1-5 薬の魔女

「おはよう!!それじゃあ、早速旅の準備をしなくっちゃ!まずは調合。第一に調合、第二に調合よ!!」


 次の日の早朝である。アランのいる寝室にノックもせず、ずかずかと押し入ってカーテンを開けながら、ルビィは言い放った。


「おまっ……!ノックくらいしろよ!!一応お前も俺も、その、アレだ……!!年頃、ってやつだろうが!?」


 オオカミに戻っていたアランはすぐに人型になって、耳を真っ赤にして言った。何故か大慌てである。


「別に私、気にしないわ」

「少しは気にしろ!!」


 怒鳴っているアランは、たっぷり食べて寝たはずなのに、朝から疲れ切った顔でぜーはーと息をしている。朝は低血圧とか、機嫌が悪いとか、そういうタイプなのだろうか?と疑問に思うルビィ。彼女は花も恥じらう乙女というやつだが、幼少期から訓練に明け暮れ、数多の戦場で男の裸に見慣れきった、悲しき乙女であった。その上べらぼうに強くて、並大抵の男には負けないから、本格的に危険な目には――正確には貞操の危機というやつには、合ったことがなかった。そうやって鈍感に鈍感を重ねてきた状態であるため、アランが何故怒っているのかが全くわからないのだ。


「……ごめんなさい?」

「意味もわからないまま謝罪するな!!」

「それもそうね。……で、朝ごはんの前に調合室に行くから準備して?」

「話を流すな!!」


 ああだこうだと文句が続いたが、なんだか煩いなあ、くらいにしかルビィは思わなかった。二度言うが、ルビィは悲しき乙女なのだ。ちなみに異性と交友した思春期はおろか、初恋も経験したことがないのである。

 ルビィは適当に返事をしながら、二階に進んでいった。後ろをついて来るアランは飽きもせずに、ぶつくさと文句を言っている。だいたい昨日だって男のいるベッドに平気で近づいて、そもそもの意識に問題が、だとかどうとか。先に押し倒してきたのはそちらではないか、と言ったら顔を真っ赤にして、「押し倒されたのが分かったなら、少しは怖がったり恥じらったりしろよ!」と怒る。これでは、一体どちらが乙女なのかがわからない。


「昨日のことはもういいでしょ。あなたに害意がなかったんだもん」

「それでも気をつけろ!いいか、様子を見ずにすぐに反撃しろ!」

「貴方がそれ言う?まあ、わかったわよ、次から気をつけるわよ」

「本当だろうな?お前はそりゃ強いかもしれないが、小柄だし、第一若い女性なんだから……」


 むわり。


 調合室のドアを開け放った途端、籠った薬の匂いが一気に広がった。アランは一瞬言葉を失ってから、大声を上げる。


「何だここは、すごく薬臭いぞ……!」

「調合室だからね」

「俺は鼻がきくんだ……。だからこれは、その、ちょっと辛い……」

「ああ、オオカミだもんね。ごめんなさい。今、窓を開けるわ」

 

 調合室の奥にある窓を開け放つルビィ。その姿を目で追いながら、アランは部屋を見渡した。壁中にぎっしり詰め込まれた棚には、おびただしい数の物が収納されているのがわかった。

 一番上から数段下までの細い棚には、様々な色をした無数のガラス玉が陳列されている。直径三センチくらいの大きさだろうか。膨大な数だった。そしてその下には、大小様々な引き出しが詰まっている。途中、レールが渡されていて、薬草らしきものが種類別に吊るして干してあった。呆気に取られたまま、開け放たれた大きな窓をアランが見てみると、外には薬草畑が広がっているのがわかった。


「すごいな……」

「ふふふ、気に入った?ここに入るのは初めて?」

「俺は寝所にしかいなかったからな」

「ええ?普通ちょっとは、探検したりとかするでしょ……!?」

「助けられた身なんだ、そんな勝手できないだろう」

「昨日から思ってたけど、貴方って紳士なのね」

「別に、普通だろ」

「そうかなあ、私の知ってる男の人たちって、もっと……あ、いやなんでもない」


 なんだか再び説教が始まる気配をひしひしと感じたので、ルビィは言葉を打ち切った。悲しき乙女だが、ルビィは学べる女なのである。


「おばあさまの治療は受けているし、貴方も知っていることだろうけど。私たち薬の魔女の一族は、薬を調合することで魔法を使うのよ」

「ああ、知っている。そのガラス玉を使うところは何度か見た」

「今から調合をやってみせるわね。そこに座ってちょうだい」


 アランは指で示された小さな椅子に腰掛けた。長い手足を多少持て余す。中央には作業台らしき机があり、清潔に保たれていて何も置かれていない。立って作業するのに適した高さのようだ。椅子は休憩用なのだろう。簡素なものだった。


「まずは道具ね。基本的に、このすり鉢と乳棒、そしてガラス玉」


 ルビィは引き出しから取り出した白いすり鉢と乳棒をごとん、と置いた。次いでガラス玉を数個、横に並べる。すり鉢は目測で直径二十センチ以上あったので、随分大きいな、とアランは思った。

 

「で、必要な薬草を入れます」

 

 手慣れた様子でルビィは干された薬草を数種類手に取り、ひょいひょい、と入れた。丸ごと入れるものもあれば、茎の部分だけだったり、花の部分だけだったりを使うものもあるようだ。それから小さな引き出しを開けて、種子や実らしきものも取り出し、入れてみせる。


「それから、すり潰しま〜す」


 ご〜りごりごり。


 すり潰し始めたルビィは、それはそれは……今までで、一番良い笑顔だった。年頃の乙女というものにあまり会ったことのないアランでも、ルビィはそうとう可憐な部類に入ると思うのに、なんだか残念である。

 今はずきんを下ろしているので、朝日を受けてきらきらと輝く薄い金色の髪が揺れる。楽しげに伏せられた菫色の目は綺麗だ。作業する手指は驚くほど細くて汚れを知らなさそうなのに、職業柄水仕事が多いからなのか、少しあかぎれがあるようだった。まあ、とりあえず楽しそうなので良いかと思いながら、アランは頬杖をついて、飽きずに眺めた。


「で、薬効を抽出します」

 

 しばらくすり潰したあと、ルビィは無色透明のガラス玉をまとめて持ち、すり鉢の上にかざした。そして呪文を詠唱する。

 

「抽出≪イクストラクション≫」

 

 すうう、ふわり。

 

 透明なガラス玉に、すり鉢から緑色のモヤのようなものが移っていく。モヤはガラス玉に吸収され、無色透明だったガラスは次第に緑色になった。吸収が完全に終わると、すり鉢で潰された薬草は灰色の、燃えカスのようになっていた。


「魔力を持つ薬草をこうやって混ぜ合わせて、効能だけ抽出してこのガラス玉に込めるってわけ」

「ほう」

「で、このガラス玉は直接投げてもいいし、またはこれに充填する」


 ルビィが赤ずきんの中から取り出したのは、装飾のついた金色の、小型の銃だった。アランは驚愕する。

 

「これは……銃か!?」

「一応ね」

 

 この世界には銃という武器が存在しているが、量産化されておらず、持てるのはごくごく限られた者だけだ。それこそ王侯貴族のような人々のみが、手にする稀少なもの。中央教会に軟禁されていたアランは、本でこそ存在を知っていたが、実物を見るのは初めてであった。

 

「嬉しそうなところ悪いけど、本物じゃないのよ。銃なんて、うちみたいな弱小子爵家が持てるものではないし……これは銃を真似して作ってみた紛い物なんだけどね。なんと、私が作ったのよ!!」


 ふふん、とルビィはドヤ顔で語る。素直にすごいと思ったアランは、きらきらした目でルビィを銃を見つめていた。しばらく見せびらかした後、ルビィは先ほどの緑色になったガラス玉を、銃の上に開いた空洞にはめた。

 それからおもむろにアランの手に触れてきたので、アランはぎょっとした。


「なっ!なんだ!?」

「ここにまだ傷が残ってるから、治療しちゃうわね」


 アランが見てみるとそこには確かに、小さな擦り傷が残っていた。少し前まで負っていた重傷に比べたら、ほんのかすり傷にすぎないが、ルビィは見逃さなかったらしい。

 ほっそりとした白い手で手を握られ、アランは少し緊張して、コクリと唾を飲み込んだ。そんなことは露とも知らない無防備なルビィは、銃口を静かに傷口に向ける。


「創傷治癒促進≪メディケーション≫」


 ルビィが鈴の鳴るような声で呪文を唱え、銃の引き金を引く。するとガコン、と音が鳴って銃口から緑のモヤが広がり、傷口を覆った。モヤはそのまま皮膚に吸収されていく。たちまち、アランの小さな擦り傷は消えていった。まるで傷なんか、最初から何もなかったみたいに。

 銃の持ち手の下から出てきたガラス玉を見る。緑色のモヤが消え、もとの無色透明に戻っていた。


「これで終わり。これは薬効を失って空になった玉ね。もうただのガラス玉に戻ったの。だけどもう一度さっきみたいに薬効を込めれば、再利用できるわ。すごいでしょう!!」

「なるほど……」

「薬も毒も仕込めるわ。まあ、事前に面倒な調合が必要だし、持ち歩けるガラス玉の数も限られるから有限な魔法ではあるけど。でも結構なんでもできるのよ!筋力を増強したり、相手を痺れさせたり!」

「確かに、すごいな……」

 

 アランは不思議そうにガラス玉を手に取り、しげしげと観察した後、急に不安そうな顔になった。そしてルビィに尋ねる。

 

「お前、一応聞くが。これ、一子相伝の秘密だろう……?俺みたいなのに教えて、本当に大丈夫なのか?」


 ルビィはぽかんと口を開けた後、一拍置いてからぷっと吹き出した。ころころと笑いながら言う。

 

「貴方って……本当にお人好しね!」

「は!?そんなこと、言われたことはない!」

「だって、信用してくれるとは言ったけど……初対面の私の、そんな心配するなんて。ねえ?心配して、わざわざ忠告してくれたんでしょう?」

「お、俺はそんなんじゃない……!」


 アランは耳から首筋まで赤くして、どぎまぎしている。照れているらしい。ルビィは更にひとしきり笑った後、涙を拭いながら話した。


「うん、やっぱりお人好し。私が出会ってきた人の中でも、すごく純粋な部類に入ると思うわ。昨日、イドルヴ様の話をするときなんか、宝物の話をする子どもみたいだったもの!」

「はあ……!?そ、そんなんじゃないって、言っているだろ!」

「ごめんごめん、ちょっとからかいすぎたわね」

 

 ルビィはアランの前にある椅子に座り、少し真剣な顔になって向き合った。そして厳かに告げる。


「私はおばあさまの弟子として貴方を任された以上、貴方を信用しているに過ぎない。昨日渡された手紙には確かに、おばあさまの魔力印が押されていた。貴方を何も疑っていない顔をしながら、きちんと確認していたの。勿論、誰彼かまわず一族の秘密を言いふらしたりしないし、言う範囲だって弁えているわ」

「……それなら、良い」

「疑うみたいな真似をしてごめんなさい。でももう信用しているから、大丈夫よ。それに、護衛として一緒に旅するんだもの。その相手の魔法のことを知らなかったら、連携が不安じゃない?伝えるのは当たり前だわ」

「わかった。……でも、片方だけ打ち明けるのは、フェアじゃないだろう」


 アランは苦笑しながら言った。お人好しはどっちだ、と思う。ルビィといい、その祖母といい、アランがこれまで出会った人間には全くいなかったタイプだ。だからこそ、きちんと伝えようと思った。自分も信頼を示そうと思った。


「俺の魔法についても、知っておけ。今から見せる」

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