1-6 オオカミさんの生い立ち

「貴方の魔法についても教えてくれるの?別に強制はしないけど……」

「いいって言ってるだろ。というか、知っておいてほしい。俺たちは中央教会に着くまでに、沢山共闘することになるだろうから。それだけ俺の敵は多いんだ」

「わかったわ」


 室内だと少し危ないとアランが伝え、二人は連れ立って外に出た。きっちりと種類別に薬草が植えられた畑は、所有者の几帳面な性格を表しているようだ。ここならば壊れやすいものもないし、かなり広大なスペースなので問題ないだろう。

 緑の畑にさんさんと朝の日差しが降り注いでいて、気持ちが良い。久しぶりの外の空気を吸い込みながら、アランは生まれ変わるような心地がした。何たって、身内以外に自分の魔法を――――秘密を、自ら開示したことなんてない。だから、彼はこれから一度、生まれ変わるようなものなのだ。

 

 アランは緊張で自分の身がこわばるのを感じながらも、おそるおそる話し始めた。

 

「……まず、確認しておくが。さっきのがお前たち、薬の魔女の一族の『特異魔法』という認識で合っているか?」

「合っているわ。私たちは薬物治療、って呼んでいる、『特異魔法』よ」


 この世界にはざっくり分けて、魔法が二種類存在する。

 一つ目は、『一般魔法』と呼ばれるもの。学びさえすれば万人に使用可能なものだ。主に生活で使用されているため、別名、『生活魔法』とも呼ばれる。例えば小さな火を起こす火魔法、飲み水を出す水魔法などがある。人々の生活には欠かせないものの、その規模は小さく、種類も限られている。


「『一般魔法』も詠唱なしで勿論使えるわよ?でも、戦闘に使えるものなんて限られてるしね」

「そりゃそうだ。簡単な身体の強化や索敵くらいか」

「あとはテレパスかなぁ、味方と連携するなら必須ね」


 二人が話した通り、戦闘に使える一般魔法は強化、索敵、テレパス程度に留まる。

 まずは呪文の詠唱なしで、瞬時に一般魔法を使用すること。それができて初めて、いっぱしの魔法使いを名乗ることができる。

 

「俺の敵には貴族も多い。要するに『特異魔法』を使える奴もうじゃうじゃいるってことだ」

「そうでしょうね……」


 残る一種類の魔法群こそ、『特異魔法』と呼ばれるものである。こちらは高度な魔法で、使用できる人間が急激に限られる。特異魔法の使える魔法使いの多くが、貴族位を与えられているほどだ。遺伝でしか受け継がれなかったり、一子相伝であるものがほとんどで、完全に極めるには一生涯をかけても足りないこともある。


「でもまあ、うちの一族の魔法は特異魔法の中でも、かなり強力な方よ?」

「それだけ、古代の様式を忠実に受け継いでいるということか」

「そうなの。うちって爵位は低いけど、歴史だけは長いのよ。ほら、魔法は古代の時代に近く、原始的であるほど強力だって言うじゃない?」

 

 いにしえの時代、魔法は現在よりももっと強力で、普遍的であったと言われている。イド教の教典によれば、古代にはイド神の本体が現世うつしよに存在したため、この世に存在する魔法が強力だったのだという。それが果たして、本当なのかどうかは誰にも分からないが。

 ともかく、伝承の歴史が長く、昔の手法を正確に受け継いでいるものほど、強力な魔法であるのは事実だ。だから強力な特異魔法は『原始魔法』と呼ばれたりもする。


「そう、古代のものほど強力。ねえ……ねえ?ということは……よ?」

「うん?」


 急にルビィが俯いてブルブル震えだしたので、アランはぎょっとした。奇行が多い娘だ。今度は一体何だと言うのか。


「それこそ古の時代に、神に力を与えられたとされる神狼の魔法って、すんご〜〜〜く!!強力ってことよね!?!?」

「…………まあ、そうなるな」

「あああ〜〜!神狼しか使えない特別な特異魔法!しかも前例のないレア中のレア!!それを今から見せてくれるなんて!?どっ、どうしよう、実はさっきから手汗が止まらないんだけど!!ねえ、ねえ一回深呼吸していい!?」

「い、いいから、少しは落ち着けっ」

 

 きらきら、わくわく!!と音が聞こえてきそうな勢いで、ルビィは大きく手を広げてすーはーすーはー、深呼吸をした。


「はあ……お前な。そんな良いものでもないし、これから嫌でも沢山見ることになるんだぞ?」

「でも、いまは、は・じ・め・て・だもの!」

「お前……要するに魔法オタクなんだな」

「オタク呼ばわりしないで!ただ知的好奇心が強いだけよ!」

「お、おい、必要以上に近づくな!!」


 興奮したルビィがどんどんと顔を近づけて来るので、アランは慌ててそっぽを向いた。それからぐっと距離を取って、先ほど借りてきたガラス玉を手に取る。


「見た方が早いからな。簡単にするとこんな感じだ」


 ガラス玉をポンと上に放り投げるアラン。


「加速度上昇≪アクセル≫」


 詠唱した途端、ガラス玉は重力や空気抵抗を無視したように速度を上げ、急上昇する。


「加速度降下≪ブレーキ≫、停止≪ゼロ≫」


 次いでぐっと速度が落ちたと思ったら、空中でピタリと停止した。


「解除≪リセット≫」


 呪文に合わせてガラス玉は突然重力に従い、下に落ちてきた。そのままキャッチする。まるでガラス玉に見えない糸でもつけて、手品をしているみたいな、奇妙な動きに見えたことだろう。


「まあ、基本はこれ。あとは向きを変えたり、かかる重力を増加させたり、だいたい何でもできる。俺は主に、小さなビー玉と投げナイフを使って攻撃している。空間を遮断したりもできるが……派手な効果はその分、魔力消費も大きい。だが前準備は不要だし、かなり応用性も…………って、おい?聞いてるか?」


 ルビィが微動だにしないで見つめているので、アランは不安になって尋ねた。やっぱり、気味が悪かったんだろうか。もしもこの少女に、忌避、あるいは畏怖する目を向けられたらと思うと――――何だか急に、胸の奥が引き攣れるように痛んだ。


「おい、何とか言えよ…………」

「……………………す。…………す…………」

「す?」


「すっごーーーーーい!!!!!」


ルビィは叫んだ。


「!?」

「すっごーーーーーーーーい!!!!!!」

「う、うるさい!!」

 

 ルビィはぴょんぴょんとその場で跳ね回り、小さな子どもみたいに両手をぶんぶん振ってみせた。飽きずに何度もすごいすごいと叫んでいる。どうやらアランの心配は、全く無用なものだったらしい。


「もう一回!もう一回〜!!!」

「わかった、わかったから耳元で大声を出すな!!」

 

 結局それからアランは同じ魔法を、何度も何度も繰り返しやらされる羽目になった。「もっかい!もっかいだけ!」とルビィが何度でも強請るので、二人が朝食をとるのは随分遅い時間になったのだった。


 

 ♦︎♢♦︎


 

 アランのこれまでの人生には、幸福などなかった。

 邪魔なだけの強大な力と、本当の生みの親が与えてくれた「アラン」という名前だけを持って生きてきた。

 生きることを許してくれて、唯一優しく接してくれたイドルヴのことは心から尊敬している。しかし、雲上人の彼に会う機会なんて実質ほとんどなかった。

 

 魔法はおろか、姿を見せるだけでも気味悪がられ、顔を顰められる。中央教会にアランの居場所なんてなくて、でもそこ以外に生きることを許される場所もなくて。ほとんどの人間に死んでしまえと思われながら、自ら死のうとしたことだって何度かあった。でも、勝手に死ぬこともまた、許されなかったのだ。だから静かに、じっと息を潜めて、教会の小さな自室に閉じこもって生きてきた。

 

 教会に命じられた『仕事』をするために、身分を隠して外に出ることはあったけれど、外の人間と必要以上の会話や交流をしたこともなかった。『仕事』とは、教会のための暗殺や死体の始末などである。アランは少しでもイドルヴの役に立てばと思って、ただ懸命にそれらをこなした。けれど『仕事』をすればするほど、アランは人々から恐れられ、忌み嫌われるようになった。

 

 最低限の衣食住と教育は、与えられてきた。形だけの子爵位も持っている。それでも、日常の嫌がらせは絶えなかった。食事は冷たいスープや、硬くなってカビたパンが与えられれば随分良い方で、皿に死んだ虫が乗せられていたりもした。けれど、神狼であるアランの生命力は高かったから、飢えていても凍えていても、ついぞ死ぬことはなかった。

 

 だから、その夜。ルビィに魔法を初めて見せた夜――――アランは、暖かいベッドの中でシーツに頬を押し付けながら、あのルビィの笑顔を思い浮かべていた。何度も、何度も思い浮かべていた。嬉しそうな声の響きを、あの眩しいやわらかな眼差しを反芻はんすうしていた。

 心臓がどきどきしてうるさい。


 

 だって、初めてだったのだ。


 

 教会の外の人間に、しかも年若い女性に、あんな風に邪気なく笑いかけられたのは。

 魔法を見せても、畏れられなかったのは。

 それどころか目を輝かせて、見せてと何度もねだられたのなんて、初めてだったのだ。


 ここに来てから未経験の温もりばかりを体験しているが、今日はとりわけ特別な日だったと思う。

 アランは自分の心の中に、初めての灯火がともるのを感じながら、静かにそっと目を瞑った。

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