3-2 長老の歴史歌
アランとルビィは長老と呼ばれる老婆に着いていき、彼女の家に招かれた。
見たこともない建築様式で作られた彼女の家は、真っ白なドーム状の塊がいくつか連なったような、不思議な形をしていた。中に入ると、内部の壁は紺色で塗りつぶされており、月と太陽、そして星々を象ったと思われる紋様が、金色の絵の具でびっしりと描かれていた。
アランとルビィは、お茶とケーキを出されて、丁重に持て成された。相手に害意が全くないことが分かっていたので、ありがたく頂いた。
長老は、奥の部屋から琵琶のような形をした楽器を持ってきた。
「この楽器は、ロームという弦楽器です。我ら狼人間が、太古の昔から受け継いできたもの……。そして、我らが昔から長らく紡いできた、歴史歌があるのですじゃ。今からそれを、演奏して見せましょう。今代の神狼様に、この歌を伝えるべしと……占いにも、ありましたからの」
そうして老婆は、慣れた手つきで弦楽器を弾き始めた。独特の節を持つ歴史歌が、荘厳に紡がれていった。
――――その昔、アランドという狼人間の青年が居た。
正義感が強く、銀の毛並みを持つ立派な狼だった。
彼はこの世におわした偉大なイド神の、友人となった。
しかしある時、イド神に叛逆する者があった。
アランドはその命を賭して、神を守りきった。
優しきイド神は、アランドに特別な命を与えられた。
アランドは見事生き返り、選ばれし特別な神狼となった。
彼の力は狼人間に、代々受け継がれるようになった。
それから神狼は、イド神の一番の臣下として、仕えるようになった。――――
歴史歌はそこで、終わったようだ。あまりの迫力に、ルビィは思わず、小さく拍手をした。アランは難しい顔で腕を組んでしばらく考えた後、こう言った。
「やはり神狼のルーツは、狼人間なのか。でもその事実を、俺は、知らなかった。教会の有する原典に記述がなく、世の中にも知られていない。むしろ…………意図的に、隠されている?」
「そう、思います。この歴史は、真実です。しかし真実を紡がれると、都合の悪い何者かがおる……。その者によって、歴史が捻じ曲げられようとしているのです」
長老は、悲しそうに目を伏せて言った。
「ここ百年と少し前、狼人間狩りというものが、密かに始まりました。我らは迫害され、賞金を掛けられるようになった。そしてその数を、一気に減らしたのです……」
「それで、このような場所に隠れ住んでいるんですね……」
「そうです。我らの存在自体が、歴史から消されようとしている。よほど、力を持っている人間……恐らく、中枢の上層部の者が、これに関わっていると……そう考えていますのじゃ」
アランはぽつりと言った。
「例えば……『神の
ルビィは驚愕した。アランから出るとは、到底思えない言葉だったからだ。しかし長老は、それを否定しなかった。
「可能性は十分、あると思います。何せ……我らの紡ぐ歴史には……一切、『神の写身』という言葉が出てきませんのでな。その存在自体、怪しいものですじゃ」
「…………!!」
言葉を失ってしまう。神の写身とまで呼ばれる存在が、歴史に一切、登場しない……?そんなのは、とても不自然だ。しかし、狼人間たちが脈々と受け継いできた歴史は、本物なのだろう。……むしろ本物だからこそ、抹消されようとしているのだと……そう考えた方が、自然である。
「『神の写身』は、太古の昔から存在したわけではない……ということ……?それを知られると、一番困る人間って……そ、そんなの……」
「イドルヴ様ご自身だな」
アランはきっぱりと言った。もう、彼の中にあった疑いが確信に変わったのだと、ルビィにもはっきりと分かった。アランは、唯一信じた人に、裏切られている可能性が高いのだ。一体、どれだけ辛いことだろうか…………それを思うと、ルビィの心がずきずきと痛む。
「長老。貴重な歴史を伝えてくれたこと、心から感謝する。あなた達が受け継いできた歴史を、今、俺が知ること…………きっと、そのことに重要な意味があるのだろう」
「わしも、そう考えております。神狼様。どうか、御身にお気を付けて。我らは、あなたを信仰している。神の写身などという存在ではなく、代々言い伝えてきた神狼様のことを敬っている。いつでも味方すると、そう約束致します」
「ありがとう」
アランは小さく笑って、長老と握手を交わした。
しかしその時、長老の家の中が、にわかにざわついたのが分かった。長老は小さな目をきっと見開いて問うた。
「これ、大切な時に騒ぎおって。一体何事じゃ?」
「長老、それが…………。カミーユが、ようやく村に帰ってきたのですが。少し、騒ぎになっておりまして……」
使用人が、長老に耳打ちする。長老は少しだけ目を見開き、考え込んでから、アランとルビィに言った。
「今この時に、こんな問題が起こるのも……恐らく何らかの神の思し召し。どうかわしと、一緒に来てはもらえまいか」
「それは構わない。しかし問題とは、一体どんな?」
「カミーユという、村の青年が久々に帰ってきた。結婚を、望んでおる。…………人間の女性とじゃ」
アランはルビィのことを、ちらりと見た。確かに、他人事とは思えない。二人はカミーユという青年に、会いにいくことにした。
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