1-4 二匹のオオカミさん
「貴方の面倒を見るのは、師匠であるおばあさまからの命令だから勿論やるとして。ねえ、貴方はこれからどうしたいの?」
なんでもないことのように赤ずきん、ルビィが尋ねる。するとチラリとこちらに目を合わせたオオカミ、アランは少し斜め上に視線を外し、思案してから言った。
「中央教会のトップ、神の
「いいわよ。イドルヴ様は貴方のことを、『唯一認めている』って言ってたものね」
「そう…………親代わり、なんだ」
ぽつりとアランが言った。とてもとても大切そうに、でも少し自信がなさそうに。
そもそも、イド教というのが、このシュバルツ国の国民のほとんどが厚く信仰している宗教である。中央教会でトップを務めているのは、天界におわすとされるイド神の写身だという人間、イドルヴ・ゼレール様。そして神の遣いであるとされる『神狼』が、その第一補佐をしている。
神の写身イドルヴ様は、神の分身の一つなのだそうだ。末端弱小貴族のルビィは、会ったことなど勿論ないが。そして神の遣い『神狼』は、神の写身を助けるため、また人々を救うために、太古の昔に神が力を与えた特別な存在らしい。
神の写身も神狼も、一世に一人ずつしか存在せず、一度
ルビィはクッキーをぽりぱりと齧りながら思いを馳せる。自画自賛になるが、やはり今日もとても美味しいクッキーである。もうちょっと塩気があっても良かったかもしれないが。
咀嚼してこくりと嚥下したあと、おずおずと尋ねた。
「言いにくいことかもしれないけど……聞いてもいい?」
「何でも遠慮せず聞け」
「双子ってことだけど、さっき言った通り、貴方が弟なのよね?」
「そうだ」
「どうして、その……貴方だけが、偽物扱いされるわけ?弟だから、って理由だけ?」
「違うな。簡単なことだ」
アランは皿の上にクッキーを二枚、並べて見せた。真っ白と真っ黒の、二枚の全く同じ丸いクッキー。そのしなやかな指が、まず白い方をついと指差す。
「こっちの白いのが、兄カルバン。生まれつき持つ能力が『完全治癒』。病や怪我を何でも即座に治す。欠損でもだ。あからさまに『救済』と言う言葉に相応しい」
「ほう」
それから、真っ黒いクッキーの方を指さして言う。
「こっちの黒いのが俺、弟アラン。生まれつき持つ能力が『物理法則操作』。この世の摂理を捻じ曲げると言われて、すごく忌み嫌われてる」
アランは黒いクッキーだけを取り上げ、がりっと齧って見せた。
「俺だけが恰好の攻撃の的、ってわけだ」
「『物理法則操作』……これまた……前例がない、能力ね。書物でも読んだことがない。それに、言葉の響きだけでも強力すぎる。強すぎるのも考えものね」
「そうだ。強大な力は畏れられる」
ハ、とアランはせせら笑った。それはとても厭世的な笑みだった。今まで彼は一体、どんな扱いを受け続けてきたのだろう。相当に良くないものであったことは、想像に難くない。
「『完全治癒』だって相当強力だと思うけどね。でもこれまで何度か、その魔法を持つ神狼がいたとは聞いたことがあるわ」
「それは事実だ。それにな……人の病や怪我を治す便利な奴を、殺すわけにいかないだろ。どれだけ民衆に恨まれるかわかったもんじゃない。で、同時に二人いちゃダメだってんなら、殺すのは俺の方ってわけだ。ただ……イドルヴ様は、生まれてきた俺を殺すことをお許しにならなかった。だから……表向き、神狼は兄さん一人きりってことにされて、俺はいないもの扱いされている。国民に不安を招くからな」
「今までは、実際どう過ごしてきたの?」
「中央教会に軟禁されてきた。俺はそれで文句はなかったぞ?あそこを出ようとか、歯向かおうとか、万に一つも考えたこともなかったさ。俺が生きることを許してくださった、イドルヴ様は俺を庇い続けてくれたし……。俺はただ、何か一つでも成し遂げて、あの人に報いたかった……」
アランは目を逸らしたまま淡々と話す。しかしそれが何だか、とても寂しいことのように思えて、ルビィは顔をぎゅっとしかめた。彼のタンザナイトの青い瞳は、虚空を見つめたままだ。
「でも……俺が生きているだけでも、それでも気に食わない、どうしても死んで欲しい、って奴らがいるんだよ」
絞り出す言葉には、血を吐くような響きがあった。
「それが教会のなかでも特に、超原典主義の、過激派って奴ら。簡単には俺の一番の敵。俺という
「成程……」
「俺はそれなりに強いし、神の写身であるイドルヴ様に表向き逆らう奴もいないから、今まで生き延びてきたけど。最近過激派の動きが、特に……何故だか急に、活発化してな。何度か襲撃を受けた。それで、先月のことだ。俺は罠に嵌められて暗殺されかけて、致命傷を負った。イドルヴ様が、式典で遠い国にいる夜のことだった」
「……よく、逃げられたわね」
「お前のばあさんが偶然居合わせたんだ。治癒の力を持つ薬の魔女として、中央教会への支援に来た帰りだったらしい。彼女に助けられながら、命からがらここまで逃げ延びてきたんだ。まあ……死にかけだった俺は意識が
「うう〜ん、都合が良すぎるわね。まあ、あの人は鼻が鋭いから、何か察して動いていたのかも……」
「俺もそう思う。イドルヴ様に俺のことを頼まれていたのかもしれない、と……何度かそう思ったが、直接は聞いていない。ここを出ていくまで、具体的な話は何もしなかった。あのばあさんはどうでもいい世間話なんかを延々としながら、根気良く俺の治療をしてくれた。だから、あんたがたのことは信用してる」
「そうなのね。信用してくれて、ありがとう」
「……どういたしまして。俺なんかに信用されて、得があるか知らないが」
「そんなこと、言わないで」
話を聞きながらずっと思っていことだが、このオオカミは相当自己肯定感が低そうだ。ルビィはそういうのを嫌うたちなので、強く否定した。
「得があるか知らない、なんて言わないで。貴方に信頼してもらえて、私は嬉しいわ」
「………………やっぱり、変な女」
アランはまた、小さく笑った。笑えばこんなに格好良いし、婦女子からモテるだろうに勿体無いな、とルビィは思う。終始しかめっ面で無愛想だから、余計畏怖されてきたんじゃないだろうか。なんたって美人の仏頂面というのは、怖いものだ。
ちょっとだけ見惚れてしまったルビィはコホン、と小さく息を吐いた。紅茶を一口含んで口を潤してから、言葉を続ける。
「ともかく、話を戻すけど。ここから中央教会まで歩いて一ヶ月ほどだけど、移動はどうやって?」
「多分、転移陣と馬車だな。逃げ足が異常に早くて手慣れてたのは、何となく覚えてる。お前のばあさんもお前と同じで、変な女だった」
「それはとっても同感だわ」
ルビィは至極真面目に頷く。肝心なことは何も言わず、弟子使いの荒い、異常なほどの実力者。それが彼女、赤ずきんのおばあさんである。
「おばあさまが姿を消したのはいつ?」
「十日くらい前だったか……。お前に手紙を渡して欲しいって頼まれた。俺はちょうど傷が癒えたばかりだったし、何も言わなかった。それで、そのまま居なくなった。俺は……迷惑かけてることが悪いなと思っていたし、外を出歩いたりもせず、大人しくしてた」
「えっ!?食事はどうしてたの?」
「してない。誰かに俺を匿っているのを見られたら、まずいことになるかもしれないだろ。まあ、俺は飲まず食わずでも一ヶ月くらいは生きられるから……」
「はああ!?もしかして何も食べてないの!?早く言いなさいよ!!」
「……わ、悪い」
「いやいや謝るのはこっちよ。ごめんね、クッキーしか出さなくて悪かったわ。っていうか、私のおばあさまが本当に失礼なことをしたわ!そういうところ気が利かないんだから、本当に!すぐにご飯を作るから待ってて!!」
「別に急がなくていい」
「そういう問題じゃないの。美味しいご飯は、心の健康に必要なのよ?」
指をふりふり、ルビィは真面目に言った。
「中央教会に戻る旅路なら、一ヶ月はかかるわ。馬車や転移陣は目立つから、今回の道中では使えないと思うし、徒歩での旅になる。その前にたっぷり栄養取って、まるまる太ってから行きましょう!」
「別に太りたくはない。お前やっぱり、変だって言われるだろ?」
「変、変って言わないでよ!まあいいけど!」
それからルビィは、大急ぎで夕食を作った。有り合わせだったのでシチューとパンしかできなかったが、アランがきらりと目を輝かせたのをルビィは見逃さなかった。うまい、と一言だけ言って綺麗に平らげたので、お代わりもたっぷり盛ってやったのだった。
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