾われた。助けられて……その代償として、待てステイの魔法を仕込まれた。……これで合ってる?」

「……合っている」


 不機嫌を隠そうともしないアランだが、反抗するのはすっかり諦めたようで、大人しくクッキーを食べている。今朝焼いたばかりの自信作であるのだから、もう少し美味しそうに食べて欲しいところだ。ただし、底なしに不機嫌でも彼の姿かたちはやはり整っていて、その銀の髪は午後の日差しを受け、透けるように輝いていた。


「あなたはオオカミでもあり人でもある神狼しんろう――これも、合ってる?」

「合っている」

「それなら、どうしてこんなところにいるの?神狼は中央教会にいるはずでしょう。それに、私が商人から聞いた話では……今代の神狼は『輝くような』だって、聞いているわ」


 ピクリ、とアランの手が止まった。そして残っていたクッキーを口の中に放り投げ、一気に咀嚼する。それからゆっくり、まだ深められるのかと驚くほどに――更に更に眉間の皺を濃くして、嫌そうに答えた。


「今代の神狼は、二人いる」

「……そんなの前代未聞だわ。一代に一人しか存在できない、だからこその『神の遣い』でしょう?」

「…………双子なんだ」

「え……」


 ルビィは言葉を失った。なんだか、とっても、とてつもなーく、面倒な事態に巻き込まれつつあることを悟ったからだ。アランはここで初めて、ニヤリと笑った。口の端を吊り上げた、極めて意地悪な笑みだ。


「もう聞きたくなさそうだな?」

「聞きたくないわよ〜……絶対面倒ごとじゃないの……」

「ハッ。じゃあ親切に教えてやる。今代の神狼は双子で、金色の兄の方が『本物』の神狼とされている。俺は『偽物』の神狼扱い、酷い時には災厄の神狼なんて呼ばれてる。本名はカタストロフ・ヴァレーズだ。縁起の悪すぎる名前が嫌いだから、普段はアランって名乗ってる」

「うわあああ!!なんで急に流暢に話し出すのよ!!」

「『神の写身うつしみ』であるイドルヴ様は、俺の存在を一応認めてくださっているが。あの人以外、ほとんどの者が俺の存在を否定したがってる。中でも教会の過激派と呼ばれる連中は、俺を消したくて仕方がないらしい。これまで二十一年、なんとか生き延びてきたが。先日とうとう罠に嵌められて、あやうく殺される寸前だった。そこをお前の祖母に助けられたってわけだ」

「そう……へえ〜……。そう………………。で、私が、面倒をみる、と」

「フン。嫌になるだろ?ははっ」

「う〜ん………………」


ルビィは腕を組んでうんうん唸ったあと、唐突にその大きな瞳をぱっちりと開いた。菫色があまりにもまっすぐにアランを射抜いたので、彼は大きくたじろいだ。


「いいわ。引き受けた。面倒だけど……なんだか楽しそうじゃない!!」

「…………は?」


 アランは形の良い唇をぽかんと開けて、ルビィを見つめた。この女はいま、なんと言ったのか。


「…………楽しそう?」

「うん」

「どこが?」

「全体的に?」


 今度こそ言葉を失う。それからアランはゆっくりと視線を下におろして……しばらくぼうっとした後、とうとうくつくつと笑い出した。


「グクッ……お、お前……」

「ん?」

「…………変な女だ」


 くしゃり、と潰れるように下手くそに、アランが笑った。それが何だか可愛いと思って、ルビィもつられて笑う。そうして二人は、何事もなかったかのようにお茶を再開した。


 これが、二人の最初の出会いだった。

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